アルファ・リュンキス

カフェオレ

アルファ・リュンキス

「なあ今度どこか遊びに行かないか? 翔ちゃん夏休みだし暇だろ?」

 常連客で賑わうラウンジで吉本孝介よしもとこうすけは、いつも通りれいこと、佐藤綾華さとうあやかを指名していた。

 一方綾華はまたその話かと、ため息を吐きそうになった。

「孝介、いつもあんたには感謝してるけどあの子のことは私一人でなんとかするから大丈夫よ。それに翔には宿題やらせなきゃ」

「宿題は俺も手伝うよ。ヤンキー上がりの君なんかには難しいだろ」

 翔は綾華の一人息子で今年小学二年生になった。彼は綾華が十九歳の時、バイト先の先輩との間に生まれた男の子だ。しかし、父親に当たるその男は翔が生まれてまもなく行方をくらませた。

 親からは勘当同然であるため綾華はシングルマザーとして昼はコンビニ、夜は水商売をしてなんとか翔を育てている。

 吉本孝介はそんな綾華の幼馴染で、彼女のことをずっと想い続けている。孝介は不良気質だった綾華とは異なり真面目が取り柄の男で大学も出ていた。孝介と綾華は中学を卒業してから、というより綾華が不良グループとつるみだしてからは疎遠となっていたが、二年ほど前にこのラウンジで再会し、安月給にも関わらず足繁く通うようになった。そして綾華の現状を知り、君と一緒になりたいと何度も彼女に言い募っている。綾華と店の外で食事した際、何度か翔とも会っていた。

「舐めんなよ。小学校の勉強くらい分かるわよ。それに翔は結構頭いいから」

「ああ、翔ちゃんは頭いい。いっぱい勉強していい大学も目指せるよ、あの子は」

 そのためには金がいるだろ? と孝介が言いたいのは明白だった。綾華自身そんなことはわかりきっている。

 彼女は今年で二十七歳になる。もうラウンジは限界が近いし、最近酒に弱くなったのも自覚している。正直孝介からの指名がなかったら店の売り上げに貢献出来ていないだろう。だから水商売からは足を洗うべきなのかもしれないが、今までに大した職歴がないため他の仕事もちょっと難しい。翔との将来に相当な不安があるのは事実だった。今だって苦しいのにそれ以上にお金が必要になる。事実、翔のランドセルは孝介に買ってもらった。

「なあ綾華」

「ねえちょっと!」

「ああごめん、怜」

 店では本名で呼ばれたくない。怜は店での源氏名だ。

「気をつけてよね。で、なに?」

「やっぱり俺じゃダメか?」

 孝介は懇願するように尋ねた。

「今は二人の時間が欲しいの」

「実際問題、いつまでもそうはいかないだろ」

「そうだけど……」

 綾華は小さく頷いた。

 孝介は真面目でいい人だと思っている。しかし、今まで付き合った男とはまるでタイプが違う。自分なんかが孝介の人生を狂わせてもいいものだろうか。

 この期に及んで選り好みするなと言われそうだが、彼女の中でどうしても今一つ彼を受け入れられない自分がいた。もう少し時間をかけたい、彼が待ってくれればの話だが。

 そもそもなぜ孝介は自分なんかを想い続けているのか。そう疑問に思い、以前訊いてみたら学校に毎日来てたところ、なんだかんだ真面目だからと、訳のわからない答えが返ってきた。

「俺さ二年前——君と再会した頃だな——流れ星見たんだよ」

「は?」

 綾華は呆気に取られた。いきなり何の話が始まったのだろう。

「その時、俺は君と翔ちゃんが楽しく幸せに暮らせることを願ったんだ。本気で祈ったよ」

 自分がそうさせたい、ではなく。

 綾華は無言で頷く。

「どう、今?」

「楽しいよ翔との暮らしは」

 綾華は迷わず答えた。実際に大変な分、何気ない幸せや喜びも大きく感じる。

「良かった!」と安心したように孝介は喜色満面で言った。

「じゃあ俺は今のままでいればいいってことだな」

「うん……いや違う! その……」

 このままだと孝介にとって良くない。それでは金を取るだけ取って、都合のいい男ではないか。そう思い打ち消そうとしたが孝介はいい、いいと掌を左右に振った。

「よし、うん。わかった」

 孝介はおもむろに立ち上がった。

「帰るの?」

「まだ酒開けろってか?」

 孝介は悪戯っぽく笑った。

「そうしてくれてもいいけど、あんた酒弱いでしょ? 勘弁してあげるわ」

「ああ、お互いにな。楽しかったよ。また来る」

「うん」

「あ、夏休みのこと考えといてくれよ」

「はいはい」

 綾華はおざなりに返事した。

「この後はどうすんの?」

「星でも見に行くかな。今夜は天気がいいし」

「何よ、ロマンチストみたい」

 綾華はたまらず吹き出した。

「お前にはわかんねーんだよ。まあ紳士の嗜みだ」

「こんな場末のラウンジで人気のない嬢に求婚するやつを紳士とは言わないわよ」

「はははは! そうかもな。まあ、流れ星が見えたら二年前と同じことを願うよ」

「はいはい、ありがとね」

「おう、じゃあ体に気をつけろよ。翔ちゃんにもよろしくな」

 そう言うと孝介は清々しい顔付きで背中を見せたまま手を振り店を出た。



「流れ星に私も背中を押してもらえないかな」

 綾華は店先でその背中を見送るとぽつりと呟いた。

「あの子、最近あんたのことパパって呼んでんのよ」

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