第3話 奴隷の魔術

(危惧した通り、死体がない)


『リスポーン地点』付近に到着し、樹木の影から周囲を確認する。

 一体や二体ではない。血痕と腐肉の汁、滲み出た油によってできた赤黒い跡を残し、山積みになった自分の死体は全て消失している。


(そしてこの引き摺ったような痕跡。足跡が一切ないところを見るに分散して行動しているとは思えないな)


 墜落でほとんどの死体は立ち上がることすらままならない損傷を受けているはず。となる屍の山のまま動いている可能性が大きい。

 一番まずいのは、屍の山が人里の方に移動しそれを現地人に発見されることだ。

 落下でぐちゃぐちゃになっているものが大半だが、顔面が綺麗に残っている死体もそれなりにはある。

 そのせいで他の町で顔が割れるのは何としてでも避けたい。


「あぁゔ」


 リスポーン地点の木のすぐ側から、うめく様な声が聞こえる。

 心当たりはあった。落下を生還した俺の死体。それがアンデットとなり蘇ったのだろう。


(丁度良い。試し撃ちをさせて貰おう)


 両足は折れ、片腕の神経を断たれている俺の死体。残された一本の腕で地面を掻き、泥と血に塗れながらこちらに向かってくる。


(ものは試しだ)


 手のひらを傷付けて合掌し、両掌に代償とする血液を染み渡らせる。

 触媒とする両腕を真っ直ぐに伸ばし、両手の親指と人差し指で、逆三角形を作る。

 魔術を放つ標的を三角の中に納め、詠唱を開始する。


「霜の月 薊の花 隷属の焼印 乞うは炎」


 両腕を奔る痺れるような痛み。掌を濡らす血潮は両手で作った三角の中央へ収束し、眩い火球に変化する。


「炎のフレイムサージ


 ーー ゴォッ ーー


 放たれた火球は標的を押し流すような炎の波動へと姿を変え、あっという間にアンデッドを包み込む。


「ぉあぁああ」


 やはり痛覚はないのか、全身を焼かれながらアンデッドはなおもこちらへ這い寄ろうともがく。しかしやがて高熱で焼かれた筋肉は収縮を始め、死体の動きはどんどん鈍くなりやがて動かなくなった。


(本当に発動できてしまうんだな)


 センスや血筋など感覚的で曖昧な要素のある魔法とは異なり、理解に苦しむ理論ではあるものの体系化され、条件さえ揃えば確実に発動することが出来る。これが魔術である。


(しかしこれは……思った以上に消耗するな)


 触媒とされた両腕の血管が破裂し、複数箇所で内出血が起こしている。加えて神経もやられているようで、ピリつくような痛みに加えて、筋肉に力を込めると震えが止まらず、両方の薬指と小指が動かない。

 代償として抜かれた血液も明らかに掌に付着した分以上であり、立ちくらみがする程度には失血している。


(簡便性のみを追求し使用者を魔法発動のための消耗品としか考えていない。確かに奴隷の魔術と呼ぶのに相応しいな)


 魔術は制約を課す、つまりデメリットを増やすことで発動条件を緩めることができる。

 奴隷の魔術がこうも手軽なのは、肉体の消耗に加えて隷属する対象に対して行使できない制約を設けているからだ。




 大樹の幹に体を預け、息を整える。貧弱な体をしている上戦闘経験は皆無、武具に関する心得もないし、舌戦も能力の代価によって封じられている。

 今の俺にあるのは、この魔術と無限の残機だけ。


(はは、十分恵まれているではないか。さて、この身体はもう持たない、使えそうな魔術を一通り練習したら一回『リセット』しよう)


 一旦死んで復活するというのは少々言いにくいし言葉の響きも悪い。故に自分から能力を使うことは『リセットする』と呼ぶことにした。


(あまり痛くないといいのだが)


 余燼を残したまま黒焦げとなった自分の死体の前に立ち、俺は震える両手で再び掌印を結んだ。


 *


 屍の山の追跡は容易であった。あの巨体で低木などを押しのけながら移動しているので当然痕跡は分かりやすい。


(追いつく前に体力が切れなければいいんだが)


 木立の間を進んでいるので断定はできないが、屍の山は何か明確な目的地でもあるかのように直進を続けている。

 アデラインの言う通り人間を害することが目的なら、おそらく奴は最寄りの人間の集落、つまりはエイクかドウの街へ向かっているのだろう。


 ーー ズシン ーー


 大質量の何かがぶつかり合う時発せられる、重い衝撃音と地響き。遠くはない場所から、鳥達が一斉に飛び立つのが見える。


(あとは作戦通りに……)


