第2話 拒否権はない

「……えっと……あなたは?」

「わかりませんか?」


 なんだその反応。もしかして、どこかで会ったことがあるのか? 冷たく凍った美貌をまじまじと見つめるが、まったくピンとこない。


「わかりません」

「そうですか。大塚さんがわからないのなら、私にもわかりません」

 おちょくられてるのかな? それとも哲学な人かな? どう返答すればいいのか困る。ていうかこの人、俺の名前呼んだ?

「あなたは俺のこと知ってるんです?」

「まだ知りません」


 意味が、意味がわからねぇ……名前知っとったやろがい。


「まずは座りませんか?」


 美女に言われて気づく。這いつくばったままだと、スカートの中を覗こうとしているみたいだ。驚きすぎたせいか心臓はバクバクで、ちょっとどころではなく息も荒くなっている。かなり変態っぽい。彼女から漂う寒々しい空気も、その辺りに理由があるのかもしれない。奇声を上げつつデスクチェアから転げ落ちた様に引いているだけかもしれないが。

 立ち上がってみると、見慣れたオフィスではあるものの俺と謎の美女以外誰もいないことがわかった。トラックが暴走した痕跡もない。マジで何なんだこの状況は。理解が追いつかない。自分を落ち着けるように深呼吸してから、デスクチェアに腰を下ろした。

 俺が改めて誰何の声をあげる前に、美女が口を開いた。


「異世界転生トラック、ご存知ですよね?」

「……知ってますけど」

「それなら、あのトラックに轢かれたらどうなるか、おわかりですよね」

「わかりますけど……えっ? まさか、ここが異世界?」

「まだ違います」

「まだ」

「ええ。あなたが異世界に転生するのはこれからです。さしずめ私は、その案内人といったところでしょうか」

「いや、異世界とか普通に行きたくないんですけど」


 家族がいるし、仕事もある。やり残したことだって一つや二つではない。このまま現世から退場はちょっとどころじゃない抵抗がある。


「もちろん、転生を拒否することもできます」


 できるの? 二度と帰ってこられないってのは嘘だったのか。


「ただしその場合、大塚さんの存在はこの場で意味消失します」


 意味消失とはなんだろう。響きから想像するに、あまりいい内容ではなさそうだ。


「ざっくりと言えば、死んでしまうということです」

「なんで拒否したら死んじゃうんです?」

「お気づきでないかもしれませんが、大塚さんはいま、意識だけの存在です。器――肉体がなければ、大塚さんの意識は遠からず崩れて消えてしまいます」

「意識だけ? でも、こうして椅子にも座れてますけど」

「それはこの場の仕様です」

「仕様って……そもそもここは何なんですか?」


 全然人の気配がないし、窓の外からは車の音一つ聞こえてこない。目に映るのはいつもの景色なだけに、異様な不気味さがある。


「あえて言うなら、あの世でしょうか。死後の世界と思っていただいて差し支えありません」

「えっ? 俺もう死んでるんですか?」

「肉体的には死んでいます。トラックにはね飛ばされた衝撃でぐちゃぐちゃです」


 い、言い方ぁ!


「そんなこと急に言われても、信じられないんですけど……なにか証拠とかないんです?」

「回収した体をお見せすることもできますが、やめておいたほうがいいでしょう。いまは落ち着いているようですが、自らの死に様を前にして冷静のままいられるとは思えません」

「えぇ……」


 落ち着いているというよりも、わけがわからなすぎてパニクることもできないって感じなのだが。


「てか、あのトラック運転してたのってあなたなんですか?」

「あれを制御することは誰にもできません」


 違うのか。誰にも制御できないって、思春期の性欲みたいなやつだ。


「ともかく、大塚さんの選択肢は異世界に転生するか、このまま意味消失するかの二つに一つです」

「その二択ならまあ、転生ですけど」

「承りました」

「いや、今のは意思表示じゃなくて、選ぶとしたらそっち、くらいの話なんですけど」

「いくつか確認させていただきます。まず、大塚さんにできることを教えて下さい」


 聞いちゃいねぇ。まさかこのまま流れで転生させられるなんてことになるのか? 誰もいないオフィスで謎の美女と会話しているこの状況もかなり現実離れしているけれど、転生とは。あり得ない。二十九年生きてきて、金縛りにすらあったことなかったのに。こんなのってある? ほんとに俺って死んじゃったの? 異世界転生トラック、マジのマジなの……?


「答えてください。できることはありますか? 仕事は何をしていましたか?」

「仕事……会社で使う事務用品発注したり勤怠管理したり、総務っぽいことしてました」

「それは、異世界で役に立ちますか?」


 急に採用面接っぽくなってきた。ていうかそれは俺が聞きたい。


「どんな世界かにもよると思いますけど、パソコンと表計算ソフトがあれば」

「あるわけないじゃないですか」


 ですよね。


「大塚さん、人を殺したことは?」

「あるわけないじゃないですか」

「ですよね。人を殴ったこともなさそうですし」


 なんか小馬鹿にしたような言い方だけど、暴力振るったことないってまあまあ美徳なんじゃないの?

