第5話『添い遂げた機巧人形』
──あまりに唐突な出来事に、ジニアは全く動けないでいた。
男はエリスを羽交い絞めにしたまま、問うてくる。
「ジニア。……貴様は、フェリンという名の女を覚えているか」
「…………。ふん……それをお前に教える義理はないはずだが?」
そうジニアが言うが早いか、男の手元で刃がぎらりと鈍く光り、エリスの首元に、刃渡り十五センチほどのナイフが当てられた。
「さっさと答えろ、この女の命が惜しくばな」
男の眼や言葉に浮かぶのは虚仮脅しの色はでない。
──つまりは、ジニアが答えなければ本気でそうする気だという事だろう。
エリスに人質としての価値を見出していないのかもしれなかった。
「……すみません。ジニア、さま」
相変わらずそこまで感情の読み取れない表情で、謝罪の言葉が口にされる。
エリスは型落ちとはいえ機巧人形だ。普通の人間よりは遥かに力があるはずだというのに、男の拘束を振り解けないようであった。
導き出される解としては、彼もまた、機巧人形ということなのだろう。
「……壊した機巧人形のことであれば、いちいち名を覚えたりはしていない」
ジニアは苦々しさを顔に出すことなく、聞かれた問いに答える。
──数秒の間、互いの間に気の抜けない沈黙が生まれる。
男はどこか落胆するように「……そうか」と告げると、足を大きく持ち上げ、がっとエリスの背中を蹴り飛ばした。
「ち…………」
前のめりに床に倒れ込むエリスを横目に流し、ジニアは舌を打つ。
それを見た男が、侮蔑の視線をジニアに向けた。
「……なんだジニア。いつからお前も、人形に情を持つようになった?」
「情だと?」
「でなければ、お前のその顔はなんだ? 余程必死に見えるな」
「お前の眼が節穴なだけだ。こいつは何でもない。……なんだ、何が目的だ?」
「何が目的、だと……? 本当にフェリンのことを覚えていないのか」
男の言葉にジニアはしばらく考え込む素振りを見せる。
といっても、ただの時間稼ぎだ。
「……ああ、思い出した。あの、ルベライトの瞳をした人形の事だろう。確かに壊した」
「壊した、だと……? よくもぬけぬけと……!」
「間違ったことは言っていない。したことに対しても過ちはない」
「──いいや、お前はフェリンを壊すべきじゃなかった。彼女はまだ生きられた。別の心臓部を移植すれば、まだ生き永らえるはずだったんだ」
「……なに?」
心臓部の移植、という言葉にジニアは眉を動かした。数人の技師の元、実際に行われ、失敗したことが数年前と記憶に新しい機巧人形の手術だ。
「ふん……お前は、そんなものが成功するとでも思っていたのか?」
「成功する可能性はあった。……お前はそれを、台無しにした」
「再動の危険性がある人形を壊したまでだ」
「人の家に侵入して、彼女を攫ってまでか? そこまでする理由がどこにあった?」
手のひらを大きく広げ、男は問い詰めてくる。
ジニアは言われたことの中に誤解が混じっていることを分かっていた。
その上で、真っ先に誤解を解こうとはしなかった。
「私は、依頼されたことをしたまでだ。それ以外のことについては知らん」
「なに……?」
「あいにく私は守秘主義でな。まして機巧人形に、依頼人のことは喋れない。……お前は既に『再動』個体なのだろう。黙って私に壊されろ」
落ち着いた声でジニアは告げる。
男はぎりっと音が聞こえてくるほどに奥歯を噛みしめ、腰に手を回した。
そして──そこにあったホルスターから、拳銃を引き抜いた。
片手で構え、真っ暗な銃口をジニアの瞳に向けてくる。
「ジニアさま……!」とエリスが叫び、ジニアの前に立とうとした。
男はエリスのことを再び蹴り飛ばす。吹き飛ばされたエリスの身体で、部屋中央にあった机の足が折れ、エリスはその下敷きになった。
すぐに動き出さないことを確認してから、男は再度ジニアに視線を注ぐ。
「何が目的、とお前は言ったな。お前に、その身を以て償わせることだ」
「……償いだと? 私に悪事を働いた記憶はない」
「お前にはなくとも、俺は知っている。お前が彼女を壊したことをな」
──ひとつ、銃声が鳴った。
放たれた銃弾はジニアの肩を掠り、服の下から真っ赤な血を滲ませた。
「…………」
それでもジニアは表情一つ変えることなく、男の顔を睨み付ける。
「わざわざ俺の手で殺す価値もない。お前は人の作った武器で死ぬがいいさ」
銃声と共に、二発目の弾丸が放たれた。
今度はジニアの足の甲を真っ直ぐ貫いた。これには流石に「ぐ…………」と苦悶の声が漏れる。男はそれを見て、壊れた笑みを浮かべる。
「はは……っ、痛むかジニア。この時のために、俺はお前を探し続けてきた」
