最終話 楽園よさらば
密林の中のエルフの王国、オルトゥーハ。
かつては過去の悲しい出来事から人を拒絶していた深緑の国。
その国には今、沢山の人間たちが訪れている。
正式に行き来が解禁されたとはいえ、まだ密林の中には人の通れる道路が存在していない。
だから現時点ではまだこの国を訪れるのは険しい道を越えてきた総督府のスタッフたちと、彼らがやとった人夫たちである。
彼らは計測や資材の準備を行う。
この国と密林の外から同時に道路の敷設が開始されるのだ。
そう遠くない未来にジャングルの中と外を結ぶ道路が完成するだろう。
「よう、あんたたち。来たのかよ」
様子を見に来たウィリアムたちに、木材を担いだガタイのいい男が声をかけてくる。
「その……色々とすまなかったな」
男はセルゲイだった。
トレードマークだったリーゼントを短く刈り上げたこの男は今道路の敷設スタッフとして工事に参加している。
これから過去の償いとしてボランティアで様々なエルフたちへの奉仕活動を行っていくらしい。
「しっかり働けよー」
「大丈夫ですよ。見張ってますから」
トウガが声を掛けると後ろからそう返事が聞こえる。
振り返ればハイパーココナッツ伊東がいる。
彼も派遣されたスタッフに加わっていたようだ。
「先生、我だ」
ウィリアムの姿を見つけたエルザが駆け寄ってきた。
「今な、我は人間の社会の勉強をしているのだ。いつか人の街で暮らしても大丈夫なほど知識を蓄えて先生に恩返しに行くのだ。待っていてくれ」
そう言って笑うエルフの少女の頭をウィリアムが優しく撫でた。
「忙しくてかなわぬ。数百年分の仕事が一度に舞い込んできたようじゃ」
メリルリアーナ女王は苦笑する。
若干の疲労が伺える彼女の表情にはかつての険のあるものではなく穏やかで優しげなものだ。
「しかし実際に止まってた数百年の時を動かす仕事をしているのだからやむを得ぬがな」
そう言って彼女は静かに目を閉じる。
「お前たちのお陰でアレックスもここの墓地に埋葬してやる事ができた。いずれ妾の入る墓の隣じゃ。本当に感謝しておる。オルトゥーハのエルフたちは終生この恩を忘れることはない。ありがとう……勇敢で心優しい者たちよ」
女王は深く頭を下げる。
その背後の精霊像の頭部には銀の宝冠が輝いていた。
────────────────
旅の荷物は袋型のカバンが1つ。
それを黒髪の巨漢が肩に担ぐ。
「あーあ、行っちゃうんだ~」
「ああ。今回の事でよぉーくわかったぜ。俺もまだまだ修行が足りねえ」
残念そうにしているパルテリースにトウガがニヤリと笑う。
この大柄な武術家はウィリアムたちよりも一足早い船で島を去ることになった。
「今のままじゃ一緒にいても足手纏いになるだけだ。見てろよ、俺はまだまだ強くなるぜ」
「山篭りでもする気なら気を付けなさいよオメー。クマかと思われて撃ち殺されねーように」
エトワールの辛口のエールに苦笑いする巨漢。
……そして、緒仁原トウガはウィリアムの前に立つ。
「先生、俺は冒険者ギルドに登録してる。何かあればギルドに連絡を入れてくれ。世界のどこにいようが必ず駆けつけて力になる」
そう言ってトウガは大きな手を差し出した。
彼の手をウィリアムがしっかりと握る。
「わかった。君も何かあれば私の事務所に連絡を入れてくれ。我々は仲間だ。君に何かあった時も我々は必ず駆けつける」
「先生……」
一瞬目を潤ませ、それを隠すようにトウガが拳で乱暴に鼻を拭った。
「あばよ皆!! また会おうぜ!!!」
そう叫んで大きく手を振って……。
トウガは大きな歩幅で去っていく。
次にウィリアムたちが彼に出会うとき、どれほど彼は腕を上げているのだろうか。
────────────────
船出の日がやってきた。
半月ばかりのほとんどバカンスできなかった日々よさらば。
ウィリアムたちはそれぞれ荷物を手に大型蒸気旅客船『スペシャル轟沈号』に乗り込んでいく。
「オメー、本当に来る気かよ。帰れよ、ヴェゼルザークに」
