二人のアレックスと傭兵団のクリスマス
宵宮祀花
準備の時間が一番楽しい
砂と埃と機械油の臭いに満ちた、東ユーシア傭兵団ヴェセル基地。
普段は機体整備の音や戦果を語り合う声が満ちているこの空間に、焼き菓子の甘い香りと陽気なクリスマスソングが混じっていた。
上を見上げれば手製のオーナメントが揺れ、壁には様々な国の言語でクリスマスを祝う言葉がチョークで書かれている。
リーダーのアレクサンダーと副隊長のアレクサンドラが主催する小さなクリスマスパーティは、近所の街にあるバーの協力もあって、思いの外賑やかになった。当初はレーションや干し肉などをそれらしく飾り付けた部屋で食べる予定だったが、市街にあるバーや食堂から小麦や砂糖などの食材を譲ってもらえたのだ。
星形に切り抜かれたアルミホイルや、失敗した設計図を切り貼りして作った整備士お手製のクリスマスリース。戦火に沈んだ街路から回収した柊の枝に、モミの木とは似ても似つかない小さなクリスマスツリー。
多国籍な傭兵団ならではの、自由な飾り付けだ。特定の宗教に拘らず、国境のない少年兵たちの基地は、見る人が見れば卒倒しそうな賑々しい出来になっている。
「案外何とかなるものだな」
「そうですね。あとはКутьяを作るだけです」
「クチヤー?」
耳慣れない言葉に首を傾げるアレクサンダーことサンディに、アレクサンドラことサーシャは、にっこり笑って言う。
「ソルヴィエーガの祭事粥です。フルーツが入っていて甘いのですよ」
「へぇ、甘いお粥なんてのがあるんだ。基地にあるもので作れそうかい?」
「大丈夫そうです。譲って頂いた小麦もありますから」
簡易キッチンに入ると、オーブンからレープクーヘンが焼ける濃密な匂いが漂ってきた。スパイスが殆ど手に入らなかったため、本場の本物とは全く違うものになっているが、案外チョコレートだけというのも子供にとっては良いのかも知れない。
最早蜂蜜入りクッキーと呼んだほうが正しい代物だが、それでも子供たちは懸命に生地を練り、型抜きをして、楽しそうにしていた。
水に浸しておいた小麦を煮込み、火が通ったら水気を切って冷めないうちに蜂蜜とドライフルーツを混ぜる。工程が単純だからこそ腕が問われるこの料理。サーシャがまだ家族と故郷にいた頃、祖母に教わった作り方だ。
「胡桃や罌粟の実、干しぶどうを使うご家庭もあるそうです」
「サーシャの家はドライフルーツだったんだ?」
「はい。法事のときは干しぶどうだけで、イヴのときはドライフルーツで、ちょっと豪勢になるのです」
「なるほどなあ」
サンディが、地図上では殆ど隣同士と言ってもいい距離にある国なのに、全く違う文化が根付いていることに感心していると、目の前に木匙が差し出された。
「味見してみてください」
「えっ、俺が? いいの?」
「サーシャは馴染みの味ですので。違う国の人が食べても美味しいか気になります」
「なるほど、そういうことなら……」
所謂「あーん」の状態で一口。
蜂蜜の甘さ、小麦の仄かな甘さとなじみ深い香ばしさ、それからドライフルーツが程よいアクセントになっていて、意外と言っては失礼だが、サンディの口にあった。
「うん、美味しいよ。子供たちも気に入ると思う」
「ほんとうですか! 良かったです」
満面の笑みで喜ぶサーシャの姿に、サンディも胸が温かくなるのを感じた。治療が絡まないときの無邪気な微笑は、天使と呼ぶに相応しい。
「……?」
ふと。視線を感じてキッチンの入口を見ると、傭兵団のシャルロッテとドロレスとアリスが縦に並ぶ形で、ひょこりと顔だけを覗かせていた。
「シャル、ドーリー、アリスまで。どうしたんだ?」
金髪ツイン縦ロールなシャルロッテと、黒髪超ロング姫カットなドロレスに、白髪ツーサイドアップなアリス。祝い事でなくとも華やかな三人だ。しかもキッチンには金髪ウェーブヘアを赤いリボンでハーフアップにしているサーシャまでいる。