「……。そうか、無駄なことだな」
「その傷で……人間のくせに、まだ強がる余裕があるとはな」
三発目。銃口を飛び出した弾が左頬を裂いた。すっと冷たい感触がジニアの頬を通り抜ける。血飛沫が上がり、男の顔が更に愉悦に歪む。
「なあ、痛いだろう? やめろと言われてもやめないからな?」
「ジニアさま……っ!」
立ち上がったエリスがジニアの元へと駆け寄り、傷の状況を見てくる。
だがジニアはそんなエリスを押しのけ、男の瞳を見据える。
「──何もするな。これは命令だ」
「……っ」
エリスの顔を見ることもなく命じてから、ジニアは男に問い掛ける。
「お前は、この後どうする気だ?」
「……まだ無駄口を喋れるか」
──四発目、五発目と続けて、丘の上の家に銃声が轟いた。
それぞれジニアの右耳を飛ばし、腹を貫いた。
がはっ、とジニアが初めて膝を折った。口から零れたのは血だった。
エリスが「……っ!」と声にならない声を漏らし、人工体液で瞳を潤ませる。
しかしそれでも、ジニアは男に喋りかけるのをやめなかった。
「……まだ私の手は動く。お前を壊すことも、まだできる……はずだ」
「何を──言っている」
「今ならまだ、フェリンとやらの側まで送ってやる……と言っているんだ」
「戯れ言を……っ」
六度目──引き金にかけた指が握り締められた。
しかし、弾は発射されなかった。弾詰まりだろう。男は何度も引き金を引き、焦ったように銃の至る所をガチャガチャと触っている。
「くそッ……なんだ、なぜ弾が出ない……⁉」
これまで銃を使ったことがなく、弾詰まりという現象を知らないのだ。
どこで仕入れた銃なのか気になるところだが、今はどうでもいい。
「……もう、いいだろう。まだ、私の意識がある間に、処置室へ……行くぞ」
男の元へと足を引き摺り、ジニアは歩いて行く。
「……………………っ」
男は死に体のジニアを視界に入れ、なぜか怯えているようだった。
「……私を殺しても、フェリンは帰ってこないぞ」
そして、ジニアが男の肩に手を書けた──その時。
男はジニアの手を払いのけ、ロングコートをばさりと開いた。
必然的にジニアの視線がそちらへ吸われ、腹に仕掛けられた機械を見る。
「……これで終わりだと思ったか、ジニア」
その表面、7セグメントLEDが示す数字が、一秒ごとに減っていく。
──そうしてすぐに、ゼロを刻んだ。
ピー、と。心電図が心臓の停止を知らせる時のような不穏な音が、耳を劈いた。
「────っ!」
直後。
男を中心に凄まじい爆発が起き、全てを吹き飛ばした。
◇
──なぜだか、ジニアは意識を取り戻した。
確実に爆発に巻き込まれたはずだ。……それなのに、なぜ。
血の気の失せた頭を何とか持ち上げ、周囲を見渡す。
家は頑丈にできていたはずだが、内装はどこを見ても原型を保っていなかった。
窓は割れ、暖炉の煉瓦は崩れ、家具は机も棚もほぼ全てが壊れている。むしろ家としての形を保っているだけ凄いことだろう。
爆風による熱か暖炉の火が燃え移ったか、至る所が燃え広がっている。
出口のドア枠もひしゃげ、その前では木製のドア自体が燃えていた。窓の手前も燃えているため、ここからの脱出は不可能だろう。
……まあ、出られたところで、町まで命が持つわけもないが。
全身の皮膚や粘膜が、焼かれるように熱かったのも当然だろう。
実際に、オーブンの中にいるようなものなのだから。
男の姿は見当たらない。爆弾は時限式で小さかったとはいえ、彼の身体にパーツとして仕掛けられていた。一緒に吹き飛ばされたのだろう。
彼の身体のパーツらしきものも散らばっている。人形というだけあって人の姿を模した形状のため、辺りの惨状は言うまでもない。
そこまで考えて、はっとジニアは自身の背後を見やった。
第一に考えなければならない対象を除外していた。
果たして──そこには、エリスが倒れていた。
アンティークドレスは所々が破れ、腕はあらぬ方向に曲がり、全身に裂傷ができている。血こそ人と違って流れていないが、腹からはオイルが零れていた。
その端正な顔だけは擦り傷くらいで、しかし彼女は目を開けない。
「……エリ、ス」
朦朧とする意識の中で、ジニアは何とかその名前を呼ぶ。
「エリス……! 命令だ。今すぐ、起きろ……っ」
ジニアの命令に反応したのか、エリスの口元が微かに動いた。
彼女はそのまま瞼を開くことなく、口を動かした。
「初めて、名前を、呼んでくださいましたね。……嬉しいです」
口元を微かに緩め、エリスはそんなことを言う。
「……死にぞこないの私を庇う、とは。……。馬鹿め」
──衝撃で吹き飛んでいた、爆発の瞬間の記憶が蘇る。