 作戦と言っても、標的を確認した後即座に睡眠をとり復活場所を更新、その後は死体を全てを焼き尽くすまで炎の波とリセットを繰り返すだけの所謂ゾンビ戦法である。

 攻撃手段が少ない上初の戦闘だ、搦手よりもこういった単純な作戦の方が成功しやすいだろう。


 ーー ズシィン ーー


 今までほぼ直進だった屍の山の痕跡が、何かに惹きつけた様に左折していた。足に伝わる振動も徐々に大きくなっている。


(あれか…… 本当に肉の塊ではないか)


 巨大な蠢く肉塊。例えるなら放置し過ぎて変色した生のハンバーグが動き出したような、よく言えばシュールな、悪く言えば不気味な形状をしていた。

 そしてその巨体は、多少の違和感はあるもののやはり自分の死体によって形成されていた。


 ーー ズシィン ーー


 それが、岩壁に向けて勢い良く突進を続けている。体を打ちつけるたび、湿った何かが潰れる不快な音と共に肉片が飛び散り、腐敗臭が一層酷くなる。


(何故かは知らないが足止めされている。やるなら今だ)


 素早く低木の中に身を潜め、掌を傷付け掌印を結ぶ。


「西北西の星 樫の若木 隷属の鎖 乞うは惰眠」


 自分に向けて発動するため、掌印を胸に押し当てる。


小休止リスパイト


 数分間眠りに落ち、肉体の疲労を多少取り除き傷を塞ぐ。奴隷の魔術の中で唯一の回復効果を持つ術である。

 気を失うので当然戦闘中には使用できない上連続で行使すると頭痛や耳鳴り、幻覚といった副作用が伴うようになる。

 その代わり支払う代償は少なく、触媒への負担も小さい。


(奴隷に労働を強いる為の魔法と言ったところだな)


 ただ自分の場合はそもそも疲労回復の部分は当てにしていない。即座に数分だけ眠りに落ちる点を利用し、復活場所を更新する為に使用するつもりでだ。


(早速眠気が)


 数時間に及ぶ悪路で擦り切れた足裏とパンパンになったふくらはぎが治癒されていくのを感じつつ、俺は草むらの中で眠りに落ちた。


 ………

 ……

 …


 目覚めた後、すぐさま標的が居た筈の岩壁へと走り出す。相変わらずあたり一帯に響く衝撃音に安心感を覚えつつ、俺は魔術の詠唱に取りかかる。


 ーー ズシァン ーー


 居る。腐臭を撒き散らす肉塊は、相変わらず一心不乱に岸壁んへ向けてその巨体を打ち付けていた。


「炎の波!」


 迸る炎の波動が肉塊を襲う。一撃で俺の死体1体を焼き尽くした魔術だが、やはり圧倒的な質量を前にすると効き目は薄いように見える。


(ダメージは入っている。だがこの調子では無力化に時間がかかり過ぎる)


 妻子を失った後には初めて焼いたハンバーグのことを思い出す。火力調整を誤って表面を焦がしているが、中身は生焼け。

 目の前のこの肉塊も同じ状態で、体表を灼かれただけでダメージはおそらく浸透していない。


「炎の波……!」


 2度目の焼灼でやっと、屍の山は注意をこちらへと向けてきた。

 腐肉と骨と、移動している道中で取り込んだであろう棒切れや礫。その全てを赤黒い粘液で繋ぎ合わせただけの歪な肉塊は、こちらに向けて突進を始める。

 思わず後退り回避行動を取ろうとするが、視界の隅を何かが横切った。


(なんだ今のは)


 ーー ブシュッ ーー


 想定外の第三者に気取られた自分の体を、複数の衝撃が一斉に襲った。肉に異物がめり込む激痛、突然赤く染まる視界。


(足止め用の飛び道具ってところか)


 骨の欠片や石礫、そして歯。肉塊はそれらをまるで散弾の様に撒き散らした。

 射出物一つ一つの質量は小さく致命傷には至らないが、衝撃で獲物のバランスを崩し機動力を制限するには十分有効的だ。


(もう1発撃ってリセットを……)


 ーー ブシュッ ーー


 どうにか後退りながらもう殆ど感覚のない両手で掌印を組もうとしするが、再び骨と歯の散弾が叩きつける豪雨のようにこちらを襲った。

 片耳と親指を吹き飛ばされ悶絶し、さらに魔術による消耗でもはや動くこともままならない自分に、屍の山は無慈悲にそして静かに覆い被さった。


 ………

 ……

 …


 目覚め、状況を整理する。

 まずは作戦の破綻を認めるべきだろう。あの肉塊は人間を襲うだけでなく、取り込んでいる。

 確かに炎の波は、肉塊にダメージを与えることはできる。しかしその後疲弊した俺はほぼ確実に肉塊に喰われ、その体の補修に利用される。


(アレをするしかない、か)


 俺が習得している最後の魔術。万策尽きた時の切り札のつもりでいたが、まさか初の戦闘で披露することになるとは。


(覚悟を決めろ、痛みは一瞬。威力も実験済み、いけるはずだ……!)


