麺をすする

 2021年に東京で開催された東京オリンピックに先駆けて、Twitter(現 X)などでよく見かけたトピックがあります。


 それは、麺類を食べる時に音を立てるのを辞めるべきかどうか、というものです。


 日本人の中にも少ないながら「あの音が嫌だ」という人もおられ、ヌーハラ(Noodle harassment)なる新語も産まれました。


 逆に「麺をすするのは日本の文化だ」「それまで存在しなかったハラスメントをメディアが煽り立てている」という反発もありました。


 それを好むも好まないも当人の勝手ではあるのですが、お店という公共の場でのことですので、なかなか難しいですね。

 特にオリンピックともなれば外国人観光客が大量に訪れるわけですから、こうしたトピックに注目が集まるのも無理はありません。


 私個人としては、近くに「あの音が嫌だ」と表明している人、あるいはひと目で外国人だとわかるお客さんがいるときは、音を立てずに食べるようにしています。

 ただし、そうでないときは盛大に音を立てて麺をすすります。


 ただ、これについては、賛成派・反対派、日本人・外国人にかかわらず、大きな誤解があるように感じています。


 よく「音を立てるか、立てないか」という論点で語られることの多いこの問題ですが、実は一番重要な視点が抜け落ちています。


 実は麺のすすり方にも良し悪しがあるのです。

 誤解を恐れず言ってしまえば、日本人でも正しく麺をすすれる人はごく一部です。



# 日本人も誤解している「すする」という行為


 私達はジャンクフードを研究するマニア集団であり、マナー講師ではありません。

 むしろ、お行儀悪く食べても許される自由さこそが、ジャンクフードの楽しさの大きな要素だとすら考えています。

 堅苦しいマナーなんかよりも、美味しく食べることを優先してほしいと考えています。


 だから、ことさらにマナーについて語りたいわけではないのですが、ジャンクフードを思う存分楽しむための Tips にもつながるため、ここでは「蕎麦食い - Soba kui」、つまり蕎麦を好んで食べる通人たちによる「かっこいい蕎麦のすすり方」に倣ってみたいと思います。

 もちろん、ジャンクフードの王様たるラーメンとは異なる部分もあるでしょう。

 また、「つけ麺 - Tuke men」や「油そば - Abura soba」などの比較的新しく生まれた料理にも、ふさわしい「かっこいい食べ方」はあるかもしれません。

 ですので、この話はあくまで参考程度にとどめ、「これが日本のマナーなのだ」などと堅苦しく考えず、食文化の面白さや、ちょっとした豆知識として楽しんでいただけると嬉しいです。


 さて、麺を何も考えずにすすると、水っぽい音がします。

 実は、日本でも「これはあまり良くない」とされています。

 音もあまり気持ちが良いとは言えませんし、見た目にも、また衛生的にもあまり良くありません。


 正しくは、一本調子の鋭い音で、なるべく一気に口の中に麺をすすります。

 上手な「蕎麦食い - Soba kui」になると、麺を啜る音は小気味よく、おそらくほとんどの人にとって耳障りではありません。


 この時、麺を噛み切るのは NG です。

 周りに汁を飛び散らせることなく、ストーンと口に麺が飛び込んでいるさまは、見ていて気持ちよく、不衛生さや無作法さとは無縁です。


 日本の伝統話芸である「落語 - Rakugo」を見れば一目瞭然でしょう。

 落語では蕎麦をすするシーンがよく登場します。

 落語家は、身振りと扇子(Japanese hand fan)、手ぬぐいだけで、熱々の蕎麦をすすっている様子を表現します。

 この時、上手な音を立てられるかどうかは、落語家の腕を見定める一つの指標となっています。


 ところが、これがやってみるとなかなか難しいのです。

 途中で噛み切ったり、あまり長い時間をかけてすするくらいなら、いっそ「レンゲ - Renge」(中国風のスプーン)などを用いて、音を立てずに食べたほうが良いかもしれません。


 こうした視点に立って言えば、日本人でも「上手にすすれている人」がどれほどいるでしょうか。

 私自身も決して上手とは言えませんし、蕎麦屋さんなどで<link>粋</link>なご老人などがかっこよく蕎麦をすすっているのを見かけたりすると「自分もまだまだだな」などと思ったります。



