パラパラⅡ 摘心
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y/06/15 09:45 Fの証言①
一年生の六月。おかしな時期に転校生が来た。黒髪の男の子で、顔を埋めるように鞄を抱えて、教室に入るなり、端から端まで見まわしている。好奇心に満ちた無遠慮な青い目だった。視線が合うと、気圧されてしまって、ついへらっと笑う。転校生もちょっと首を傾げてから、へらっと笑った。
自己紹介を促され、転校生は
「次、国語だから準備しとけよ。」声を掛ける。
「そうみたいですね。でも、本を持っていないから、職員さんを待っています。」
「先生のこと?」
「はい。先生を待っています。」
「その鞄、重そうなのに。前の学校の教科書もないのか。何が入ってんの?」
席の脇に掛けてある鞄はパンパンに膨らんでいる。指をさすと、貴人は鞄に手を伸ばして、チャックのところをぎゅっと持つ。
「これ、ですか。教科書は入ってなくて。」
「そういうときは隣から借りんの。ほら、こっち。」
手を引っ張る。貴人が大丈夫と断るのを構わず連れ出すと、観念したように「では、お願いします。」と恥ずかしそうに言った。
「どっから来たの。」
「大学にある…センセイのところにいました。」
「ふぅん。なんで?」
彼はまた困ったように笑って答えなかった。
はじめ、貴人は引っ込み思案なのだと手を引いていたが、どうやら交流関係にこだわりを持たないだけらしかった。同級生に話しかけられるとき以外は、寝ているか、本を読んでいるか、ぼんやり外を眺めているばかりだった。その同級生と話すときも、「先生」と呼ばれると、彼はいつもの笑顔で「はい、なんですか。」と応える。そういうときの貴人は空気のようで、つまり当然のようにそこに居るが、輪郭がぼやけていた。
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偽物の窓から見える外の景色は、24インチより少しだけ大きい。
霧深い
分厚いヘッドフォンから流れるBGMに、狼に似た遠吠えが混ざる。このまま放っておけば、この穏やか探索の途中に不要な
ゲーム二周目。魔物を追い払うために表示される選択肢は一つ増えている。
『魔物の声が聞こえる。
▷逃げる
▷迎えうつ
▶街に火をつける 』
『本当に?
▷いいえ
▶はい 』
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y+7/06/22 13:05 Fの証言②
「じゃ、あとで。」
貴人は同級生にことわって教室から出てきた。こちらには気づかず、廊下を歩いていってしまう。声を掛けるタイミングを逃す。貴人はそのままスタスタ階段をあがって、普段は閉まっているはずの屋上の扉を、迷いなく開けて出ていった。一寸悩んで、屋上に入る。
貴人はフェンスによりかかって胡坐をかいて座っていた。弁当を広げて「暑くなってきたねぇ」なんて空に向かってしゃべっている。昼食は生姜焼きらしい。彼の体格と普段の生活様式から予想される倍の量が置いてあった。
「屋上は立ち入り禁止のはずだろ。」声を掛ける。やっと気づいた。
「あ、フジ。久しぶり。」と言いながら、貴人は恥ずかしそうにあたりを見回す。他の人がいないと分かると、「お願いしたら、鍵を貸してくれましたよ。」と屋上の鍵を取り出して見せる。
「相変わらず贔屓されてんな。」
「いままでお願いする人がいなかっただけで、誰でも…フジも、借りることはできると思うよ。」やや不満げだ。彼は自身が成績と素行により特例的な扱いを受けていることをほとんど自覚していない。授業を欠席しても怒られたところなど一度も見たことがなかったし、それどころかテストやら何やらことあるごとに褒められていて、それを嬉しがるどころか、退屈そうに聞き流す。
「ところで、何かご用ですか。」
「いや別に。どこに行くのか気になってさ。」
屋根の下から出る。直下の太陽が眩しい。貴人がここにおいで、と自分の隣の床を二度叩く。フェンスは錆びていた。肘をつくと揺れて、貴人はちょっと驚く。グランドを見下ろす。低学年の生徒が遊んでいた。
「お前、いつもここいんの?」
「天気がいいときはだいたいね。みんなよく見えて良いでしょう。フジがね、放課後にサッカー頑張っているのも、もちろん知っているよ。」貴人は得意げに笑う。
「お前に言われても、あんまり嬉しくないんだよ。」
「えぇ、なんで。悪いことかなぁ。ええっと、ごめんね?」
