座席を倒す権利vs倒させない権利
渡貫とゐち
座席攻防戦
東京から大阪へ。
新幹線の座席を予約する時にこだわるところは、「窓際であること」と「座席を後ろへ倒すことができる権利」も含めて買うことだ。
いつからか座席の倒すか倒さないかの判断はチケット(=電子チケット)に記載されるようになっていた。
追加で500円を払えば、座席を限界まで倒すことができる――のだが、座席を倒せるというだけでは少々割高だと思う……しかし、たった500円で後ろの人に文句を言われないのであれば、高価な買い物ではないだろう。
スマホで予約を完了させ、時間までは駅構内で時間を潰す。
事前に予定していた移動ではないので急ぎではあるものの、電車の時刻表を書き換えることはできないので出発時間まではどう焦ったところでなにもできないのだ。ここは焦っても仕方がないので、新幹線内で食べるつもりの弁当でも探しにいこうか。
こういう時、珍しいものを買って冒険してみるか、定番を買って安心して食事を楽しむかで迷う。食べたことがない弁当も捨てがたいが、やはり定番は外せない。
新幹線をよく乗るわけでもない……たまに乗る新幹線くらい、美味しい思い出で終わらせたい。――というわけで、珍しくもない定番の弁当を買って時間通りに新幹線へ。
予約した座席へ座る。
荷物を置いて、ふう、と一息ついた。
まったりとしながらスマホで今後の予定を確認していると、ぞろぞろと周囲の座席に客が座り始めた……出発までそろそろか……。
窓際のちょっとしたスペースにスマホや小物入れを置いて、両手をフリーに。少し横になりたくなったので座席を後ろへ倒す――倒せる権利を買っているのだから構わないだろう。
「ちょっと」
「?」
「ちょっと、なに倒してるんですか?」
後ろの席の女性に声をかけられた。三十代前半ほどの茶髪の女性だ……。
女性の隣には小学生ほどの男の子が座っており……どうやら親子のようだ。
男の子が通路側とは珍しい……子供は窓の外を見たいものなのではないか? という考えは古いだろうか。通路側の方が移動しやすい、という理由で座っているのかもしれない。
「あぁ……座席を倒す権利を買っているので、倒させてもらいますね」
「ダメです」
「ダメです、って……いや、こっちはきちんとお金を払って、」
「私も、『座席を倒させない権利』を買っているので!」
女性がスマホを取り出し、電子チケットを見せてくる。……確かに、前の人に座席を倒させない権利が購入されていることが記載されている……料金は500円だ。つまり、俺と同額だった。
「……なるほど、倒す権利と倒させない権利が被ってしまっているのですね……。こういう時は……――こうしましょう」
アプリを立ち上げ、座席を予約した時の画面を出す。
座席を倒す権利をタップすると、「追加料金を支払いますか?」とメッセージが出た。
追加で500円分を購入する。これで、俺の権利の方が彼女よりも500円分多くなっている……1000円分の倒す権利と、500円分の倒させない権利であれば、倒す権利の方が勝っているため、この場では俺が座席を倒す権利がある。
「今、追加で購入しましたので、倒す権利は私にあります」
「今、1200円分の倒させない権利を購入したので、倒すのはダメですから」
スマホが震える。通知がきたのだ……後ろの座席から倒させない権利の更新がありました、と――1000円と1200円では、向こうに分がある。………………なら、こっちはさらに追加だ。
「2000円だ」
「では2500円で」
「4000――」
「4100円で」
たったの一円でも購入金額が上であれば、例外なく権利を行使することができる。
女性の方はちまちまと刻んでいるが、このままでは埒が明かないな……。
なら、一気に金額を吊り上げてしまおう――「10000円だ」
「…………」
女性の手が止まった。やはり、さすがに10000円以上をぽんと出すことはできないようだ。
子供がいれば、今後、使うお金が膨らんでいく。これ以上こんな場で使うべきお金ではない。
彼女もそれは理解しているのだろう……聞こえるように舌打ちをして、スマホを睨んでいる。
オークションのように金額がどんどんと上がっていっているが、オークションとは違って既に俺たちは払っているのだ。