 全裸のまま、茂みから飛び出し肉塊に向かって走り出す。

 予想通り、散弾は飛んでこない。肉塊の行動原理は獲物に近付き捕食することにあり、骨と歯の散弾はあくまで逃げる獲物の足止めにしか利用しない筈。

 事実常に射程内に居たのにも拘らず、屍の山は俺が距離を取ろうとした時のみ散弾を発射していた。


「血色の夕陽 枯れ落ちる薔薇 隷属の果て 乞うは終焉」


 結んだ掌印は手の甲を合わせ、親指を交差させた裏拍手。走る速度は落とさず掌印を胸に押し当て、魔術の名を唱える。


解放リベルタス!」


 覚悟を決め、カウントダウンを始める。


(3……これなら間に合う)


 肉塊まで、あと数メートル。

 とてつもない量の血液が失われていくのを感じる。脳への血液供給も殆ど失われているのだろう、意識が混濁し始める。


(2……それにしても、この魔術の名前を考えた奴は随分と趣味が悪い)


 両腕の感覚もすでに失われている。バランス感覚を失い、更に血液の欠如によって全身が脱力する。


(1……『解放』の名を冠する魔術の効果が、まさか)


 前のめりに投げ出された体を覆う巨大な影。視界ははかすみ、心臓の鼓動すらもう感じない。

 バキボキと音立てながら砕ける肋骨、重圧に耐え切れずひび割れる頭蓋。それでも俺の肉体は、魔術を完遂させる為、辛うじて生に縋りついていた。


(自爆だなんてな)


 自分の体が、突如高熱を帯び始める。自分の肉が、骨が、命が、魔術の代償として消費されていく、この上ない喪失感。

 この魔術の行使を強いられる者達は皆、どんな気持ちで最期を迎えるのだろうか。




 ーー ズドォォン ーー


 ………

 ……

 …


 爆破の現場に残されたのは、無数に飛び散った肉片と、今なお黒煙を上げ続けるクレーター。


(自分から奴の下に潜り込んだのは正解だったな)


 覆い被さってくることを見越しての自爆。爆破時のエネルギーを逃さずに最大限の破壊力を引き出すための即興が、予想以上の効果を発揮してくれた。


(服はやはりダメか、復活する度に全裸になるのはどうにか解決しなければ)


 焼け残ったボロ切れを腰に巻き、肉塊がひたすらに体を打ち付けていた壁の方へ視線を向ける。屍の山の進路を変えたものの正体。それはどうやら、岩壁の空いた小さな洞窟のようだ。


(しかしこんな場所に人が住んでいるとはね)


「動けば喉を掻っ切る」


 鈍色に光る手鎌が、自分の喉に当てられている。ヤイバの放つ冷気に当てられ、全身の皮膚が粟立つ。


「クソ、こいつは何者だ。あのコープスウーズに喰われたのになぜ生きている。クローンってやつか?それともお嬢のことを知っていて」


 独り言のつもりで発しているのは日本語。それも聞き覚えのある声だ。


「異世界人だ。アレに喰われたのは確かだ。クローンではなく能力で復活した」


 日本語で返事をする。少しの間をおいて、首にかけられた手鎌は引っ込められ、声の主は俺の前に姿を現した。


「……昨日馬車の近くで隠れてた奴か」


 手鎌を仕舞い、ゴブリンはこちらを顔をまじまじと見つめてくる。


「敵意はない。あのコープスウーズを処理するために来ただけだ」


「そうか。折角だ、上がっていけよ。危ねぇところを助けて貰った礼がしたい」


 そう言うとゴブリンは洞窟の中へと姿を消した。


 *


 天井の低い洞窟の中。いつでもリセットできる様にと隠しておいた鋭い骨のかけらを取り上げられ、俺はゴブリンに出された茶を啜っていた。


「その子供、攫ってきたのか?」


 部屋の隅で、膝を抱えて座っている、ゴブリンがお嬢と呼んだ少女。洞窟に入ってから数十分は経つが、こちらを一瞥もせずにただ茫然と虚空を見つめている。


「……あぁそうだ。昨日みたいに馬車を襲った時に攫ってきた。産み袋にしようと思ってよ」


 そんなことを言う割に少女に乱暴された形跡はないし、飢えたりしている様子もない。

 では何故ゴブリンが理由もなく人間の子供を側に置くのか。俺の持つ僅かな知識で答えに辿り着くのは、おそらく無理だろう。


「そんなに気になるなら、礼にこいつをやろうか?」


「「え?」」


 俺と少女の声が重なり、洞窟の中に響き渡った。

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勇者 殺すべし @Dumpling

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