まったく悪びれる様子はない。貴人はすぐに謝るが、それは決して彼の気が弱いためではなく、軽口や揶揄いといったものをさえ徹底的に避ける精神的な潔癖症のためだった。「なんでもできる奴に言われてもなぁ。」
「できないこと、たくさんあるよ。僕は上手な人を真似しているだけだから。ゼロから考えだす人のほうが、ずっと素敵。」返事というより独り言に近い呟きに「ふうん。」とだけ相槌を打つ。貴人はごちそうさま、と手を合わせて立ち上がった。
「俺もたまにここ来ていい?」
「秘密にしてくれるなら、いいよ。」
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y+8/05/17 01:03
俗に言う綺麗なものが嫌いなわけではなかった。憧れていた。理想として掲げる精神性は、認可のそれに準じていたが、理解できる作品は不認可のほうがずっと多かった。上手く行っているはず、なんの苦労もないはずなのに、どうにもいき詰まっていた。
気晴らしにネットを検索する。このころは既にダークウェブにアクセスするようになっていて、そこには認可されていない作品が多く掲載されていた。
詩の一節が目に留まる。
ビロードに埋められた月の下では
生きていたってひとりきり
『My fair lady』というらしい。作者名は“ナナシ”となっていた。
このビロードはきっと心地良いのだろう。舞台袖のカーテンと衣裳部屋の中みたいに、肌触りが良くて離れがたいから振りほどけない。
頭から読み直しながら、ゆっくり声に出してみると、どうにも馴染んだ。黒い膠着質な泥の中から手探りで、鈍色の何かを掬いあげるような。もしくは体の中に手を入れられて心臓の形を確かめられるような。麻酔が切れて、傷が曝されて、体じゅうがじくじく痛むような。心地よさと気持ち悪さで酔ってしまうあの感覚。
マキナを取り出す時に似ている。
この詩が好きだと思った。他人の言葉を借りただけだったが、やっと少しだけ自身の状態を正しく口にすることができたのかもしれない。私と同じ言葉を話す人がどこかにいると、嬉しくなった。同時に、私は私を取り巻くものほとんどを疎んでいると気づいてしまった。
(生命は火なんかじゃない。もっと冷たいものだ。じゃないと、この身体はなんだ?)
頭を振る。検索に没頭する。書き込みが目に入る。これは初期の作品だとかいう基本的な説明がされていたり、この詩に含まれるのはすべて虚飾に関する事物で、果物のモチーフは『Fruit rot』にも共通していると別リンクが繋がっていたり、各文に対するめいめいの解釈とその反論、果ては「乱暴な割に品がある言葉選びから、もともと創務省の役人ではないか」等という身元の推測にまで及んでいた。それがまた気分の悪くなるものだった。演技など誰でも、いくらでもするだろう。だけどもし作品の通りの人物なら、この熱狂は舞台袖を好む者を、敢えて焼き爛れるスポットライトの下に引きずり出すようなものではないか。
サイトの下までスクロールし終わると、2枚のネットニュースの切り抜き画像が目に入る。日付はつい最近で、創務省職員への襲撃事件と、その犯人の死亡記事だった。わざわざこんなところに置いているのだから、この詩の作者が犯人なのだろう。
(やっぱり作者は死んでいたのか。ビロードの下を覗こうなんて意地の悪いことを、僕だったら放っておけないもんね。)
周囲から口々に飾り立てられていく様に(彼はそんな人じゃない)と全く知りもしないのに苛立って、かと言って一緒になって持て囃したりコメントする気にもなれなかったから、悶々と一人でスケッチブックを抱える他なかった。そうして、たまに検索をかけてはナナシの作品を蒐集するようになった。
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y+7/07/10 13:16 Fの証言③
「なあ。…なぁ!何描いてんの?」
肩越しに覗き込む。
「えぇ?ちょっと。」貴人は腕をページに挟んだままスケッチブックをさっと閉じる。「知り合いの手伝いでね、舞台衣装を考えているの。腕が動かしにくいよ。ほら、離れて。」身をよじる。お互いを背もたれにする。
こうしてたまに屋上に集まるようになったが、彼はあまり自分のことを話したくないらしかった。長期休みはどこに行ったとか、姉妹がいるとかいないとか、流行っているアニメの感想だとか、話す相手が変われば内容も微妙に変わる。鷹狩貴人について知ろうとした時、本人に聞くことはほとんど意味がなかった。屋上での貴人は、絵を描くことばかりに夢中になっている。
「フジ、部活はいいの?エースだよね。」
「いいの。今日暑いし。」
