第53話 願望の果てに2

 茂宗は此の一連の行動を総仕上げにするつもりで記念会食を予約していた。深紗子と兼見は琵琶湖を離れると勢い余って噴き出した食欲でさえ、面倒くさくなるほど漂う疲労感で動きが取れない状態だ。更に京都駅が近付くとどっと空腹感を憶え始めて夕食をどうするかフルに使った頭脳がパンクして胃袋は苦しい悲鳴を上げていた。そこへ父からの急なサプライズに招待されればこれほどの幸福はない。とばかりに駅前のホテルで電車を降りて改札を抜ければもうホテル。そこからエスカレーターに乗ればホテルの受付で、今の疲れ切ったあたし達には何にも変えがたい。一流ホテルのシェフが作るディナーに有り付けるのなら、永原駅までの長い持久歩は、胃を最適のコンディションに持って行くには最良の運動だったわけだ。 

 駅へ着けば腹ごしらえに労力を使わずに済む。それだけで電車がホームを滑走するのがいやに辛気くさく感じられるほど、社長からの着信メールは一種の活性ドリンク剤だ。

 二人は京都駅に着くと、社長が待つ駅前のホテルで遅い夕食を摂る。

 改札を抜けて、駅の烏丸口と裏側の八条口を結ぶ広い連絡通路にある伊勢丹の反対側に、社長がディナーに招いたホテルがある。エスカレータで二階の受付ロビーを抜けて婚礼の受付相談室があり、此処には婚礼に必要なものは全て揃っている。もちろん自分で手配しての持ち込みも可能だ。その向こうには幾つかの式を待つ列席者の控え室がある。受付ロビーで訊いたのはその内の一室で、レストランの厨房にも近い。

 二人は招待された部屋へ入ると、窓側に特設された丁度正方形のテーブル席の角を挟むように、社長と奥さんの美由紀さんが座っていた。入り口側のスペースに料理や飲み物が所狭しと載ったテーブルワゴンが用意されて、傍にホテルのウェイトレスが居た。父が母に、これから裏表なく寄り添うために、巡礼の終了を持って、けじめをつける意味合いを込めて、母のために用意したディナーだ。

 兼見と深紗子が、それぞれ向かい側にいくと、ホテルの者が椅子を引いて座らせてくれた。テーブルにはフルコースの前菜とスープとワインが用意されていた。

 兼見には中々、いや、ほとんどお目にかかれない物ばかり並んでいた。

「此処に出ている料理は、今度お前達がする披露宴の料理に近い物をシェフが用意してくれた」

 ホテルの者がワイングラスにワインを注いでくれる。

「まあ先に食べ始めようか、最初の料理が済めばあとは残りを全部テーブルに揃えてホテルの人は引き揚げる。本番では一皿ごとに取り替えるが、此処ではそんなに悠長にできんから、まあ、食事が済めば最期のデザートと珈琲はまた戻って来て出してくれる」

 取り敢えず最初の一皿を黙々と摂った。付き添いのウェイターは最初の料理とワゴンテーブルに載った残りと取り替えると「ではごゆっくり」と言い残して部屋を出た。

「どうだ、今度の二人の披露宴に出る料理は」

「エッ! それじゃあ。もう料理も予約したの。で、親戚の案内状も出したの?」

 深紗子には寝耳に水のようだが、兼見に至っては満足げだ。

「今日で招待する身内はほぼ決まった。あとはお前らの友人だ」

「それじゃあ、輝紅てるこさんも呼ぶの」

「来るかどうか解らんが、お前の叔母さんになる人だ」

「お母さんはその話は聞いているの?」 

 美由紀は二十年以上も父と連れ添っていれば、薄々、耀紅ようこという女性の存在は感づいていた。そうだろうと美由紀には、寺島から聞いた耀紅の話を大雑把に説明して最後に懐妊の事実を付け加えた。

「あたしは耀紅さんが最後まで知らせなかったのは正解だと思うの」

「どうして、妊娠したんだよいずれ解るのに」

 深紗子にはこれは男の甲斐性だと思う、それで慌てる甲斐性なしには頭に来る。

「あたしは一度に重荷を背負わせるのには反対なの。そうでなくても大変なのに心の負担は少なくしてあげたい。耀紅さんもきっとそう思ったのよ」

 そうか、これが昭和の母と平成の深紗子との世代ずれだと感じた。

 そこで、さきほど説明したに四十年前の出来事で、耀紅が葛籠尾崎から身を投げた要因を美由紀ならどうするか父が訊ねた。

「あたしならそんな古い仕来りを打破したい。その勢いであの夜明け前に薪美志神社に行くわよ。今日の話を聞くと、あたしならそう考える。あんな神社なんか消えてなくなれ」

 とまさか嫉妬はないと思うが、妻の美由紀に言われてしまった。

「深紗子、お前ならお母さんの意見についてどう思う」

「あたしも、これは育った世代に関係なく、女として生まれた以上は、新しい生命を宿せばそう軽々しい行動は慎むべきでしょう」

「やはりそうか、娘も美由紀もあの頃の耀紅を彷彿させてくれる。なのになぜ意に反したのか、寺島さんはどう云ってた」

「社長、寺島さんは、耀紅さんはてっきり抜け出した実家にコッソリ帰ると疑わなかったようですよ」

「お父さん、それは一緒に話を聞いた輝紅てるこさんもそう感じ取ったみたい」

「耀紅の最後の行動に同情する者は独りもいなくて、みんな否定的な意見ばかりか」

 中々、耀紅の真髄に迫ろうとしたが、最後の行動がみんなハッキリしないのは、やはりみんな耀紅の性格を十分に理解してないのか。じゃあどうすれば引き出せる。茂宗は聞き取りの根本的な切り替えに迫られた。みんなより近い存在の茂宗が、耀紅の真髄に迫れないなら恋人の資格はない。じゃあどうすればいいか。此の名前に誰が価値を持つと言うのだ。耀紅はそのために思い詰めてしまった。そうだ、それだと感じた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る