オマケに、女性陣――ドロレスは女装男子だが――は、今日くらいはと出来る限り着飾っている。シャルロッテは臙脂のワンピース。ドロレスはゴシックワンピースでアリスは薄水色のジャンパースカートに白のブラウスを合わせた格好。
普段通り作業着姿でいるサンディが、あっという間に浮いてきた。
「いーえ。別に、お姉様とイチャついてる気配を察して来たわけではありませんわ」
「僕はそろそろクーヘンが焼ける頃かと思って。デコレーションするでしょう?」
「アリスは、ついてきた」
三者三様。
それぞれ言いながら、キッチンに入ってくる。小柄な少女ばかりとはいっても然程広くないキッチンは満員御礼状態で、サンディは降参するように両手を挙げながら、じりじりと入口のほうへと横歩きで脱出していった。
「じゃあサーシャ、あとは任せるよ」
「はあい」
サンディを横目で見送ってから、シャルロッテはサーシャに抱きついた。
「……相変わらずですわね、お姉様の一番機は」
「其処がサンディの良いところなのです」
しあわせそうに微笑むサーシャを見上げて、シャルロッテは呆れて溜息を吐いた。ヴェセル始まりの二人には、他にはない強い絆がある。それをシャルロッテは何度も実感し、思い知らされてきた。
いまのように割り込んでみても、子供がじゃれついてきた程度にしか思われない。彼らのあいだには恋心や友情といった言葉では言い表せない、無二の絆があるから。
それがシャルロッテは悔しくて、そして同時に、うれしかった。サンディのことを話すときのサーシャは、とてもしあわせそうだから。好きな人がしあわせだと自分もうれしいのだと初めて教えてくれたサーシャがしあわせだから。
「レープクーヘンの飾り付け、お手伝い致しますわ」
「僕も。アリスも一緒にやろう?」
「うん。やる」
サーシャを筆頭に、レープクーヘンにアイシングを施している一方で、サンディは整備室を訪ねていた。其処ではヴェセルの整備士ベルナデットが、メンバーの機体を一人でチェックしていた。
「ベル。そろそろクリスマスディナーが出来るよ」
「……ああ、もうそんな時間? わざわざ悪いね」
工具を片手に立ち上がり、真上に伸びをする。
サンディと同じ百七十五センチの身長と燃えるような赤毛に健康的な褐色肌を持つ彼女は、普段からヴェセルの少女たちとは一線を引いて団員を見守っていた。兵士と整備士という立場の差だけでなく、彼女自身が輪の中心で騒ぐよりは離れたところで賑わいを眺めるほうが性に合っているというのだ。
それを知っているメンバーは、無理に「一人離れたところにいるなんて可哀想」と手を引くことなく好きに過ごすのだが、今日は特別な日。ベルナデットもそれを理解しているので、やれやれと言いつつも何処か楽しそうな笑みを口元に乗せて整備室をあとにした。
「そっちは食堂じゃないよ、ベル」
「馬鹿だね。こんなほこり臭い格好でパーティなんか行けないだろ。シャワーくらい浴びさせてくれよ」
「あっ……ごめん。じゃあ、待ってるよ」
サンディの言葉に振り返ることなく、ひらりと手を振って、ベルナデットは宿舎のほうへ消えていった。
ベルナデットと別れたサンディが食堂に入ると、丁度傭兵団最年長のジェフリーが向かいの扉から入ってくるところだった。片手を軽く掲げてダイニングセットを迂回してくる。白いクロスを掛けた長テーブルに見えるそれは、整備用架台式テーブルを綺麗にしてそれらしく並べたものだ。それゆえ、ダイニングセットと言いつつ椅子は普段使っているものなので、質素且つ簡素な木製の丸椅子だ。
「サンディ、全員集めたか?」
「ベルは呼んだよ。あとはオズが見当たらないんだけど……」
「ああ、アイツならバーのキッチンを借りてなにやら作ってたぜ。さすがにもうすぐ来るだろ」
そんな話をしていると、話題の本人であるオズウェルが銀色のワゴンを押しながら食堂に現れた。ワゴンはよく見ると、廃材を磨いて組み立てたもののようで、所々に見覚えのある部品の名残がある。
元々貴族の屋敷で働いている執事のような見目と振る舞いだったオズウェルだが、こうして食堂でワゴンを押していると、ますます彼の職業を錯覚しそうになる。