あの時、エリスはジニアと男の間に飛び込み、ジニアを押し倒したのだ。
結果的に伏せることになったジニアは最小限の被害で済み、代わりに本来ここまでの傷を負うはずのなかったエリスが、身体を酷く損傷させた。
機巧人形は頑丈だ。爆発の余波に巻き込まれたくらいであれば、エリス一人であればここからの脱出もできたかも知れないのに、だ。
彼女は聡明だ。恐らくそれも、分かっていた。
「ジニア、さま。……目が見えないのです。どうか、手を握ってくれませんか」
無茶を言うな、と言いたくなるくらいにジニアも全身が痛かった。
しかしジニアは口にせず、上体の力だけで鉛のように重い身体を引き摺った。
「…………ち」
エリスの側に這って寄り、ジニアはその手に自らの手を重ねる。
「……ありが、とうございます。ジニアさま。もう一つ、いいですか」
「なんだ?」
「私に与えてくださった部屋に、プレゼントがあるんです。……もし取りに行けそうであれば、引き出しの一番上を、開けてみてください」
「……ああ、分かった」
行けるはずもない。それでも、ジニアは頷いた。
「ありがとうございます」
「…………。悪いな」
何かを言おうとしたジニアの口から零れたのは、そんな謝罪の言葉だった。
「……ジニアさまが謝られるのは、珍しいですね。……ですが、なぜでしょうか?」
「私は技師だ。それなのに、エリス──お前を直してやれそうにない」
ぐったりと項垂れ、ジニアは再び身体を床に伏せる。
まともに身体を起こしているのも辛かった。血を流し過ぎたのだろう。
「そんなこと、ですか」
「……そんなこととはなんだ」
「……いえ、すみません。ですが、私は気にしていません、よ」
「私が、気にしているんだ。少しは、気にし……ろ」
「…………分かりました。ジニアさまは……やっぱり、お優しいですね」
「……やっぱり、だと?」
「はい。お会いした時から、ジニアさまは優しかっ……」
言葉の続きは発されない。ジニアは顔を上げてエリスを見る。その手を握る手に精一杯の力を込め、彼女に伝わるように願う。
「……私は、お前、が」
「ジニアさま」
震える声で発したジニアの声を、エリスの小さな声が止めた。
「お慕いしております、ジニアさま。であった、そのひから、わたしは」
壊れたからくりのように、途切れ途切れにエリスは述懐する。
「この、こころが、……造られたものだと、して、も」
──それきり、エリスは黙り込んだ。
ジニアは最期の力を振り絞って、エリスの元へと這って行った。
彼女のぼろぼろの身体を隠すように自らの身体を重ね、そこで力尽きる。
機巧人形であるエリスの身体は本来冷たいはずだ。しかし、周りが炎に包まれているからだろう。彼女の肌は人肌のように温かかった。
「エリ、ス。……私は、お前が、思うような奴では、なかった……」
「わたし、は…………ご、ふっ」
続けて声を出そうとすれば、血の塊が床に吐き出された。
しかし──それでも、ジニアは喋り続けるのをやめなかった。
「作り出すのと……同じだ。命を、心を壊すのも、神の代行だ。こんな私を……私自身が許さなかっ、た。だが、お前だけは──……私の側に、いてくれた」
「────」
「……人は、傲慢だ。機巧人形とは……根本から、違う。だが、それでも……同じ場所に逝けるなら。私は、そう願っても──いいだろう、か」
「なあ。──エリス」
──最期に、穏やかな声でそう告げて。
ジニアは静かに息を引き取った。
二人を死を悲しむ者は、この場に誰も居なかった。やがて炎が家全体を包み込んで。先の爆発音と立ち上る煙に、町に住む人々が異変に気付いて向かった時。
既に、ジニアの家はほとんど原型を残さずに燃え尽きていた。
二人の遺体は見つからなかった。
それどころか燃え残ったものはほとんどなかった。
価値があるものも技師の使う道具くらいで──いや、もう一つだけあった。
──機巧人形の彼女が使っていた部屋の跡。その隅に指輪が二つ、落ちていた。
誰にも気付かれることなく、指輪はその場に放置された。
やがて、人付き合いの少なかったジニアという技師は忘れられていく。
名前が忘れられ、その腕の良さが忘れられ。
かつて偏屈な技師が、丘の上に住んでいたことだけが覚えられている。
それも記録に残らないことだ。
いずれは誰からも忘れられていくことだろう。
──そして、彼と共に過ごして、共に亡くなって。
最期を彼と添い遂げた機巧人形のことは──今や、誰も知らない。
機巧技師と添い遂げた人形のお話 往雪 @Yuyk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます