心臓を止めたい
棚霧書生
薔薇の幽囚
暑いとぼやく声を寝転がったまま聞き流す。隣で横になっている彼の息がどんどん荒くなっていくのを私は背で聞いていた。夜になると魔力呪縛の副作用が出やすいらしく、彼は夜な夜なこうして熱に喘いでいる。
本当はすぐにでも介抱の手を差し伸べるべきなのだが、同居し始めて日の浅いうちにあまり気にしないでくれと彼から釘を差されてしまったあとでは、そう頻繁に手を出すわけにもいかない。
「はあ……うああっ……!」
だが、今日は発作が強く出てしまっているようで彼もいつもより苦しそうだ。ここでなにもしないのは良心にもとる。寝返りを打って、彼の方に向き直ろうとする。しかし、その前に私の背中に熱い手のひらがすがるように触れてきた。
「アーサー……起きているか……。かっ、体が熱くて辛いんだ……」
矢も盾もたまらず抱きしめたくなるのを理性で無理矢理抑えつける。
「触るよ、いいかいイグニス?」
彼を怖がらせないようにゆっくりとした動きと口調を心がける。彼の顔にかかっていた燃えるような赤毛にところどころ灰色の混じった長い髪を退けてやると潤んだ瞳が出てきた。
「……面倒をかける」
イグニスは今にも消えいりそうな声で謝ってくる。そんなこと、私と彼の仲なのだから言わなくていいのに。彼はいつまで経っても私と一線を引いている。
「私は貴方に毎晩だって付き合えるよ。いや、私がそうしたいと望んでいるんだ。だから、どうかそんなふうに気に病まないでおくれ」
イグニスの目つきがキュッと鋭くなる。怒らせるつもりは微塵もなかったのに、私は彼の気分を害してしまったようだ。
「……ふははっ、勇者さまは誰に対してもお優しいことで」
そう言ってしまってから彼はすぐに後悔の波に襲われたらしい。紅い唇をふるふると震わせて、私から目をそらす。私の腕の中でうわ言のように、すまない、すまないと繰り返す彼を世の中のすべてのことから守ってやりたいと思った。
魔王イグニスをいつになったら処刑するつもりなのか、遠回しに話してはいたが王宮からの使いの言いたいことを要約すれば話はそこに終結した。
「何度も申し上げた通り、私はイグニスを殺すつもりも誰かに殺させるつもりもありません。彼の処遇は私に任せると王も仰ったはずです」
「しかし、いくら勇者であるアーサー様が魔王イグニスの魔力を封じていると言っても、万が一ということもあります。民の不安を解消するためにも今一度ご一考を」
仕事で言っているのだとわかっていても、その言葉に腹が立ってしまう。イグニスの命はイグニスのものだ。本当は彼を幽閉して、私のもとに縛りつけている現状だって決して良いものではないというのに。
使者を追い返してから、ポットに紅茶を淹れカップとソーサーを二つずつトレイに乗せてから、イグニスのいる塔に向かう。茶菓子は彼が好きなジンジャークッキーにした。喜んでくれるといいのだが。
早足に歩いているとうっかり床に蔓延る魔枯らしの薔薇を踏みそうになる。私への害はないとはいえ、やはりこの植物は鬱陶しい。体を覆う光魔法の純度を少しだけ高めると魔枯らしの薔薇は立ちどころに道を開ける。
扉の前にくるとドアノブに茨が絡みついていることに気づいた。早くイグニスに温かい紅茶を飲んでほしいのに、なんて邪魔な薔薇だ。消えてしまえ。そう強く思いすぎたのか、次の瞬間には光魔法に弱い魔枯らしの薔薇は黒焦げになってしまっていた。
「しまった……」
「アーサーか?」
部屋の中からイグニスが顔をのぞかせる。その手は先程まで薔薇に覆われていた扉にしっかりと触れている。
「イグニス! 扉は私が開けると言っているだろう。魔族の貴方が魔枯らしの薔薇に触れてしまったら、どれだけ危険か」
「……ああ、誰かさんの光魔法で薔薇がなくなっていたものだからな。逃げるチャンスかと思って、つい。次は気をつけるよ」
イグニスは言い終わらないうちに踵を返し、部屋の奥にさっさと一人で行ってしまう。
「貴方を傷つけたくないと思っているのに、私は貴方の感情を逆撫でするようなことばかり口にしてしまっている気がする……」
私はテーブルに紅茶と茶菓子を置き、彼の座ったソファとは斜め向かいの席に腰を下ろした。
「アーサーが優しいのは知ってる。その優しさのせいで僕と人間のお偉方の意見の間で板挟みになってることもな」
イグニスは手慣れた仕草で自分の分の紅茶をカップへ注ぐ。彼は香りを楽しむ様子もなく、紅茶を一口二口飲むと今度はサクサクと軽い音を立てて無表情でクッキーを食べる。まるで、なにも感じていないかのように。
「私は貴方を必ず守る」
「この部屋の外に蔓延っている魔枯らしの薔薇みたいに?」
「どうしてそんな意地悪を言うんだい。私も貴方を籠の鳥にしてしまっているのは申し訳なく思っているよ。だけど、魔王だった貴方と勇者の私がともに生きるためには仕方のないことじゃないか」
イグニスが私をじっと見つめる。沈黙が耳鳴りのようになってグワァングワァンと頭に響いていた。それは彼の紅い唇から悽惨な一撃が放たれる前兆を私が無意識のうちに感じとっていたからだろう。
「……あのとき、どうして僕にとどめを刺さなかった?」
一瞬、息が止まった。そんなこと今さら聞かないでほしかった。魔王イグニスの討伐に犠牲を出しながらも私は勝った。最後の決戦でのあの日あのときあの瞬間、イグニスの命は私の手の中にあった。そして、今もまだ……。