# なぜすするのか


「そんなことをしなくても食べられるよ」という外国人の方のご意見もごもっともです。でも、あなたがたの国で売られている「日清カップヌードル - Nissin CUPNOODLE」をはじめ、日本のインスタントラーメン類が、音を立てずに食べられるように短くカットされているのはご存知でしょうか。


 これは食器をテーブルに置いたまま、スプーンやフォークを使って食事をするスタイルと、食器を口まで運ぶ日本のスタイルのと違いが原因です。


 他のほとんどの国でもそうでしょうが、本来の日本のマナーでは姿勢がとても重視されます。

 なるべく背筋を曲げずに、所作を美しく食事をすることが求められます。

 猫背で食事をすれば親や祖父母に厳しく叱られますし、テーブルに置いた食器に顔を近づけるのもご法度です。


 そんなことを考えずに自由に楽しめるのがジャンクフードの良いところですが、実はラーメン屋さんなどではテーブルの位置が高めに設定されることも多いです。丼に顔を近づけてもみっともなくならないようにという配慮ですね。


 対して、ナイフ・フォーク・スプーンで食事する国々では、食器を持ち上げることそのものがマナー違反です。コーヒーカップやマグはともかく、お皿を持ち上げることは基本的にありません。


 こうなると、長い麺は食べづらくなります。

 パスタも、フォークに巻いて、一口で食べます。

 ソースも、食べる途中で滴らない程度に濃度がついているのが普通です。


 こうした人たちが、どんぶりを持ち上げたり、麺を啜るのは抵抗があるでしょう。

 実際、ひと昔前はラーメン屋で箸に麺を巻いて食べる外国人の姿もよく見かけました。

 私も真似してみましたが、スープにほとんど濃度がついていない麺類を、パスタ式の食べ方で食べようとすると、なかなか難しいです。


 同じ理由で、海外ではスープパスタ(Soup Pasta、日本で好まれる濃度の低いスープに絡めていただくロングパスタ類の総称)はあまり受け入れられないようです。


 やはり、マナーというのはその国の食べ物を一番美味しく食べられるように発展するのでしょう。また逆に、新しい料理もその国のマナーに従って生まれるようです。


 とはいえ、今では日本人もナイフやフォークを使った食事マナーに慣れています。

 自分たちの食文化とうまく使い分けているわけですね。


 ではなぜ、麺を啜ることだけ論争になるのでしょうか。

 それは、日本人が麺を食べる時、外国人とは違うところで味わっているからです。


 どこかというと、それは「唇」です。



# 唇で味わう


 唇はとても敏感な器官です。

 麺を勢いよく啜ると、唇に触れながら口に吸い込まれていきます。

 実はこれがとても重要で、この啜る時に唇で感じる麺の感触が、麺の美味しさの一つとなっているのです。


 人にもよるでしょうが、大多数の日本人はスパゲッティを食べるときにフォークで巻いて食べることにはなんの疑問も感じないのに、蕎麦やラーメンを食べるときに啜らずに口に入れると、なんとも言えない物足りなさを感じます。


 それもそのはず、日本では麺の「すすり心地 - Susuri gokochi」という美味しさの指標があるほど、唇で感じる美味しさは重要なのです。


 このため、ラーメンなどでは「手もみ麺」などと言って麺の表面をわざわざランダムにしたりします。

 もちろん口の中でもその効果はある程度感じられるでしょうが、それを如実に感じるのはやはり唇です。


 昔は「空気と一緒に啜ると風味が良くなる」という説もありましたが、これは科学的な観点からほとんど否定されていて、香り成分の感じ方にはほとんど違いはないそうです。

 もちろん、鼻に抜ける空気の量が異なりますので、多少は感じ方は変わるでしょうが、啜らなかった時の物足りなさはおそらく香りではなく、唇の感触の影響が強いことは、まず間違い無さそうです。


 ▽


 誤解しないでいただきたいのは、私たちはあなたに対し、何かを押し付けるつもりはないと言うことです。


 ジャンクフードは、その自由さこそが最大の魅力です。

 好きな食べ方をすれば良いし、麺を啜るも啜らないもすべてあなたの自由です。

 自分が一番美味しく感じる食べ方をするのが一番です。


 でも、日本にはおひとり様スペースのラーメン屋があります。


 もしも機会があれば、1人でこっそりと「麺を啜る」体験を試してみるのも、面白いかもしれませんよ。

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ジャパニーズ・ジャンクフード・マニアックス カイエ @cahier

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