第2話 SDカード

 それから、その年の10月中旬に結婚。私と彼女は、私の父親が退職金で買ってくれた私の実家近くの新興住宅街に建っていた中古住宅に住む事になった。私は、今まで飼っていた子犬を、彼女は独身時代に自宅で飼っていた子猫を住まわせた。



 結婚後、直ぐに、長女が、ついで年子で次女が生まれたが、長女はきっとあのラブホテルの時にできた子であろうと思った。何故なら、まさかそういう展開になるとは思っていなかったから、避妊具を持参して無かったからである。



 こうして夢のような幸せの9年間はあっと言う間に過ぎた。長女も次女も、可愛いところは妻に似てくれて大変に助かった。だから、大手のスーパーなどに家族4人で行くと、「まあ何と可愛い女の子達」と褒めてもらう事が大変に多かった。



 中には、子供らよりも私の妻の美貌に気を取られて転ぶ若者さえいた程であった。本来は、こんな自慢話の羅列で終わる筈のこの物語は、ある日を境に大きく変わって行く事になるだ。



そう、 あの男が隣に引っ越してくるまでは……。



 ここで、私の家の周りの状況を少しだけ話しておくと、私ら家族が住んでいた住宅は、先程も述べたように、中学の校長をしていた私の父親の退職金で買ってもらったものだ。



 場所は、石川県東部にある某団地であり、私らの住む町内会は全部で120世帯があるが、その内の60世帯が昔から住んでいた世帯で、残りの60世帯は、地元の不動産業者が耕作放棄地を中心に、その周辺の小高い丘を削り、団地造成したものである。



 駅からは、歩いて15分と言う便利さと、敷地の広さが売りで、この団地が完成したのは今から数十年以上も前の事だ。バブル崩壊前の事だから、売り出し価格は結構高額だったと聞いているが、そのためか、ここに土地を買い家を建てたものの、ローンを払えずに自宅を売却に出す人もそこそこいたのである。私の父親が退職金で買った家は、築後20年は経っていたであろうが、簡単なリフォームで十分綺麗に蘇った。



 問題は、私の家の隣にある住宅である。この住宅も、バブルで一儲けした元銀行員の夫婦が建てたもので、私の住んでいる家よりも、遙かに大きく立派だった。近くの山際からわき出す清水を引いて、小さいながらも小川も池もある日本庭園を有しており、その当時から豪邸で有名であったと聞く。



 しかし、この老夫婦の子供らは全て都会に住んでおり、老夫婦が亡くなったのを機に売りに出されていたのだ。もともと高額な家であったので、売り出し価格も新築住宅1軒建てる以上の値が付けられていた。だから、老夫婦の死後、数年間は買い手がつかなかった。



 それが、今年の4月中旬に、急遽、買い手がついた。



 4月の中旬の日曜日の午後、引っ越しの挨拶に、その買い手は、私の地元では有名な銘菓と名刺を持って、隣近所に挨拶していた。



 私が、その男と最初に会った時に感じた印象は、どこか暗い感じであった。しかし、名刺を見ると、村西透と言う名で、金沢市で弁護士事務所を某ビルの3階に持っているらしい。背広の胸には大きな弁護士バッジを付けていたから職業は弁護士であることは間違いがない。弁護士だから全て善人とは言えないまでも、まあ、普通の人よりは安心だろう。……そう、私は考えていた。



 しかし、次の日、その弁護士と会った妻は、急激に暗い顔になった。そして、私に執拗に今度隣に引っ越してきた人は、どこか気持ちが悪いと言い始めたのだ。確かに、私の第一印象も暗いと言う感じは受けたが、そんな変人と言うほどの感じはしなかった。



 しかし、妻は、何度も「気持ちが悪い」と繰り返した。そこで、寝る前に、私は何故妻がそれほど気持ち悪いのかを聞いてみると、私を見る目付きが変だと言って聞かないのだ。それは、ヤッチャンが美人だからじゃないのか?と、私がいくら言っても、あの目付きは異常だと言って譲らないのだ。


