藤の花の下で、香りが誘う 

@tumarun

第1話 隠れ家


 授業が終わり、学校を出て家路を戻る。

 途中、学校の敷地を望むような標高の小さい山の麓あたりで、微かな、本当に微かな香りがした。甘くて爽やか感じがする。ジャスミンかと思うけど少し違う気がした。なぜって、以前、この香りを嗅いだことがあるの。まだ、私が小さくて記憶も定かではない頃だと思うのね。通学に使っている道路の側で立ち止まり、辺りの見てみた。それらしい花なんてない。


 ん、


 頭の奥の、奥の奥にあった、小さい時の頃が思い出された。


「確か山の上に公園があったっけ」


 記憶を確認するために、独りごちる。

 思い出が私の足を動かし出した。公園まで行く道路を歩き出す。登り出す。公園は山の上にあったんだ。

 途中、遊歩道があり、登り降りする階段を見つけた。多少、疲れてはいるものの、その階段を上ることにした。

 私の中で何かが急かす。そこに行きなさい。そこには………。

 

微かな甘い香りがする。そよ風に吹かれて私の頬をそっと撫でるように流れていく。

 行き先は間違っていない。この先でいいのね。香りが私を案内してくれているように思えたの。

 息が少し苦しくなるまで登っていくと、目の前が開けて広い空間が広がる。

 車が数台止まれる駐車場とフェンスの向こうに垣根と芝生と、そして遠くへと続く街並み。あの高い建物は校舎ね。体育の時に運動場から見える姿と同じなの。

 そうか、この公園から私の通う学校が見えるんだ。その風景が見たくて、歩を進めていく。

 駐車場を過ぎて公園の入り口まで来てしまった。その公園は周囲を生け垣が囲み、その敷地の両側に木が立っている。

 そこには輝く翠の輝かしい若葉が茂り、ところどころ淡い紅色の花が肩を寄せ合うように咲いている。いつかは葉っぱに埋もれてしまうだろうに。

 そう、桜の花の時期が終わったんだね。代わりに、生垣にツツジが咲き出している。白や臙脂色の花が生垣表面を覆い隠している。

 地面を見れば、シランの群生が白や紫の、その花を我先にと咲き乱れている。でも、さりげなくオキザリスも、その儚いピンクの花をあちこちと咲かせている。


「この色合いは覚えているわ」


 私の中で色褪せていた花たちの記憶が色づき出す。この花やあの花は、こんな色をしていたんだね。その時々の思い出と重なっていく。

 そんな花たちの間を抜けて公園の端に行く。開けた視界の先には、赤、青、緑の洋瓦、黒や灰色の和瓦。オフホワイトなんかのカラフルなビルの外壁がアスファルトに区分けされてモザイク画を作り、幾つも展示されている。