「私は貴方を憎んでいなかった。むしろ……」
「愛していた、なんてクサイ台詞は繋げないでくれよ」
「なぜ、わかってくれないんだ!!」
私が叫んだ途端、イグニスが首をそらしてソファの背に倒れ込む。やってしまった。感情と声に私の魔力が乗ってしまったか。
「イグニスッ、大丈夫かい!? ああ、ごめんなさい……。そんなつもりじゃなかったんだ」
彼に駆け寄り、治癒魔法をかける。しばらく声をかけ続けていると彼のまぶたがゆっくりと開いた。
「それでいい。アーサーは優しすぎる。僕のことは虫けらと同じとでも思ってくれ」
「イグニスはイグニスだよ。私の大切なイグニス。塔の暮らしは辛いことも多いと思うけれど、絶対に私がなんとかしてみせるから。もう少しだけ待っていてくれ」
「なあ……アーサー、聞いてくれ。時間の流れは人間のほうが早いんだ。貴重なお前の時間を僕なんかのために使うんじゃない。もっと……もっと大切なことに時間は使うべきだ」
「いい加減にしないと私も怒るよ、イグニス」
「ふふふ、まだ怒っていなかったのか? これ以上があるのなら見てみたい気もするがな」
イグニス、と低く唸るように彼の名を呼ぶと彼はようやく黙った。
王宮からの呼び出しで一週間も家を空けることになった。その間、イグニスのいる塔に通うこともできなくて、私はジリジリとした焦燥と不安を感じていた。イグニスを捕らえてからは毎日毎日、彼と寝食をともにしていた。それはイグニスの魔力を封じた人間として、彼を近くで監視するという意味もあったし、なにより塔でイグニスをひとりきりにさせておくのは忍びなかった。
私は王都で新しい茶葉や外国の珍しい菓子をたくさん買ってから、帰路についた。イグニスはなかなか喜ぶ顔を見せてはくれないけれど、私はそれでもよかった。ただ同じ時間を一緒に過ごせるだけで私は幸福だった。
塔に足を踏み入れてから私は違和感を覚える。その理由にはすぐに気がついた、魔枯らしの薔薇の数がいつもより明らかに少ないのだ。とても、とても嫌な予感がした。私は走り出していた。イグニスのいる部屋まで、ひたすら走る走る走る。
「イグニス! イグニス!!」
部屋の扉は開け放たれていた。そして、部屋の中に向かって大量の魔枯らしの薔薇が大蛇のようになって入り込んでいた。まるで、なにかに引き寄せられ群がるようにして薔薇は集まっている。
「ああ……、そんな……イグニス……」
胸が詰まって、絶叫すらできなかった。寝室のベッドのうえで魔枯らしの薔薇に絡みつかれ、青褪めているイグニスの姿がそこにあった。彼の印象的な紅い唇は真っ青で、物言いだけな瞳も今はかたく閉ざされたまぶたに隠されてしまっている。
私は光魔法でイグニスにまとわりついている魔枯らしの薔薇を吹き飛ばした。震える手で彼の首筋に触れる。脈を感じられない。私が封していたはずのイグニスの魔力も感じとることはできなかった。
イグニスがもう生きていない。生きていないということはどういうことだったか?
喉がカッと熱くなったように感じ、猛烈な痛みを覚える。気持ち悪くなって床に吐いた。吐いたために一旦、視界からイグニスの姿から外れる。そこで私はようやくベッドサイドテーブルに手紙が置いてあることに気がついた。ひったくるようにそれを手にとり、封を開ける。
『親愛なるアーサー
さよならを直接言えなくて、すまない。でも、僕はこれが最善の選択だと思った。
アーサーは僕を思ってくれていたのはわかっている。だが、僕が僕であるかぎりその思いには応えられない。僕は魔王でそして男だ。英雄アーサーの妃にはなれないし、子を成すこともできない。こんなに不毛なことはないだろう。
アーサーに優しくされるたび、自分に愛される価値があるように錯覚してしまうのが辛かった。ただただお前の時間を食い潰しているだけの害虫なのにな、おかしいだろう?
きっとアーサーは僕が生きているかぎり僕に縛られる。つまり魔族と人間の寿命から考えれば、順当にいくとアーサーは一生を僕に縛られるということだ。そんな恐ろしいことはさせられない。アーサーは幸せになるべき人なのだから。
だから、僕は先に僕の心臓を止めることにした。これでお前は自由だアーサー。幸福な人生を。
イグニス・ディアブロス』
呆れて涙も出ない。貴方はなんてお馬鹿さんなんだろう。今までの私の愛情表現じゃ理解してもらうに足りなかったというのか。難しい魔王様だ。
「ルックス・フォルマムエイウズディフェンデ!(光よ、彼の者の美しさを守りたまえ!)」
私は時間停止の魔法をイグニスの体にかけた。これで彼の体は腐ること崩れることもない。
イグニスを討伐する前に魔王について随分と調べた。たしか古い文献のいくつかには、何世代も前に滅んだと思われていた魔王の復活についての記述があった。つまり、魔王が復活する先行事例があるということだ。探せば彼を復活させる方法がどこかにあるかもしれない。いや、あるに違いない。大丈夫、私ならやれる。
「貴方の願い通り、私は幸福な人生を追求することにするよ、イグニス」
終わり
心臓を止めたい 棚霧書生 @katagiri_8
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