 私には、何故、妻がそれほど隣に引っ越してきた男を気持ち悪がるのかは、その時点ではまだ理解できてなかった。



 だが、直ぐに妻の直感が的中するような事が起きた。



 あの男、村西透が引っ越しして来てから1週間後の朝、その日は日曜日であって、天気も良かった。


 長女の小学2年生の明帆あきほが、玄関のポーチ前に凄く可愛い人形ケースが置いてあると言う。どれどれと、私も顔を出して見た。そこには、確かにざっと見、約1万円程度はするであろう買ったばかりの可愛い人形ケースが置いてあった。持ってみると結構重い。中に人形が入っている事に間違いが無さそうである。


 しかし、一体何処の誰が、この私の家の玄関前にこんな高そうな人形ケースを置いていったのだろう。思い当たる人間は誰もいないのだ。そこで、私は、箱の中を開けてみる事にした。



 何らかのメッセージが入っているかもしれないと考えたからだ。うまい具合に人形の箱はしっかりしていたし、別に包装用紙でくるんである訳でもない。例え、落とし物であったとしても、中を見る事ぐらいなら法律の遺失物法にも触れないだろう……とそう考えたのだ。



 ちなみに、私は、二流私大の法学部卒で、在学中は旧司法試験を目指して勉強していた事もあったから、隣に引っ越ししてきた弁護士先生には勝てないまでも、そこそこの法的知識は持っていたのである。



 私は、軽い気持ちで箱を開けた。しかし、その中に入っていた人形は、可愛い洋風ドレスを着たビニールか何かでできていた製品であったが、何と、首から上が全く無かった。鋭い大型のハサミかナイフで切ってあったのだ。



 私は、この得体の知れない人形を、長女の明帆の目に触れないように気を付けながら、その箱を持って、自宅前の車に乗り込んだ。



「お父さん、何処行くの?」と、明帆が聞くので、


「どうも落とし物らしいから、今から、警察へ届けてくる」、そう言って車のエンジンを掛けた。こんな物を長女に見せたら、気持ち悪がるのは目に見えている。


 それに長女はこの事を妻に言うに違いない。そうなれば、妻の言うとおり、一番怪しいのは隣に越してきた弁護士の村西透に違いないと言いかねない。しかし、弁護士先生が、こんな嫌がらせを果たしてするものだろうか?正直なところ、私は、半信半疑であった。



 地元の警察署の落とし物係のところへ出向いて、簡単な書類を書いた。私は、防犯係の職員に何らかの犯罪の前兆でないかと訴えたが、しかし、警察のほうは単なるイタズラで事件性は無いのではないか……との見解である。これ以上、話していてもラチははあかない。



 私は諦めて自宅へ戻った。妻に聞かれたが人形ケースの落とし物があったので、警察へ届けてきたとだけ言った。それ以上詳しい話をすると妻も長女も次女も怖がるからである。



 しかし、首を切断された真新しい人形の姿は私の瞼からは消えていない。ここで話が終わってくれれば良いのだが……。祈るような気持ちで私はそれから数週間を過ごした。だが、これは、ほんの序章であった事を私は、後々、思い知らされる事になるのだ。



 5月の下旬のその日も日曜日であったが、朝方、私は妻の飼い猫のサクラが異様な鳴き声を上げている事に気がついて玄関前に出てみた。このサクラは雌猫で妻が独身時代から飼っていた猫であった。見ると口から泡を吹いて苦しんでいるではないか?



