第55話 願望の果て・終

 消防が来た以上は、消火活動の邪魔にならないように聡は引っ込んだようだ。

「叔父さんも大変ね。陽が落ちてもパークウェイには人は来るけれど、集落には普段から人が余り来ない。それでどうしても三百六十五日も詰めてられない。まして夜はもっと手抜きになるわよね」

 前は湖で周囲は入り組んだ半島で、出入り口は湖岸に沿った道しかない。パークウェイには来ても、そこから集落まで来るものは余程の暇人だ。

「そうだなあ。俺たちもあんな所に神社があるなんて、しかもそれが深紗子さんの苗字とダブってるなんて、社長は知っていても今まで言えない訳は今回で解りましたけれど……」

 この恋は盲目の恋愛悲劇なんだ、と兼見は実感したようだ。

「あたしも、お母さんが葛籠尾崎が気に入ってるのに、その下の集落には関心がないんだから」 

「深紗子、だってあそこは一般の人は立ち寄りにくい雰囲気があったのよ……」

 深紗子は最初に集落に訪れた晩を思い出して納得した。あの時は訪ねた家が民宿なのに薪美志まきみしを名乗らなければ門前払いを喰う処だった。それほど薪美志神社はあの集落の守り神として今日まで信頼を勝ち得ていただけに、これで千年の絆が火事と同様に、一瞬にして焼け落ちてしまうのかしら。今日、会った輝紅てるこさんにそんな自覚はこれっぽっちもなかったのに。

「お父さん如何どうなの、叔父さんから火事の一報があった時にお母さんがさっき耳元で気になる事を言ったけど」

「美由紀、なんか言ったのか?」

「輝紅さんはまだ寺島さんの家に居るのかしらって、聞いたのよ」

 社長も今日の耀紅ようこの巡礼に付いて来た妹を思い浮かべては、腕組みして思案するかたわらでふと兼見に声を掛けた。

「兼見、お前の携帯で電話してみろ」

 兼見は席を外して隅の方で寺島に電話した。みんなは手持ち無沙汰に残った料理を心はここに在らず、と静かに咀嚼するが、眼は兼見に注目している。通話の終わった兼見が言いにくそうにしていると「みんなに聞こえても構わん」と催促した。

「輝紅さんは、今日の電車に間に合うように家を、出たそうです」

 そうか、と茂宗はひとり唇を噛み締めた。テーブルの料理は大方食べ終わり、室内電話で食後のデザートと珈琲を頼んだ。待機していたのか、早く帰りたいのか、始めたときより多い人数でサッサと食器を片付けると、別の者が直ぐにデザートと珈琲を並べて引き揚げた。余りにも手際の良さに見とれてしまった。それでも気を取り直したようにデザートを一口すると。

「明日はお姉さんの命日なのね」

 と美由紀は夫の耳元で囁いた。耀紅でなく姉と言った処に、妹の輝紅の存在が、いやでも目に付く。

「四月一日か……」

 茂宗は暫くデザートを咀嚼したが、卓上に置かれたスマホを取って電話した。残りの三人は無言でデザートを食べ出し、兼見はもう珈琲を一口付けている。

 ーー聡、どうした。誰も見なかったのか。

 どうやら向こうは電話どころでなかったのがやっと繋がった。

 ーーこんな時間には集落の者も来ないし、まして部外者は一人も……。待てよ兄さん、兄さんが今日、寄った時に妹の輝紅さんが寺島さんの家に居る話をしてましたね。

 ーーそれがどうした。

 ーーまだ居るんですか。

 ーーいや、さっき寺島さんに電話して帰ったことを確認して、それで聡に掛けたんだ。

 ーーそうか、兄さん。どうもしないけれど、確率は極めて高い。

「社長、輝紅さんの亡くなったご主人は、恨み骨髄の新興宗教だった大阪の事務所を燃やしたそうです」

 あたし、さっきはそんなつもりで言ったわけではないけれど、と予言的中のように叔父さんからの一報が入り、美由紀は余りいい顔はしていない。それなのに此処で兼見が今さらリンクさせても、どうかしらと小首を傾げた。これに深紗子が兼見に鋭い視線を浴びせた。

「お母さんは的中って言うよりッ、耀紅ようこさんの身に寄り添っただけなのにッ、兼見さんはそこだけ言うのも、どうかしらッ」

 深紗子はかなり語句を強めている。だが茂宗は独り孤高に、もの思いに沈んでいる。

「そうか、四月一日の耀紅の命日に薪美志神社を燃やす。妹の亡き夫の霧島慎吾が放火したように、わずらわしい物は消えてくれと言う事か……」

 ーー兄さん、輝紅、さんが遣ったのだろうか。

 ーー聡、どうかしたのか。

 ーーどうもしない。ただ可笑しさだけが込み上げてくるんだ。いったい正茂や俺たちはなんだったんだと。四十年前にアッサリ見切りを付けておけば、薪美志神社も薪美志家もなんもなかったのに、俺もこのまま葛籠尾崎で身を清めて出直せるものなら出直したい。

 ーー解った。とにかく明日、そっちへ行く。

 翌朝は昨日きのうでお役御免の筈だった日産スカイラインRS昭和五十八年式を再び動かした。深紗子は途中から乗せた兼見に運転を代わり、四人は火災現場の薪美志神社に向かった。四人とも今朝は出掛ける前に、新聞とテレビで昨夜の火事を調べたが、新聞は端の方に、テレビのニュース番組は、どの放送局も主立った出来事の後に、その他のニュースとして取り上げただけだ。

「今朝の新聞やテレビを見る限り、大騒ぎしているのは地元と俺たちだけだなあ」

「聡の話だと、出火原因を調べる為に今朝から現場検証が始まったばかりだそうだ」

「じゃあ、あたし達が着いた頃には原因が解るのかしら?」

 美由紀の言葉に誰も応えられなかった。

 千年続いた神社は、後継者の如何いかんに関わらず灰になった。金閣寺も寂光院も灰になった時は、テレビや新聞で大々的に報道されたが、薪美志神社が焼け落ちてもただ片隅に載っただけだ。輝紅が四十年ぶりに茂宗と会って、姉の妊娠を始めて知った怒りを神社に向ける。そう考えれば確率は限りなく黒に近い。

 焼けた本殿には黒焦げた柱だけが、天に向かって訴えるように残っているだけだ。現場検証では、昭和になってから設置された配電盤附近が一番よく燃えていた。

「警察は漏電じゃあないかと言っているんだが……」

「漏電! それはどうだろう。輝紅さんの事は警察には言ったのか」

 聡は首を横に振った。

「今朝、集落のおもだった者が来て、警察がそう云うのならそれにしとけ、で、話は終わったんだ」

「そうか、じゃあ今から本殿の再建が始まるのか」

 これからまた忙しくなると聡は現場を離れた。

「四十年前、耀紅に本殿の配電盤に火を付ければ解らないだろうと教えた。妹は多分それを知ってるはずだ」

 茂宗は遠ざかる聡を待って三人に告げた。

「やはり最期の最後は、耀紅さんは安産祈願で薪美志神社に立ち寄ったんじゃなかったんだ」

「兼見! それ以上はなにも言うなッ、金閣寺と一緒だ。再建されればみんななにごともなかったかのようにお参りに来る」

 此の神社を知る者が口をつぐめばそれ以外の者は誰も知らない。耀紅ようこが望んだ願望はそれでもう果てたんだ。


                                了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

願望はるか 和之 @shoz7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