隣の殺人鬼!!!

立花 優

第1話 ロンギヌスの槍

 私達は、幸福だった。あの男が隣に引っ越して来るまでは……。



 私があと1ケ月で満30歳になろうとする8月の終わり頃、私は、6歳年下の彼女の安子ちゃんと、私が自慢のH社製のスポーツ・カーに乗って日本海の海岸線を走っていた。時間は既に、夜8時を過ぎており、夏とは言え、もう真っ暗であった。



 私は、それなりにある不安を抱えて運転していた。……と言うのも、今日に限って、あの大人しい安子ちゃん、私は、親しみを込めてヤッチャンと呼んでいたが、そのヤッチャンの様子が、いつもと完全に違うからであった。その微妙な変化を、私は一緒に車に乗った時から感じ取っていた。




 暗い海、北陸の日本海独特のどす黒い波頭が、車のハロゲンヘッドライトに反射して私の両眼に飛び込んで来るのだが、それだけぐらいの衝撃では、今日は終わらない感じがしたのだ。で、その予感は見事に的中した。ヤッチャンが、珍しく、自分から話し始めたからなのだ。




「私達、出会ってからもうどれ程経つのかなあ?」




「うん、出会ったのは、今から4年前の6月の中旬だから、4年以上かな……」私は、嫌な感じがした。このような質問を彼女からした事は、今の今まで一度も無かったからだ。



 いつもは、私が、車で彼女を誘い、喫茶店やレストラン、映画館、ボーリング場、ゲームセンター等々、思いつくままに色々な箇所に連れて行き、ヤッチャンの方は一切の文句も言わず付いて来てくれたからである。



 そもそも、私が、ヤッチャンと出会えたのは、ある意味、奇跡に近い事でもあった。何故と言うに、ヤッチャンは、今まで私が出会ったいかなる女性よりも美人であった事である。しかしながら、彼女の美しさを表現できる程の文章力を私は持っていない。



 では一体、どう美人なのか?どれほどの美人なのか?



 繰り返すが今の私には、彼女の美しさを伝えきれるだけの文章力が無い。そこで、これはひとつの試みではあるが、もし、この駄文を読んでおられる方が、幸いにして、この世にいてくださるのなら、まず、目を瞑って自分が好きな、あるいは美人だと思うタレントや、アイドル等の方を思い浮かべて欲しい。



 2~3人は思い付くであろうから、その中で、やや面長で黒髪の長い色白の女性がいないだろうか?その女性は誰であっても良いのだが、まあ、その人だと思って頂ければ、それが多分一番似ている存在なのであろう……。



 では、そんな美人とどうして知り合えたのか?田舎の事とて、当然見合いである。


 しかも、運の良い事に、ヤッチャンと私の父親は、中学まで同級生であった。


 これが、見合いの話が簡単に進んだ理由の大きな一因であったろう。更に私は地元の市役所に就職しており、必要最低限の生活はできていたのである。




 そもそもヤッチャンが今ここで何を言いたいのかは、私も、大体分かっていた。


 私は、約4年以上の彼女との交際中、手も握った事も無ければ、ましてキスさえした事が無かったからだ。彼女が、その点を故意にボカして先程の質問になったのは、この私にも、ハッキリと感じられた。



 私が、交際中に彼女に手を出さなかった大きな理由は二つあった。



 私と彼女の結婚での最大の問題は、彼女が訳の分からない変な新興宗教に入っていた事だった。そのため、彼女の私に対する結婚の条件はただ一つ、私がその新興宗教に改宗する事、これだけが彼女の私に対する要求であった。



 で、私は、その宗教は大嫌いであった。何か胡散臭く感じていたからだ。ネットで調べるとその宗教の教団は、かって詐欺だったか横領だったかで、一時期、マスコミで指摘されていたのだ。また非常にオドロオドロしい儀式でも有名だった謎の教団でもあったのである。



 だから、まず、この一点がクリアされなければ、私は、彼女に指一本触れる訳にはいかないのだ。



 もう一つの理由もあった。それは、彼女があまりに清純そうに見えたからで、結婚が正式に決まってからでないと、とても、そんな気分になれそうにも無かった事による。



「今日、私ね、決めてきたの……」



「何を」と、私がオウム返しに聞く。



「ユウ君を、私の宗教に改宗しようと今まで頑張ってきたけど、そんな事言っていたら永久にこの話は進まないから、私だけ、今の宗教に入って、ユウ君は今のままでいいわよ……」



