第3話 ファーストコンタクト
一度目のラッパが鳴り響いて、世界が
二度目のラッパは、汚らわしい怪物を連れてきた。
三度目のラッパで、決して癒せない病が生じた。
四度目のラッパが、星を落として大地を毒した。
神様が
あと三回――七度目のラッパが鳴ったとき、世界は終わりを迎えるのだと神父様は言うが、それを待つまでもなく人間は死に絶えるだろうとリヴィアは思う。少なくとも、リヴィアが最後のラッパを聞くことはない。
リヴィアは、醜く変質した己の右腕を見る。指先から溶け崩れた肌はどす黒くぶよぶよとした肉の塊となり、リヴィアの意思とは関係なく
心まで化け物になって人を襲う前に、新たに穢れを撒き散らしてしまわぬうちに、リヴィアは死なねばならない。仕方がないことだと理解はしている。穢れに侵されてしまった以上、助かる術はないことも承知している。
それでも、これはあんまりだとリヴィアは思う。
「くたばれ化け物!」
「さんざん男を誑かした罰が当たったんだな」
「ざまあ見ろ! 売女にふさわしい末路だ!」
「早く死ねよ! 俺たちまで化け物にするつもりか!」
処刑の場だった。街の外れの空き地に、リヴィアは拘束されていた。施された足枷から伸びた鎖が、打ち立てられた柱に繋がっている。眼前には毒の盛られた杯が置かれ、周囲を取り囲んだ街の住民たちはリヴィアを罵りながら、彼女が杯を呷るのを今か今かと待っている。誰もかれも見知った顔だが、リヴィアの身に降りかかった不幸を憐れむことも、またその経緯を斟酌する様子もなかった。
「お姉ちゃん……っ。やだ、やめて……」
唯一の例外は妹のユリアだったが、リヴィアを逃がそうと試みて、あっさりと捕まってしまった。いまは体格のいいカイウスに腕を取られ、地面に押さえ付けられている。ユリアの顔は苦痛に歪み、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「お願い、ユリアを離してください。お願いします」
「こっちが悪いみたいな言い方はよせよ。お前がさっさと死なねぇから、こんなことになってんだろ?」
カイウスの言葉に、かっと頬が熱くなる。けれど、明け方からこちら、散々罵倒されたせいでぼんやりとする頭では、筋道立った反論は浮かんでこなかった。
「それは……だって……」
「本当はさ、俺だってこんなことしたかねぇんだ。わかってんだろ? 穢れに憑かれちまったら、なにをどうしたって助かる方法はねぇ。穢れ憑きを助けようとすんのは重罪だ。まったく意味がねぇし、最後は決まってひでぇことになるからな。で、ユリアはお前を助けようとしちまった。それはここにいるみんなが見てる。言い逃れはできねぇ。ユリアはこの場で袋叩きにされたって、文句は言えねぇんだぜ?」
恫喝するように告げたカイウスは、空いている方の手でユリアの頭をぶった。特段力を込めてはいないようだったが、かと言って
「いや、そんな、酷い……ユリアが死んじゃう……やめて、やめてください……」
「そうだよな、酷ぇよなぁ。でも、酷ぇのは俺たちじゃあねえ。お前だよ、リヴィア。もう死ぬしかねぇってわかってんのに、だらだら俺たちを危険に晒して、妹を罪人にしちまって、しかもそれを見捨てようってんだからな」
「ち、ちがっ……見捨てようなんて、思ってない!」
「ならなんで毒を飲まねぇ? そうすりゃ全部丸く収まるんだぜ? 俺たちゃ化け物に襲われずに済むし、お前は人間のまま死ねる。お前がいなくなりゃあ、ユリアを罰さなくて済むかもしれねぇ。みんな許してくれるはずだ。万々歳じゃねぇか。俺たちはまた助け合って生きていくさ。身寄りをなくしたユリアの面倒だって、責任もって見てやるよ」
「う、うぅ……」
毒の盛られた杯の存在が、強く意識された。これを飲めば、ユリアは助かる。リヴィアもこれ以上、見知った顔から心無い言葉をぶつけられて傷つかずに済む。少しずつ体が作り変えられていく恐怖も終わる。楽になりたいと、リヴィアは思った。思ってしまった。リヴィアの左手が、毒の盃へと伸びてゆく。
「やめて! お姉ちゃん、やめて!」
ユリアの悲痛な叫びにも、リヴィアを止める力はなかった。
「ごめんね……ユリア」
リヴィアが毒を飲み下そうと杯を掴み上げた、その時――
「ああああぁああああぁああああぁっ!!!」
広場に叫びが響き渡った。唐突な大音声に、リヴィアの体が強張る。いったいなんだと事態を把握する暇もない。なにか重たいものが胸にぶつかってきて、リヴィアは押し倒されてしまった。強かに背中を打ち付けた衝撃に息が詰まる。
「いってぇ……え? は? なに? なんなの……?」
リヴィアの上で、何者かが呟いた。耳慣れない男の声に、それはこっちのセリフだとリヴィアは思う。せっかく決意を固めたところだったのに。全部、終わらせようとしていたのに。どうして邪魔したんだ。文句を言ってやりたくても、息は詰まっているしお腹の上に乗られているしで声が出ない。
ともかく、まずはどいて欲しい。どうやら男とリヴィアは、地面に十字を書くように折り重なって倒れているようだ。リヴィアから見て、右手側に男の上半身がある。
――右。穢れに憑かれて変質した腕。
リヴィアの思考が穢れた右腕に至ったのと男が身を起こそうとしたのは同時で、警告するだけの時間はなかった。
体重を支えるために伸ばされた男の手が、地面ではなくリヴィアの右腕を掴む。ぶにゅりと気持ちの悪い感触がしたはずだ。体を持ち上げようとしていた動きが中途半端なところで止まった。驚いたのだろう。その目がリヴィアの右腕へ向けられる。視線は腕をたどり肩を越えて、すぐにリヴィアの顔までたどり着いた。男の表情がさらなる驚愕に染まった。
見覚えのない顔立ちの男で、話に聞いたこともない黒い髪をしていた。誰かはわからないが、きっとこの男にも罵られるとリヴィアは思った。動揺して言葉もないのはいまだけで、男はすぐに我に返って激高するだろう。罵倒だけでは済まず、乱暴されるかもしれない。
だって、穢れをうつしてしまった。こうまで強く穢れに触れて、無事に済むわけがない。この男はもう死んだも同然だ。男はこれから、リヴィアと同じ目に遭う。鎖に繋がれ、みんなから死ねと言われて、最後には毒を飲まされる。可哀想だと、取り返しのつかないことになってしまったとリヴィアは思う。
そして男の口が開く。そこから出てきたのは、思いもよらない言葉だった。
異世界の大塚 @gramdring
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