第54話 願望の果てに3

「処で、話は変わるが、まず兼見の婿養子については取りやめよう」

「エッ! 急にまた、何で、じゃあこの料理はなんなのです、それは深紗子さんもご存知なんですか?」

「あたし知らな〜い。初耳」

「深紗子さん、心変わりしたんですか」

「するわけないでしょう。お父さんが勝手に心変わりしたのよ。そうでしょうお父さん」

「じゃあ今日のこのディナーはなんなんですか」

「せっかちな奴だなあ。話を最後まで訊け、君の新しい門出だ」

「僕は別にこのまま深紗子さんと一緒になれればそれでいいですよ」

「勿論それに異存はない」

「では何が変わるんですか」

「娘の苗字が兼見に変わる。唯それだけのことだ。耀紅ようこは娘の深紗子が話したように、薪美志まきみしの名前が呪縛だたっんだ。それを先ず是正する」

「社長、何ですかその急な思いつきは?」

「別に急でもない。お前が苦労して聞き出してくれた妹の輝紅てるこさんの連絡先に掛ければ彼女は来てくれた」

「話し方が昔の雰囲気のままだからでしょう」

「深い仲ならともかく相手は当人の妹で、付き合いは浅いのに、可怪おかしいとは思わんか」

 輝紅さんが四十年振りの電話の喋り方で氷塊するわけない。薪美志家の断絶をあの電話で話したから直ぐに会いに来た。

「じゃうどうして、その時にそう言ってくれなかったんです」 

 よく考えれば千年続いたものをそう簡単には切り捨てらない。矢張り決心が鈍ったが、此処でお前達の議論を聞いて、本当のけじめとはなにかと思い詰めると、もうこれしか残らない。依って婿養子を取るのを辞めた。でも会社は今まで通り、それは宴席でハッキリみんなの前で宣言する。娘は兼見家に嫁ぎ薪美志家はわし一代で終わる。聡の方は陽子さんに一任すると輝紅さんは任した。

「あたしはどっちでもいいけれど、お母さんもこの苗字いちいち人から聞き返されるのが面倒なのよ。ねえお母さん」

「そう、おそらく耀紅さんも最期の最後までそれに拘って葛籠尾崎に着いてしまった。とあたしは説明を受けた段階でそう解釈したの」

「お父さん、耀紅さんのこと言ってしまったの」 

「だから俺は美由紀の長い苦労と耀紅の願望に応えてやると決めたんだ」

「まさか社長が。あっ、いえ。お義父さんが決めたのならそれもいいでしょうが、千年続いた薪美志家は、絶える訳ないでしょう。叔父さんが継いでいるんですから」

「そこだッ。あの時の耀紅もそれで悩んだ。あの時の耀紅の考えをトコトン美由紀に問い詰めれば、実際に切羽詰まった状況をどう説明しても、実際にあの場に遭遇しても幾通りもの手段が浮かんで迷っている内に湖水に吸い寄せられたんじゃないか。つまり美由紀は無意識のうちに身を投げたと言うんだ」

「直前ねえ。僕もそう思う。誰だって怖いから、人間そう簡単に死は選べない。でも周囲が何も見えずに行き詰まった場合は別で、直前まではそのつもりでも最後の踏み出しはもう大脳からは何の電気信号も足の筋肉には出してない。何の試行錯誤もない神経回路からでた刺激によって身体からだが動いたんじゃないですか」

 茂宗は兼見の話に耳を傾けながらもまた美由紀に聞いている。

「いよいよ追い詰められた耀紅が家に戻ると言いだして寺島さんの家を出た。此処で全ての根源である薪美志神社へあたしなら行って見届ける」

「見届けて如何する」

「思い通りにいかないから火を付けるなんて人のやる事ではない。でも霧島伸吾さんの場合は逆に追い詰められて身を隠すために火を付けた。これはやむにやまれぬ事情から発生している点が大いに違ってるでしょう」

 そこに湖北の聡叔父さんから電話が掛かった。何だ今ごろと茂宗がスマホを取ると深刻な表情になり、みんなも聞いてくれとスマホのボリュームを一杯に上げて卓上に置いた。そこに弟の聡叔父さんから社殿が紅蓮の炎に包まれている、とまず第一報が卓上に置かれたスマホから鳴り響いた。

 母が深紗子の耳元で、薪美志神社は輝紅さんが今居る寺島さんの実家とは近いか訊ねた。

「歩いて三十分ぐらい」

 そうと云ったきり母は黙った。

 茂宗は前に置かれたスマホに向かって消火状況を聞くが、うわずった叔父さんの声は中々聞き取りにくい。生憎あいにくと今日は琵琶湖に向かって吹き下ろす風に社殿の火が煽られて舞い上がった火の粉が掛かり目も開けてられんぐらい火の勢いが強すぎる。

 ーーそやったら山側には延焼せんから社務所と自宅はどうなんや。

 ーーそれは今のところ長い渡り廊下で何とか社務所には火勢は来いひんが、時間の問題や。

 なんせ本殿は檜皮作ひわだつくりの屋根と千年続いた木造は、乾燥して火の回りが早く焼け落ちるだろうと言った。

「あなた、消防車はどうなんです」

 ーーお〜い聡、消防車はまだか。

 ーー山向こうから湖岸沿いに来るから時間が掛かる。

「お父さん、本殿には火の気はないんでしょう」

「そやなあ」

 ーー兄さんいま消防車が次々と来た。

 ーー何台や。

 ーー今五台で、半島を廻ってこっちへもう五台ほどヘッドライトが見えた。

「よかったわね。何とか全焼は免れるのかしら」

 ーー聡、どうなんだ。

 ーー今、渡り廊下を壊して延焼を防いで放水も始まったから、なんとか社務所と自宅の延焼は免れそうだ。 

「叔父さんは大丈夫なの」

 ーーどこに居るんだ。

 ーー広い庭の参道から拝むように燃え盛る本殿を見ている。

 ーー聡、社殿には火の気はないだろう。放火か。

 ーーまだ何も解らんがまだその段階じゃない。とにかく今は慌ただしく消防の人が動き回って俺も邪魔なようだから自宅近くまで下がる。

「自宅まで行けば燃える本殿の様子は解らんから実況中継は此処までだなあ」

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