第52話 願望の果てに

 深紗子と兼見は寺島さんの実家を辞して、歩いて一キロほどある近くの永原駅に向かった。信州や東北に劣らぬ景色が堪能できるのはいいが、毎日の通学にはこの距離はこたえると思った。

「お父さんはあたし達を残してサッサと行ってしまうし、うんざりするのよねー」

「そう決めつけないほうがいい。だって社長は四十年も心に留めていた。もうこれ以上は社長もうんざりしている」

「仕事はバリバリやるのに、切ない想いが絡むと躊躇ちゅうちょする。そう云う所があなたと一緒で優柔不断なのよね」

 今日一緒に巡礼して社長が人間性に富んでいる、とどうして解釈しないんだ。そこを深紗子は受け継がないで、他の劣性遺伝たる気性の烈しさを受け継ぐなんて。母親が純粋なだけに思いやりを出し惜しみする処も気に入らない。純粋なのも良いがその前にもっと思慮深い性格を、耀紅ようこさんが身に付けていれば、あんな未知な体験を引き起こさなかった。

「ところで深紗子さんは、寺島さんの話から何処まで耀紅さんの心境に迫れたんですか」

 ロメオやロメオ、何故あなたはロメオなの。葛籠尾崎の突端に立つ耀紅はおそらく茂宗さんを「どうしてあなたは薪美志家の人なの」と飛び降りる前に称えたかも知れない。そうは云っても深紗子さんのジュリエットは、気性が災いしてシェークスピアの構想から外れている。

「そうかしら」

 そんな物に陶酔する姉ではないのに魔が差したと輝紅は云った。それを思うと深紗子のジュリエットは適役じゃない。

「僕が思うに、社長は美由紀さんに巡り合わなければ此の先もまだ引き摺っていたでしょう」

「ちょっと、そんなあたしの存在そのものを否定する縁起の悪い仮説は立てないでよ」

 今さらそんな両親の未知の遭遇を引き合いに出しても、無意味だと深紗子は言って退けた。

 JR永原駅のホームに着く頃には、陽射しも伸びて西に傾くと気温も下がり出した。 

 ふたりは奇しくも同じ時期、同じ時間に此処で帰りの電車を待った。

「此処じゃないけれど一つ隣のマキノ駅で、お父さんと耀紅さんは丁度夕暮れどきにこんな風にして電車を待っていたのね」

「だけど俺たちとは条件が掛け離れすぎている」

「もしも内のお母さんだったらどうするか考えていたの」

 さっき聞いた寺島さんの話では、耀紅さんは自分のことよりお父さんの行く末を考えていた。その為には彼女に取って何が得策なのか。その究極の行き先が葛籠尾崎ではなかったはずだ。これが深紗子さんが、母親の思考パターンに沿って導かれた解答だ。

「それって入力したデーターに間違いはないのか? 四十年前のお母さんと今のお母さんとの誤差は生じてないのか?」

「あたしは両親の遺伝子、主に母親の方を一方的に受け継いでいるのよ。まるで一卵性双生児のように洋服を買いに行っても、結構似た物を買っちゃうから。あとでお母さんは吃驚しているわよ」

「その一方的に受け継いだ遺伝子は劣性でしようか、それとも優性なんでしょうか」

 これにはそっぽを向かれてしまった。

 どう見ても冷静さと大胆不敵が同居した頭では、難解な事件には不向きな気がする。今日、寺島さんから聞かされた耀紅さんの行動を、深紗子さんの考えに照らし合わすと少しは読めてくるが、お母さんの美由紀さんならもっと的確な答えが導き出されそうだ。

 いよいよ電車がホームに入ってきた。四十年前、この時の二人はもはや究極の時空を超えて別離に時間の全てを裂かねばならい状態だ。此処で耀紅は、平等の愛に終止符を打ち、時空を超えてしまった。即ち一方を引き立てるにはどうすれば良いか、どうすれば彼を支えられるか、これが耀紅の愛だと言い切ってしまえば、その目標に突き進むのはやぶさかではない。いや、積極的に対応してこそ、あの人もあたしも身が成り立つ。その過程はどうあれ、まず垣根は取っ払うことだ。この場合最大の障害物は言うまでもなく、二人の前途をはばむ薪美志神社の社殿が視野一杯に広がって来た。なんせ千年ものあいだその前途を塞いでいた。純粋に己の心に生きようとする心を塞いでいたのは、あの鳥居から続く社殿は二人には形骸化した化け物だった。

「あたしが母の頭の中を覗くと、おそらく耀紅さんの頭の中も、ざっとこんな風に凜としたものが漂っていると思う」

「深紗子さんが脳裏で念写したそれって、寺島さんの話から導き出した結論とどう違っているの」

「うるさい! 信じようと信じまいとそれはあなたの勝手、でもあたしは母の語り口の代弁者だから、そこはご勝手に解釈すればいいでしょう」

 と居直られてしまった。

「もうお父さんは家に帰って、お母さんにこの巡礼の一部始終をすべて包み隠さずに報告しているはずよ」

「そう云う予兆はあったんですか」

「あったと云うより、いつかは胸を開いてくれると母はあたしに言っていたんですもの」

 もう昔の面影を引き摺るのでなく、切っ掛けを掴んだのなら、今を生きている目の前の人に託すべきだと、母はその時を待ち続けていた。

 なるほど。だからこそ社長は耀紅さんの面影に、けじめをつけて美由紀さんに想いを詰め込んでしまったのか。  

 父からメールが来た。 

 内容は二人を置き去りにした罪滅ぼしなのか、駅前の一流ホテルでディナーを用意したので、電車を降りたら直行するように知らせて来た。これが父流のけじめの付け方なら大賛成と疲れもどっと吹き飛んだ。


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