「あれが、私のいる学校」


 私が見ている風景の中で、一際、目立つ木々と建物に広場が見える。すごく小さい蟻みたいなのが直線、曲線と図形的に動き回っているのか見える。

 その中に友達のミッチもいるのだろう。トラックを走っているに違いない。

 一孝さんがやっているバトミントンはインドアスポーツ。体育館の中で行うから見えないな。 

 すると三度、香りが頬を撫でる。ふと、振り返るとツツジの咲く生垣に隙間があるのが見えた。

 人が通るのが精一杯の間隔もない。小さい子供なら行けるかな。


「そうだ。ここ! この先に進んだんだね」


 ポツポツと沸き立つ記憶の残滓。ひとつひとつを反芻しながら生垣の隙間に制服を着た体を押し込んでいくと、その先の視界が開けた。

 少し開けたところには、藤棚があった。その下にはベンチもあるから、のんびりとすることが出来そう。

 生垣が絶妙の高さで藤棚の下を隠す。だから他の場所から見えずらいの。

 そしてベンチに座り見上げると、小さな薄紫の花が鈴なりになって私に落ちてくるように見えるの。それも数え切れないぐらい沢山。

 花がふさ状になって、枝垂れ柳のように地面に向かって咲いている。

 それが天上の棚からいくつも下がっている。


「花に埋もれる」


 咄嗟に目を瞑ってしまう。そんなことがないはずなのに、そう思えるぐらい沢山咲き誇っている。

 微かに風が吹く。花が揺れる。そして花から匂い立つ香りが私に降り注ぐ。


『ようこそ、いらっしゃいました』


って花先が揺れる。歓迎してくれてるみたい。


『私を見て、もっと見て』


って香りが私の頬を撫でる。催促されているみたい。


『おかえりなさい』


って風に房がそよぐ。想いを伝えて来ている。


 そう、小さい頃に、この公園のここの藤棚に私はいた。この藤の花も見ている。なんで、なんで忘れていたんだろう。昔、ママやお姉ちゃん、私、そして一孝さんとここに来たんだ。かくれんぼをやって、この藤棚を見つけた。

 でも、生垣がここを隠して私を見つけてもらえなかった。ひとり心細くなってしまって涙もで出来たっけ。

 すると、ガサッ、ガササッて音がして、誰かが飛び出出来たっけ。




ガサッ、ガササッ


「!」


 音がして生垣から誰かが出てきた。私より、ちょっと年少と男の子………じゃない。


「美鳥、こんな所にいた」


男の子とイメージが重なる。


「一孝さん!」


「全く、隠れんぼじゃないよ。探したんだぞ」


 そう言って彼は目を見開く。体を硬直させて私を見てくるの。


「一孝さんこそ、脅かしっこなしです」


 驚いて弾む胸を手で押さえて落ち着かせる。


「部活が早く終わったんだ。もしかして学校にいるかと思ってコットンに聞いた」


 軽く息を吐いて、彼がつぶやく。


 ああ、あの生意気な粘土フィギュアね。金髪に見まごう亜麻色の髪とヘイゼルカラーの瞳を持つ御人形。私の分身みたいに私にそっくりで私と継っているみたいなの。


「なんか、高いところで花の香りに包まれているって聞いて、この場所の感じかした。昔、遊んだところだよな」


 一孝さんも、ここで遊んだことを思い出してくれたんだ。


「ここを目指して走ってきたら、微かに甘い香りがしたんだ。風に運ばれて。そして思い出して生垣の隙間にいいって抜けたら」


 そう、私も香りに誘われたのよ。


「美鳥がいた。ここにいた」


 一孝さんは私に近づいてくる。そして私の前にひざまづくと、そのままハグしてきた。落ち着いたはずの心臓の鼓動が早くなる。顔が熱い。


「さっき、俺の動きが止まっただろ?」


 彼が耳元で話す。心地よい響きが私を溶かしていく。


「なんか美鳥が藤の花に囲まれて綺麗だったんだよ。妖精かと思った」


 彼の言葉に酔ってしまいそう。目が潤んでしまう。思わず、私も彼を抱きしめてしまう。


 そして、お互いの目を見つめて、唇も、



 時間が止まる。違う。2人だけの時間がゆっくりと動いているの。ゆったりと流れていくの。



 ふと、微かに甘い香りがした。間近に見える一孝さんの顔との間に香りが流れていく。       私は彼の唇から離れた。辺りを見渡す。一孝さんも同じように見回した。


「美鳥?」

「一孝さん?」

「幻聴かなあ、『おかえり』って感じた」


 何かを探すように、再び、彼が頭を巡らす。


 あぁ、一孝さんも聞こえたんだ。あの想いを。私も聞こえたよ。


「小さかった時に、ここで遊んだことを私も思い出したよ。この香りで」


 私は彼の目を見つめ直した。


「だから、来よ。ここに来よ。もっと来よう」

「美鳥」

「私も、ここに来たい。藤の花も認めてくれたんだよ。ここに居なって」


 そう、私たちの、ここは逢瀬の場所。


 彼が唇を開けようとした。すかさず私は、



塞いでしまう。

 再び、2人の時間が流れる。そして藤の花の甘い香りが降りてきて私たちを包む。祝福してくれていると思うのは、私の欲目かな。

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