「そっか、それはありがたい。いつも言っているように、僕自身は二-チェの言っているように「神は死んだ」と思っているから、宗教には全然興味がないんやが、ヤッチャンがそう言ってくれれば、僕の懸念は無くなるね、本当に有り難い」



 この私の返事を聞いてヤッチャンは少し安心したのか、



「今日は、夏の終わりなのか、まだまだ暑いわね」と言って、薄いブラウスの上の二つのボタンを外した。彼女の胸の白い下着が透けて丸見えになりそうで、私は、目のやり場に困り、


「カーエアコン、あまり効かないのかなあ……」などと独り言をいいながら、車のエアコンのボタンを触っていた。実はオートエアコンだから、その行為自体実は意味が無いのだが……。



 しかし、今日の彼女の様子はそれだけでは無かった。あきらかに私を挑発しているような、しなだれた目をしていた。



「今からどこへ行く?」私は、義務的に聞いてみた。



「どこへでも……」


 その返事は、私の想定外の返事であった。ヤッチャンは既に覚悟を決めて、今日この車に乗っているんだ。その気持ちは、痛い程こちらにも伝わってくる。このまま、今までのように彼女を自宅まで送って帰る訳にはいかないのだ。



 しかし、私は、父親が元中学校の校長で超もの凄い頑固オヤジであった事から、今時ではとても考えられないぐらい、珍しい程の、厳格で、超厳しい教育環境の中で育ってきている。やはり、結婚前に、彼女に手を出す事は、はばかれた。



 そこで私は、苦し紛れに、



「でも、ヤッチャンは僕にとっては、聖母マリア様のように見えるからなあ……」と、暗に手を出しづらい状況を伝えた。すると、ヤッチャンが次のような衝撃的な言葉を発したのだ。



「ユウ君、私、もう男性経験はあるのよ。だからそんな聖母マリアなんかじゃ無いのよ。手を出してもいいのよ、遠慮せずに」



 この事はある程度は覚悟はしていたものの、こうもハッキリと言われると、やはりそうだったのか、と頷くしかない。



「やっぱりな。ヤッチャンは会った時から、どことなく落ち着いていたから、もしかしたらとは思っていたが、こんな時代、それは十分ありうるよねぇ。でも、いつ頃の話なのかい?社会人になってから?それとも短大時代?」



「中学校1年生の時よ!」彼女は、顔をしかめてそう言い切った。



 何、中学校1年生だって!



 私は、気が動転してハンドル操作を誤りかけた。急なハンドル操作で車は軽くドリフトした程だ。60扁平タイヤがキシンだ音を出した。


 私は、昨年、彼女の実家で中学時代や高校時代、短大時代の卒業アルバムを見させてもらっていたが、その天使にも似た美貌は他の女学生らを圧倒していた。あの幼いながらも天使のような美貌を持ったヤッチャンが、既に中学1年生の時に、誰かに犯されていたとは!



 私は、腹の中が煮えくりかえってきた。一体、どこのどいつが、あの清純なヤッチャンを襲ったのだ。中学1年生と言えば、誕生日にもよるが、12歳か13歳である。そんな、いたいけな少女に手を出すとは、一体、何処の何奴だ?



 ふと、私はキリストの話を思い出した。ゴルゴダの丘で磔刑にされた時、キリストの死を確認するために、ロンギヌスと言う名の兵が、槍でキリストの脇腹を刺したとされている。『ロンギヌスの槍』と言う言葉が頭に浮かんでいた。



「それは、先輩か?誰か?」と、私は震える声で聞いてみたものの、彼女は、それは誰かは言えないと言った。親にも言った事が無いと言うのだ。これ以上は聞き出す事は不可能だろう。ただ、このヤッチャンを犯した男を、私はキリストの『ロンギヌスの槍』の話になぞらえて、いつかきっとその相手を探し出してやると固く固く決心したのだ。



 そうこうしている内に、車はあるラブホテルの前にまで来てしまった。


 『ロンギヌスの槍』への疑問や憤りに私の心の中が混乱しているまま、彼女とラブホテルの一室に入った。シャワーを浴びてからの、彼女は私の前に現れた。やがて、ゆっくりとバスタオルを脱いだその白磁のような裸体を見て、私は、夢中で彼女を抱きしめた。

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