「ふぅん。もったいない。」平坦な調子でいう。
「思ってないだろ。」
「だって疲れるでしょう。」
背中から肩甲骨の動きが伝わる。貴人は作業に戻ったようだ。もういちど、彼の手元をこそっと見る。
舞台衣装と言っていたが、人の形はしていない。サイコロにチェス盤とその駒が描かれている。真ん中には蛇が、硝子瓶を咥えて座っていて、その周りを無数の手が取り囲んでいる。その物体のいたるところには花が咲き、全体的には錐の形をなして
「なにこれ。」
スケッチブックを取り上げる。貴人は「あ、」と小さく声を上げた。
ページをめくる。髪だけ、手首だけ、口だけ、目だけといった風に、身体がパーツごとに見開きにぎっしりと、無理やり詰め込まれたように描かれていた。一つ一つは特徴を捉えていて、その素描は級友たちが元になっているとすぐに分かった。
「返して!」貴人が叫ぶ。ゆらゆら立ち上がっていた。彼は珍しく息を荒らして、その血の気は引いて、ゆっくりこちらに手を伸ばしている。
掴みかかられる。スケッチブックを屋上から投げ捨てた。それを追って、貴人がフェンスを越えようとする。通り過ぎようとする背中の、首元を咄嗟に掴んで床に押さえつける。彼は無防備に頭を打ちつけた。スケッチブックに挟まれていた紙片はバラバラ散った。貴人はグランドの方向を数秒見つめて、拾いに行こうともがいていたが、体が動かない原因にやっと気づいたように、上に載っている物、つまり俺に、振り返った。手を離す。
貴人は屋上の扉から出ていった。
一瞬だけこちらを認めた、貴人の表情を思い出す。
組み敷かれたまま、頬をすりむいて、怒りだけではない熱を持った視線を向けていた。青とも灰ともつかないあの色には覚えがあった。純真の欠片もないことを除けば、昆虫館で珍しい虫を見つけて「ほら、サソリ。」とうっかり俺の袖を引っ張りながら見惚れていた時の、興奮した瞳に似ていた。
だけど次の登校日には何事もなかったかのような、いつも通りの微笑になっていた。
******
きっと席を間違えた。きっと取り違えた。置き忘れた。
そうやってやり過ごしていたころの記憶は曖昧で、思い出すときも、古いタンスの中の卒業アルバムに私の記憶にない私の写真を見つけたような心持だった。私はたしかに、人に囲まれて笑っていた。その笑顔が不気味でたまらなかった。
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y+8/07/28 08:11
外が眩しい。眩暈がする。玄関先で蹲る。
後ろから足音がする。
「隼人さん。おはようございます。」
「また休むつもりですか。」ため息が聞こえる。
「えぇ、出席は足りています。成績も落としていないでしょう。」
「だから、遅くまではやめなさいと言っているでしょう。」
「…関係ありません。」どうせ眠れないのだから、と言いかけて辞める。不調を訴えればそれを理由に作家免許を取り上げる。前提となっている物的損害を彼は考慮しない。壊れたら直せばいい。そういう思考しか隼人は持ち合わせていないし、私はその壊れたものに分類されていた。この人は善意だ。
寄りかかっている靴箱の奥、ぼろぼろの運動靴の隣に、女児用の黄色いサンダルがある。使われていない新品の、けれども古い型だ。
「そういうあなたは、お元気でしたね。あとどれくらいしたら、あなたは満足ですか?」自分のものでない恨み言が突いて出る。
「まぁ、良いです。ひとまず避けますから。」
道を開けようと立ち上がりかけた時、金色のヒマワリを見た。
私の頭上には、いつもたくさんの花が咲いていた。
ああ、ほら。太陽だ。
朽ちろ朽ちろと、見下ろしている。
―――――――
空気笛の音に起こされた。次に気が付いた時には、電車に乗っていた。ちょうどトンネルを抜けたらしい。視界が急に明るくなって、寄りかかった壁の窓から、ほとんど直下に陽の光が照り射して、視界は左半分だけぼやけている。目を擦ると、頬に渇いた土がこびりついていた。端のほうがジリリと痛む。擦った手が、見慣れた紙片を握っている。
車両内に人はいない。その“没の残骸”をリュックの外ポケットにしまう。代わりにスマホを取り出す。時刻は11:31。あのやり取りから3時間ほど経っている。不在着信が二件、学校と伯父からだった。
何をしていたか思い出せない。いまから何をするつもりだったかも。
電車は、学校とは違う方向に進んでいた。この先には母のいた病院がある。子守の代わりに連れていかれた水族館、博物館もある。先生もいる。
私は母と同じ病だ。先生のところに行けばいいのか。いや先生が私を、母を治せたか?