 これはただ事ではない。そう思って、スマホでかかりつけの獣医師先生に連絡したところ至急連れて来い、との返事をもらったので、戸締まりと火の用心を手短に済ませ、まだ、朝ご飯も食べていない家族4人で、車に飛び乗った。妻のヤッチャンは毛布でサクラを巻いて抱いている。長女の明帆も、次女の紗綾さやも一緒に病院に行くと言うので、全員で隣の市にある動物病院まで運んだ。



 サクラの苦しみ方は尋常ではなかった。獣医師は、何かの毒物を食べたのだろうと言った。点滴等を打ったりしたものの、結局、サクラは1時間後、その動物病院で息を引き取ったのだ。サクラを溺愛していた妻も、長女も、次女も、皆、泣いた。帰りの車の中では、全員が無言であった。



 しかし、私は、帰宅後、更なる事件に襲われる事になる。



 今度は、何と、私が飼っていた柴犬のシバが、玄関前の犬小屋にいないのである。このシバも雌でとても大人しい犬であって、番犬の役割は期待できなかったが、近所の子供らにも人気で、ともかく誰にでも懐く可愛い犬であった。しかし、シバをつないでいたリードは鋭利な何かで切断されており、誰かが持ち去った事は明白であった。



 サクラが何らかの毒物を食べたのは、もしかしたら事故なのかもしれないが、私の愛犬のシバは明らかに拉致されたことは明白であった。しかし、日曜日の朝早くの事である。私ら家族が、猫のサクラを動物病院に連れて行くのを見越しての計算があったとすれば、これは明らかに計画された犯罪ではないか!



 私は、再び、地元の警察署の防犯係に車を飛ばし、今日の出来事を話し、盗難届けも出したのだが、警察の対応は前と変わらず、特に日曜の事とて、その面倒そうな対応に腹が立ったが、地元の警察と喧嘩しても一文の得にもならないのでしかたなく帰宅した。



しかし、このシバの拉致は、その後、とんでもない事を、この私にもたらしてきたのである。



 シバが誘拐されて、その丁度約1週間後の金曜日、私宛に一通の郵便物が届いた。中身は、軽くて実体はホトンド無さそうだが、何かしら薄っぺらい固いものが同封されていた。






 私は、嫌な予感がして、自宅にあった食器洗い用のゴム手袋をして、自分の指紋を付けぬようにようにして、当該封筒を開封した。



 封筒の中からは、16ギガ相当のSDカードが出てきた。



 本当に嫌な感じがしたが、今、ここで一家の主人の私がアタフタする事はできない。ここは、落ち着いて、当該SDカードをノートパソコンで再生するしかないのだ。



しかも、この映像だけは、何故か、どうしても私だけが見なければならないように感じたのだ。家族の誰かと見れば、何故か取り返しの付かない事になるのではないか?そんな思いがしたのである。



 私は、机の上にあった小型のノートパソコンにSDカードをUSB端末に変える端子に当該SDカードを差し込んで、この中身の映像を見る事にしたのだ。


 そこに写し出されていたのは、廃屋に近い、工場跡か倉庫跡らしき建物の床に鉄骨の棒が床の土間コンに埋め込まれており、その鉄骨には、我が愛犬のシロが金属の鎖で縛られていた画面が映っていたのだ。



 しかし、何かの工場跡や倉庫跡だと言う事は、即、理解できるものの、機械らしきものは全く映っていず、そこの建物を突き止める事は、この画面からだけでは不可能だろうと思った。唯一、分かるのは、構造が軽鉄系のバラックらしく、壁は錆びたトタンらしい事は分かる。……しかし、こんな廃屋など日本中どこにもあるだろう。これは、難事件になる。そんな思いが私の頭を横切ったその時である。



 私の愛犬のシバが急に怯えだして、「クウーン」と、か細い鳴き声を上げた。


 犬特有の直感で何かの危険を察したのだろう。



 ああ、これからの展開を述べるのは、愛犬家の私としては、あまりに非道い話だ。しかし、その画面は無残にも、あってはならない画面を、この私の前に映し出していたのだ。



 シバに何か水のようなものが掛けられた。



「危ない!」と私は、叫んだ。きっと灯油か何かだ?

  


 すると、その液体が掛けられた愛犬のシバに、擦って火がついたマッチ棒が投げつけられた。その投げつけた人間の姿はこの動画には映っていない。



 愛犬のシバは、一瞬で地獄の炎に包まれた。愛犬の絶叫が、廃屋内に響き渡る!これは、とてもとてもまともに正視できるような画面では無い。

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