異世界の大塚

@gramdring

第1話 トラックにはねられて

 異世界転生トラック。昨今、SNSの片隅で囁かれるようになった都市伝説だ。

 都市伝説にいわく、トラックはどんな場所にでも現れる。トラックに運転手はいない。トラックはイ○ズ製である。トラックは誰かをきはねるまで止まらない。はねられた者はトラックとともに忽然と姿を消してしまう。姿を消した者が行き着くのは異世界である。異世界に迷い込んだ者は二度と帰って来られない。

 帰ってこられないのに、なんで行き先が異世界だってわかるんだ? ツッコミをいれたくなるところだが、都市伝説など得てしていい加減なもの。馬鹿な話を考えるやつもいるんだなと、ほんの数秒前までは思っていたのだが、今は違う。そのトラックに轢かれたら、本当に異世界転生してしまうのかもしれない。薄々考えてしまうくらいには、馬鹿な話を信じかけている。少なくとも、トラックの実在については疑っていない。

 なぜか。

 だって、ここはオフィスビルの四階なのだ。そしてそのフロアの中央に突如としてトラックが現れたのだ。壁や床を突き破ってきたわけではない。気がついたときには、まるでずっとそこにあったかのようにトラックは存在していた。その横っ腹にはイ○ズのロゴが刻印されている。イス○製、マジじゃん……。


「トラック?」

「いや、え?」

「これって……」


 同僚たちはただただ困惑している。状況がわかっていないのだろう。俺もわかっているとは言い切れないが、都市伝説のとおりならトラックは誰かをきはねるために動き出すはず――と考えたそばからだった。

 どるるん、とトラックのエンジンが唸りを上げた。反射的に運転席を確認するも、人の姿はない。マジかよ。異世界転生トラック、マジなのかよ。

 もしもトラックにかれてしまったら、本当に異世界に転生なんてことになったら……どうなるかは全然わからないが、親父とお袋に孫の顔を見せる前に現世から退場するわけにはいかない。逃げなければ。どよめくばかりの同僚たちにもそのことを伝えなければ。


「このトラック……動くぞ!」


 焦りすぎてロボットアニメの主人公のようなことを叫んでしまった。いまいち緊迫感に欠けるセリフだったからか、同僚たちは腰を浮かせることすらしない。


「いいから逃げろって!」


 だが、トラックのほうが早かった。デスクにぶつかるのも、観葉植物を踏み潰すのも、天井に頭を擦り付けるのもかまわず動き始める。

 いまさらのように悲鳴が上がった。だから言ったのにと思うが、そんな俺にこそ油断があった。トラックは俺に横っ腹を見せていて、「轢かれるのはまあ、正面にいる後藤だろ……ぐっばい後藤。ふぉーえばー後藤」などと考えていたのだ。

 甘かった。

 トラックは動き出すと同時に大きく旋回して、どんがらがっしゃんとデスクやら何やらを弾き飛ばしながら、その頭を俺へと向けた。

 こっち来んのかよ!

 都市伝説を信じるならば、誰かをはねた瞬間にトラックは消えてくれるらしいのだが、幸か不幸かその進路には誰もいない。逃げ出そうにも背後は窓であり、左右はデスクに挟まれている。僅かな逡巡の後、デスクを乗り越えようと決めたときには、トラックはもう目前まで迫っていた。いったいどんなエンジンを積んでいるのか。速すぎて避けようがない。すさまじい圧迫感に顔が引きつる。重苦しいエンジンの駆動音がこんなにも無慈悲に、そして恐ろしく聞こえたのは初めてだった。

 走馬灯だとか、一瞬が長く引き伸ばされるだとか、フィクションで語られるような現象は一切なかった。

 ぐわぁっしゃあああ! 耳ではなく、全身でその音を感じた。今までにない体験だった。体の中から爆音が生じたような、とんでもない衝撃。ショックが大きすぎて脳みその処理が止まってしまったのか、それともアドレナリンでも出ているのか、不思議と痛みはない。遊園地のコーヒーカップなんて目じゃないくらいに視界はぐるぐると回転していて、周囲の様子はまったく判別できなくなった。ぶっ飛ばされていく勢いの凄まじさだけはなんとなくわかる。


 ――おおつかー!


 名前を呼ばれたような気がする。おおつかとはもちろん俺、大塚恭平――二十九歳独身健康優良明朗快活勤務態度良好好青年なわけだが、声を出す余裕なんてなかった。返事もできないまま飛ばされてゆく。

 辞世の句くらい読みたかったな。こんなこともあろうかと、高校時代から暖めていた文句があったのに。これを聞けばどんな人非人も涙ちょちょ切れるわ、悪辣な独裁者も情を取り戻してボランティア奉仕を始めるわ、血で血を洗う争いも治まってみんなにっこりイマジンオーザピーポーだわ、ハリウッドで映画化されて全米が震撼するわの大騒ぎになるはずだったのに。無念だ。などと考えている間中、俺はぐるぐる回りながら飛ばされていた。ちょっと長すぎないだろうか。意識が途切れる気配もなければ、地面に叩きつけられた感触もない。

 トラックにはねられた俺は背後の窓を突き破り、オフィスビルの四階から空中へ投げ出されたはずだ。ビルの四階と言えば、高さは大体一二メートル。物体が自由落下するとき、二秒で約二〇メートルの距離を落ちる。つまり俺はおよそ一秒ちょっとでオフィス前の道路に落下して、通行人に悲鳴をあげられるなり、道路を走る車に追撃でひかれるなりするはずだった。トラックにぶっ飛ばされてから、体感ではもう一〇秒くらいは過ぎているように思える。もしかすると走馬灯に類する効果によって思考が引き延ばされているのかもしれないが、さすがにおかしい。ちょっと数でも数えてみるか。

 いーち、にー、さーん、しー、ごー。

 何も起こらない。というか変化がない。わずかに視界の回転が遅くなってきている気がするくらいだ。

 ……いや、気のせいじゃない。間違いなく遅くなっている。色の線としか認識できていなかった周囲の景色が、段々と輪郭を結んできた。なんとなく見覚えがある。ん? 待て待て。見覚えがあるどころじゃない。これは毎日出勤して慣れ親しんだ、職場の景色じゃないか……?


「あああああああああああ……っ!?」 


 そして俺は、自分が悲鳴を上げていたこと、回転式のデスクチェアに座ってくるくると回っていたことにようやく気がついた。

 驚きすぎて座面から転げ落ちた。

 無事? はねられたのに? いつの間に座った? トラックは? 異世界は? 夢? 誰かのいたずらか?

 混乱しながらも顔を上げると、つめた~い表情をした女性と視線がぶつかった。初めて見る顔だ。ごみでも見ているかのように細められているが、くりっと大きな目、すっと通った鼻筋に、華奢な輪郭の顎。毛穴の一つも見つからない肌。顔のパーツすべての形、状態がいい。スーツ姿も決まっている。そして服の上からでもわかる巨乳。美人だ。美人がデスクチェアに腰掛けて、俺を見下ろしている。こんな美人、職場にはいなかった。

 誰だ。

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