ちょうど駅に停まった。一度降りて、連絡を寄越した人たちへ適当に折り返した。二両編成の電車はまだ止まっていて乗り込むべきか悩んでいると、車掌さんが手を振って、乗りますか?と合図した。首を振る。電車はのんびり発進していった。
駅を出た。左目を擦る。まだ痛む。背の高い建物はなく、潮避けの松林を裏手に、黄の花畑が拓けていて、みな一様に南を向いていた。遠くに一足早く長期休暇に入ったであろう、小学生を連れた家族が歩いている。観光地らしかった。
目を擦る。
(あれは僕が言い過ぎた。仕方ない。またしばらく帰ってこないだろうし。)
痛みは慣れたものだった。他人の言うほど悪いことだとは思わなかった。顔を見ればわかる。あの人は痛覚以外で伝える手段を持たないだけだ。私が責め立てるのは暴力そのものではなく、ご自身だって辞めることができなくて私に許しを乞うているのに、私のそれは一切許してくださらないことだ。私にそれを教えたのはあの人だというのに。
目を擦る。級友たちはどうだろう。
「ねぇ、これは何があったの。」まったく誰も名乗り出ない。誰も止めないのなら、何処にも間違いはないのだろう。なら、私を止める人もいないはずだ。私だって同じように許されるはずだ。
目を擦る。
これはあなたが付けてくれた傷だ。彼等が私にしたように、私も彼等にお返しをしなくてはいけない。形に残して忘れないようにしてあげたい。分かり合えるならそれでいい。そうでなかったとしても問題はない。正しくても間違いでも、善いことでも悪いことでも、おそろいの幸福だ。
――――――――
y+8/09/01 12:50
四時限目が終わった頃。廊下で薄い金属片がカランと落ちた。やや間があって、彼が叫ぶ。教室の数人が見に行った。
級友たちが戻ってきて、各々囁き合っていた。曰く、彼のロッカーの取手にカッターの刃があって、それで人差し指の脇をざっくりと切ったという。
私は席に着いたまま、一連の様子を購買のパンをかじって眺めていた。仕掛けたのは私だったから、わざわざ見に行かなかった。じっさいどんな風に裂けるのかも、よく知っていた。
その日は一日中雨だった。彼の傘を折って、サッカー靴を泥の中に投げ捨てた。それから履き潰れた靴と折り畳み傘で帰った。
2週間経たないうちに、身に覚えのない彼への悪戯が増えた。2か月後、彼は学校からいなくなった。高校に進学するときには名簿からも消えた。
級友たちは授業が終わると、前もって約束していたかのように寄り集まる。たまに貴人の元にもやってきて、一年半前の続きと言わんばかりに話しかけてきたが、彼等の笑い声や話声は薄布を被ったように上手く聞き取れず、首から上は視認できなかった。級友たちは不必要に話しかけて来なくなった。
人一人欠けても、級友たちは変わらず過ごしている。それは昔から厭というほど知っている彼等特有の強さであったし、同時に狡さでもあった。人間というものは、癒合を繰り返して肥大する、たくさんの心臓を持った、ひとつの大きな化け物だ。ソイツを閉じ込めるだけ閉じ込めて、縛るだけ縛りつけて、その内を守れない檻。倫理や法といったものも、役に立たないらしい。それにも関わらず、彼等は今まで通りを望んでいる。その白々しさに自分だけは雑ざらないでいようと”消えたもう一人”の墓標として遠巻きから冷ややかな視線を投げかけた。
本音を言えば楽になるか。真逆、”彼等がせっかく隠蔽した事実”を掘り返すことになるだけだ。やっと終わったのだ。もう、放っておこう。
【エガキナマキナ】小説集 鈴音ナリ @Suzune-Nari_20210509
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