 不服に思っていることが伝わったのか、美女は呆れたように言う。


「大塚さん、今のままでは異世界でやっていけませんよ。価値観をアップデートしないと。殴られたら殴り返すんです。殴られなくても殴るんです。目があった相手は半殺しにして、足でも踏まれようものなら全殺しです。あなたが転生するのは、そういう世界なんですよ?」

「異世界やばすぎるでしょ」


 価値観アップデートじゃなくて蛮族に退化だろ、それ。


「今のはちょっと誇張してお話しましたが、世界は暴力に支配されていると言っても過言ではありません」

「誇張? 本当に誇張ですか?」

「それはご自分の目で確かめてください」

「お、おう……」


 どうしよう。この人ちょっとうざいな。V〇ャンプの攻略本みたいなこと言いやがって。


「ともかく、あなたの平和ボケしたあまっちょろい価値観なんて通用しないことだけは確かです。気を抜いてるとすぐに死にます。野宿なんてしようものなら即死です」

「異世界やばすぎるでしょ」


 なんで? なんで屋外で寝ただけで死んじゃうの? それも誇張なの?

 もしかして異世界行くくらいなら、ここで消えてしまったほうがまだ幸せなのでは……?


「不安になりましたか?」

「異世界には行かない方がよさそうだと思い始めてます」

「そんなあなたに朗報です。転生特典として、今ならなんと異世界転生スタートアップキットを差し上げます」

「スタートアップキット」

「これさえあれば冒険者ギルド登録後即Sランク、キャーキャー言ってくる女の子をとっかえひっかえ楽しんだり、奴隷たちを助けてハーレムを築いてみたり、俺TUEEEEの末に諸国の美姫たちと酒池肉林を営むことも叶うでしょう」

「すごい。なんて俗っぽい例えなんだ」

「でも、お好きでしょう?」

「がぜん興味が湧いてきました」


 ところで美女は顔を合わせてからこちら、険しい眼差しで俺のことをほとんど睨みつけていたのだが、答えた途端にそれがいっそう鋭いものになった。もしも視線に圧力があるのなら、俺の体は真っ二つに引き裂かれていただろう。そう思えるくらい強い眼差しだった。

 この人、俺のこと嫌いなの……? でも、会話を嫌がっている様子はないんだよな。ただ表情だけが険しすぎる。いったいどういう感情なんだ。


「では、内容をご説明します。まずは異言語を理解する力」


 俺の困惑をよそに、美女は話を進めた。鉄板のスキルだ。次はきっとステータス閲覧のためのアイテムや鑑定スキル、時間経過のないアイテムボックスとか転移魔法やら取得経験値100倍みたいなボーナスに超すごい魔法の才能、あるいは恵まれまくったフィジカル不老不死ぷらす成長限界突破特性等々。そういった能力がもらえるはずだ。俺は詳しいんだ。


「そして、想造。以上です」

「ぜんぜん違った」

「なにがです?」

「いえ、もらえるスキル? が思ってたのと違ったなと……それより、ソウゾウってなんですか?」

「あなたが思いうかべたことを現実のものとする力です」

「え? じゃあ百万円ほしいと思ったら出てくるし、マッチョになりたいと思ったらマッチョになれるし、恋人欲しいと思ったら恋人ができるってことですか?」

「その理解で概ね間違いありません」

「やば……無敵じゃあないですか」


 そんな能力あったら開始時点でゲームクリアでしょ。勝ったな。


「もちろん制約もあります」

「制約?」

「あなたの権限を越える想造は基本的に実行できませんし、リソースが不足していても同様です。他の意志ある存在に影響を及ぼす想造の成否は、対象の権限、意志の力及び知性と対抗して判定されます。なお、このとき想造の内容が対象の意に沿ったものであればあるほど、判定はあなたに有利になります」


 ……なるほど?


「いくつか気になるんですけど……まず権限ってなんですか?」

「RPGで言うところのレベルと思っていただいて差し支えありません」

「じゃあ、モンスターとか倒すと上がるものなんですか?」

「権限は経験と実績によって拡大しますし、精神状態によって変動します。モンスターに類する存在を打倒することは、効率的な拡大方法の一つですね」


 精神状態によって変動するってのはよくわかんないけど、これから行く(暫定)世界にモンスターっぽい生き物がいることはわかった。普通に嫌だ。


「えーっと、リソースが足りないとできないって話でしたけど、リソースってそもそもなんなんです? 失敗したらデメリットがあるんですか?」

「想造を実行するために消費されるエネルギーや素材を一括りにリソースと呼称しています。もちろん、実行する想造によって要求されるエネルギーの量、素材は異なります。また、エネルギーのみで想造は可能ですが、素材を用意することでエネルギーの消費量を抑えることができます。失敗した際のデメリットはないはずですし、リソースも消費されません」