「折角ですがお断りします。有能で可愛らしいメイドさんがファミリーに加わったことで貴女が自分の存在意義について悩むのは理解はできますが」
剣呑な視線をぶつけ合わせて甲板で睨み合っているエトワールとカルラ。
「メイドならウチが頼まれればいくらだってやるんだよ。テメーの出番なんぞ毛ほどもねえ。帰りやがんなさいよ」
「そうですか? 貴女に私の代わりが務まるとは思いません。私なら
ピキーン!とエトワールの何かが切れた。
「テメーは今越えた……越えちまいましたよ生と死を分かつ境界線をスキップで軽々しくなぁ」
ずごごごごご、とすごいオーラを吹き上げているブロンドの美少女。
それを見るメイドは涼しい顔をしているが。
「お、おい頼むよ……仲良くしてくれ。君たちが喧嘩したら船が吹き飛んでしまう」
必死に宥めようと試みるウィリアム。
だがその顔色は死人のように悪い。
「先生はメイドさん好きなの? アタシも着たほうがいい?」
そしてその背後ではパルテリースがさらに状況をややこしくしそうな事を言っている。
「先生ー!!!」
遠くから声が掛かった。
一同がそちらを振り返る。
港に大勢が集まり手を振っていた。
総督府の人々、エルフたち、アンカーの街の住民……。
そして、沢山のプロレスラー………。
「プロレスラーおるわ!!!」
ガァン!とショックでウィリアムが表情を強張らせる。
どこにいたんだと思うくらいの大量のプロレスラーたちが笑顔で船に向かって手を振っている。
「また会おうぜー!!」
「アンタ最高のレスラーだったよ!!」
「やめろおおお!! 私の経歴に侵食してくるんじゃない!! またってなんだ! 初対面だろうが今!!!!」
生まれついて野生動物に好かれる特殊な素養を持つ者がいるように、生まれついてプロレスラーに好かれる特殊な素養を持つ者もいる……それがウィリアム・バーンズという男である。
プロレスラーたちはウィリアムを見ると無意識に好意を持ち、自分たちと同種の存在であると認識するのだ。
青い空にもくもくと煙を吐いて大海原を蒸気船が進む。
カモメが空を舞う港では沖合いに船が消えていくまでいつまでも歓声が止む事はなかった。
………………………………………………。
………………………………。
…………………。
──某国、暗黒街。
治安が良くない事で有名なこの国でも特に酷いとされるある都市。
警察も軍もこの街ではまったく機能していない。
そんな犯罪都市の薄暗い路地に今1人の女性の姿があった。
風が吹き粉雪が舞う寒い夜にカバンを手にしたロングコートの女性が歩いている。
「おいおい、正気か?」
「陽がある内だって1人で出歩く女なんかいやしねぇぜ」
柄の悪い2人の男が女性の前を塞ぐ。
2人とも濃い闇の匂いをさせた男だ。
これまでに殺人を含めた一通りの犯罪を経験してきている裏社会の住人。
両名とも手に刃物を持っている。
「とりあえず一緒に来てもらおうか女。騒いでもいいぜ、どうせ誰も出てきやしねえ」
男の1人が女性の鼻先にナイフをチラつかせた。
女性が形の良い赤い唇に笑みを浮かべ、そっとその男の手に触れた。
「……お?」
すると、ナイフごと男の手が黒く崩れ去る。
漆黒の欠片たちは地面に落ちるより早く風に溶けて消えていく。
「おい、これ……オレの腕がよ……」
相棒を振り返る男。
するとそちらには先ほどまでいたはずの男の姿がない。
「おい、どこ行ったんだよ。オレの手、オレの手が大変なんだって……はファ……」
全身が黒く染まって男は崩れて消えていった。
その時には既に女性は背を向けて歩き始めている。
「……ふふ」
誰もいなくなった背後を1度だけ振り返って女性は妖しく微笑むのだった。
──── 完 ────
南の海の侵略者(インベーダー) ~バカンスに来たはずなのにキュウリまみれでキメラと戦う羽目になるお話~ 八葉 @hachiyou1995
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