権利を奪えなかったところで、これまでに払ったお金が戻ってくることはなく……数千円払ったのに実入りがなにもないというのは損だ。
彼女もそれを気にしているらしいが……さらにお金を払っても、独身の俺は意地でも座席を倒す権利を勝ち取るつもりだ…………ここまできたら引くに引けない。
彼女も同じ気持ちなのだろう……それでも、あなたはここで止まるべきだ。
「……1、万……5せ……」
震える指を動かし、金額を入力していく……。
すると通知がきた。
彼女は15000円分を座席に支払ったらしい。
「じゃあ、20000円で」
「ッ」
「おかあさん、お店が歩いてきたー」
車内販売をしている自動ロボットだ。昔は綺麗な女性がワゴンを運んでいたが……今ではロボットがただ運んでいるだけだ。
これはこれで働く側からすれば楽だけど、客側からすればここでのちょっとした会話も楽しかったんだけどなあ……。
なんてことを考えていれば、また通知だ。
「え……、30000?」
正気か? と女性を見れば、彼女の方も意地のようだ。
もしかしたら旦那にも教えていないへそくり分のお金を使って対抗しているのかもしれない……まあ、いいけどさあ……。でも、こっちだって引かないよ。
「なら、40000円」
座席ひとつに40000円。しかも座席そのものではなく倒す権利である。
今更だが、バカなことに金を使っているなあ、と思ってしまう。
40000円があればなにができた? と考えるのはやめよう……虚しくなる。
……それでも、マッサージでリフレッシュできたんじゃないだろうか……。
すると、背後でぶつぶつと聞こえてくる……。
「倒させない倒させない絶対に倒させない絶対に絶対に倒させないもう意地だから絶対に勝ち取って倒させないんだから――――」
……怖っ。
このまま独身の強みを利用して倒す権利を勝ち取っても、なんだか彼女に恨まれそうな気がして怖いのだが……。俺も俺で40000円も使っているのでさすがに引けない。
ここは俺だって、意地でも倒す権利を勝ち取って――――
「おかあさん、もっと強くしないと勝てないよ」
「あっ、ちょっと勝手にいじ――」
通知がきた。
…………0が、多いな……彼女が権利を更新させたようだ。
500000円。
え、50万円?
座席を倒させない権利に……そんな大金を?
「こ、の……バカッ! 勝手に押して50万なんて払わせるんじゃないわよッッ!!」
「いてぇおかあさんがぶったぁ!!」
「うるさい!!」
後ろで繰り広げられている親子喧嘩……、なるほど、子供が勝手に押しちゃったのか。
いくら冷静でなくとも、こんなことに50万を使うほど彼女もバカではないようだ。
逆に、大金を払ったことで冷静になれたようだけど――――
「ちょ、ちょっと待って――これ、50万なんて払えな、」
「ちょっと失礼……申し訳ない。あなたがそこまで覚悟があるとは思いませんでした。50万も払われたらこちらの負けですよ……もう倒しませんから、安心してください」
俺は振り向いて、勝者である彼女に一礼する。
今回の勝負は大金を払った彼女の勝利であり、さすがにここで「俺も負けるか!」と対抗して払うには大金過ぎる。独身であってもブレーキはあるのだから、ここは負けを認めよう。
認めれば、彼女の勝ちが決定する。
つまり、50万という大金が、彼女の口座からなくなるわけで……
それを想像すれば、座席くらい倒さなくてもいいやと思えてきた。
「良い勝負でした」
「あのっ…………。いえ、なんでもありません……もう倒さないでくださいね?」
大金を払ってでも倒させたくなかったようで、彼女は勝利したことには満足そうだ。
ここで支払いを拒めば、自動的に俺の勝利となり、座席を限界まで倒すことができるが……、彼女はそれを絶対に許さないだろう。だから素直に50万を払ったのだ。
「……後で話があるからね?」
「え、なあに、おかあさん?」
……今回の件が、母と子の亀裂にならなければいいけど……。
…了
座席を倒す権利vs倒させない権利 渡貫とゐち @josho
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