「ないはずって、確定じゃないんですか?」

「仕様書にデメリットの記載はありませんが、実際に運用されたことがないので断言はできません。なお、仕様書は部外秘のためお見せすることはできません。悪しからずご了承ください」


 先読みで断られてしまった。仕様書見てー。いったい誰が作ったんだ。神様か? ……まあ、考えたって仕方がないか。実のあることを聞こう。


「素材はなんとなくイメージつくんですけど、エネルギーは……電気とか使う感じですか?」

「いえ、ここで言うエネルギーは大塚さんの心の力、精神力ですね。RPGで例えるのならマジックポイント、MPです」


 精神力か。あんまり自信ないぜ。


「精神力って使いすぎると体によくなかったりします?」

「精神力が尽きると昏倒しますが、一定値まで回復すれば意識を取り戻します。治療を要するほどの健康被害が発生することは恐らくないでしょう」

「誰も使ったことないからわかんないんですね」

「おっしゃる通りです。ただ、先ほども申し上げましたが、野外で意識を失った場合、命の保証はありません」

「それほんとに怖いんですけど、なんで野宿したら死んじゃうんです?」

「危険だからです」


 それは答えになってないんだよな。


「どういう危険なんです?」

「それはご自身の目でお確かめください」


 これまた答える気ゼロですね。ホスピタリティとかないのだろうか。


「大塚さん、これは意地悪をしているわけでも、困惑する大塚さんを見て楽しんでいるわけでもないのです。転生者に、転生先の個別具体的な情報の開示は禁止されています。こうして大塚さんと顔を合わせるのも、本来は許されないことでした。何の説明もなく転生者を異世界に送り込むのが、通常の手順です」

「なら、なんで……あなたは俺にいろいろ説明してくれているんです?」


 そこでようやく、美女の顔からふっと険が取れた。いや、取れたどころではない。今までの表情は何だったんだと聞きたくなるくらいの、見惚れてしまうような笑みを浮かべた。


「大塚さん、私はあなたに感謝しているんです」

「感謝、ですか?」


 やだ、こんなの好きになっちゃう……なんて馬鹿なことを考えていた俺でも、その言葉の矛盾に気がついた。

 あんた、俺のこと知らんて言っとったやろがい。


「ええ。なんのことかわかりませんよね。あなたは私を知らないし、私もあなたを知らない。いまはまだ、私は現世に形を得ることもしていません。それでも、覚えているのです。あなたは私に手袋をくれた。だから私は、規則を曲げてまで、ここにいるのです」

「は、はぁ……」


 知らないのに覚えてるってなんだよ。前世の話? 謎かけか何かか? 手袋ってそんなでかい理由になる? わからん。

 答えあぐねていると、不意に景色がゆがみ始めた。目に見えているあらゆる物の輪郭があやふやになってぼやけていく。


「な、なんだこれ」

「時間のようですね」


 慌てふためく俺とは対照的に、美女は落ち着いたものだった。表情はすでに見て取れなくなっていたが、声音でそれがわかった。


「およそ三十秒後に大塚さんは異世界に放り出されますが、最後に何か聞いておきたいことはありますか?」


 三十秒て。時間制限あったのかよ。めちゃくちゃのんびり話しちゃったじゃねぇか。ていうかまだ異世界行くって明言してなくない? まあ、行くしかないとは思うけど……聞きたいこと? ありまくりだわ。まだ特典のことしか聞いてないし。目的とかわかんないし。異世界転生って魔王とか倒せって言われるものじゃないの? あ、それは転移か? ともかく何したらいいか全然わかんないんですけど。こちとらゲームするとき攻略wikiとかめっちゃ見ちゃう世代なんですけど。あんまり失敗とかしたくないんですけど。さっきさらっと言ってたけど、放り出されるってなに? 転生って赤ちゃんからやりなおすものじゃないの? だめだ。何を聞くにしたって時間が足りるとは思えない。だったら――


「異世界で生きるために一番大事なことを教えてください!」

「想造を過信せず、ほかの誰でもなく自分のために生きることです」

「……なるほど?」

「特別な力があっても、あなたは一人の人間でしかないのです。どうか、それを忘れな――」


 美女の声が途切れる。三十秒が過ぎたのだろう。

 ぼやけにぼやけた視界は、もはや極彩色の渦としか認識できない。手を伸ばしたら、まだ美女はそこにいるだろうかと考えて気がついた。まったく身動きができなくなっている。セーフティーバーに押さえつけられて運ばれるジェットコースターの最初の上り坂がなぜだか連想されて、一気に怖くなってきた。

 これで転生? マジで異世界行っちゃうの? 全然話途中だったじゃん。まだ名前も聞いてなかったのに。ちょっと待ってくれと言いたいのに声も出せない。あかん、ほんとに怖い。

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