「お待たせ致しました」
「いや、丁度良かったよ。それは?」
「此方がミートパテ、隣は貝紐の酒蒸しで、此方がいつもの紅茶です」
そう言ってオズウェルが僅かにクロッシュを開けて見せる。
中身は偽りなくパテと酒蒸しがあり、白ワインの香りがふわりと漂った。下段にはパテ用のパンも乗っており、焼きたてのいい香りがする。
「酒蒸しはジェフリーのためにお作りしましたので、どうぞお楽しみに」
「へえ、そいつぁありがてえ。しかし、良くそんな食材があったな」
目を瞠るジェフリーに、オズウェルは悪戯っぽく笑って見せながら「保存食の中で古くなりつつあったものを開けたのです」と言った。
前線基地に新鮮な食材は殆ど入ってこない。普段からメンバーは、缶詰の肉や魚の加工品ばかりを食べている。パンは固く焼いたものをミルクに浸して食べていたし、生野菜で届けられるのは比較的安価な芋類だけだ。
しかしオズウェルの持参したワゴンには、新鮮な肉や魚介類を使って作ったとしか思えない料理が並んでいる。
「毎度ながら、オズは食材を生かすのが上手いよね。作っているところを見たことがあるけど、どんな魔法が使われたのか全然わからなかったよ」
「恐縮です」
胸に手を当てて微笑みながら言うオズウェルの姿は、まさに瀟洒な執事そのもの。これでサンディより三つも年下の十九歳だというのだから驚きである。
「あ、オズ! 何処に行ってらしたの?」
「バーのキッチンをお借りしておりました。料理にアルコールを使用したかったものですから」
「アルコールというと、ジェフ兄のですわね。確かに、子供向けのお料理ばかりではジェフ兄が退屈してしまいますものね」
キッチンから出てきたサーシャたちが、アイシングをしたレープクーヘンを持って合流した。ジンジャーマンクッキーのお馴染みの形をしたものや家の形をしたもの、モミの木の形にサンタクロース。様々な形のレープクーヘンがアイシングを着飾って皿の上に並んでいる。
それから、サーシャの作った小麦のお粥、クチヤーもボウルに盛り付けられて共にテーブルに並んだ。
「皆、もう揃ってたんだね。待たせたかな」
其処へ、シャワーを浴びに宿舎へ一度戻っていたベルナデットが合流した。普段の作業着とタンクトップ姿から一変、真っ赤なドレスを纏っている。
「まあベル! そのドレス、どうなさったの?」
「こないだバーの蓄音機を修理しに行ったら、お礼にもらったんだ。着ることなんか一生ないと思ってたけど、折角だからと思って」
「素敵! ねえお姉様、そう思いません?」
「ええ、本当に。とても良く似合っています」
団員の中でも一二を争う美少女たちに持て囃され、ベルナデットはドレスにも髪の色にも負けないくらい頬を赤く染めて、照れくさそうに笑った。
「さあ皆、席について」
サンディの一声で、皆が席に着く。
二つある誕生席には、サンディとサーシャが。サンディの左右には、ジェフリーとドロレスが。サーシャの左右にアリスとシャルロッテが、シャルロッテとドロレスのあいだにベルナデットが、ジェフリーとアリスのあいだにオズウェルが座る。
全員揃ったところでサンディが立ち上がり、グラスを手に皆を見回した。
「今更堅苦しい挨拶もいらないよね。今日のこの日を、皆で迎えられたことを純粋に喜ぼう。じゃあ――――」
「Merry Christmas!」
「Joyeux Noël」
「Frohe Weihnachten!」
「Счастливого Рождества」
「¡Feliz Navidad!」
乾杯の代わりに、一斉に異なる言語でのクリスマスを祝う言葉があがり、それから皆、同じタイミングで笑い出した。
平和だった頃とはすべてが違ってしまったけれど。それでも小さな傭兵団の皆は、笑顔でこの佳き日を過ごした。
二人のアレックスと傭兵団のクリスマス 宵宮祀花 @ambrosiaxxx
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