第2話③

 天音と分かれたあと、蒼生は借りていた本を返しに図書室へと向かった。

 一人暮らしでバイトもしていない本好き男子高校生にとって、図書室というのは限りがあるものの、タダで本が読めて借りられる、まさに天国だった。

 蒼生は何冊かまとめて借りて、貸出期間の二週間を目一杯使ってそれを読み、返却日に返したあと、読みきれなかった本や、別の本をまた借りるということを繰り返していた。

 中学時代よりも勉強や学校が忙しくなり、読む時間や読む頻度は減ったものの、それでも二週間で二冊は読んでいるので、周りと比べればたくさん読んでいる方だろう。

 今まではミステリーや時代小説を読むことが多かった蒼生だが、高校生になってから、というより柊人と出会ってからはライトノベルもよく読むようになっていた。

 今も柊人おすすめの異世界ファンタジー小説の長編シリーズを読んでいて、蒼生自身続きが気になってページを捲る手が止まらないこともある。

 今日も目当ての本を借りて図書室を出ると、ポケットに仕舞っていたスマホに着信があった。

 なんだろうと思って確認すると、一件のメッセージが来ていた。

 差出人は現在社会人で働いている蒼生の姉で、普段頻繁にやり取りをしているわけではなく、このメッセージも久しぶりの連絡だった。

 メッセージアプリを開いて内容を確認すると、そこには一言、「今日の六時に客人あり。家にいるように」とだけ送られてきていた。

(今日の六時って唐突すぎるだろ・・・・・・今は五時ちょっと前だから急げば間に合うか。準備もあるから結構ギリギリだな・・・)

 客人についての詳細もなく、怪しさ満天で少し違和感も感じるが、とにかくここは従っておかなくてはと思い、急いで帰宅する。

 今日は自転車で来ているため、学校から家まで飛ばす。

 バスだったら十分程で着くが、自転車だと三十分近くかかるため、間に合いはするにしても慌ただしいことには変わりない。

 精一杯ペダルを漕いで家についた蒼生は、来客までの残り時間で準備をしていく。

 基本的に整理整頓を普段からやっているため、リビングや自室はきれいであるが、一応掃除機を掛けてホコリを取り除く。

 掃除機掛けが終われば次は飲み物の用意をする。

 万が一人が来たときのために種類は豊富に用意をしておけ、と両親がよく言っていたので、蒼生の家には紅茶や日本茶、珈琲にフレーバーティーと多種多様だった。

 滅多に来客があることはないため、普段は自分で飲むことが多いが、今日はストックしておいてよかったと思う。

 帰り道にスーパーで買ったクッキーもあわせて用意を済ませれば、時計を見ると間もなく予定の時刻だった。

 なんとか間に合ったとソファーに座って一呼吸つくも、ゆっくりできるのも束の間で、六時ちょうどに家のインターホンが鳴った。

 蒼生の住むマンションでは来客の際、エントランスで部屋番号を入力してその部屋に連絡をいれる必要がある。

 連絡を受けた居住者は、誰が来たのかを部屋にある液晶で確認して、部屋からエントランスの鍵を開けて中に招き入れることができる。

 液晶画面を確認すると、そこには一人の女性が映っていた。

「北野と申します。彩羽さんはご在宅でしょうか?」

 彩羽とは蒼生の姉の名前なので、例の来客とはこの人だろう。

「姉はいませんが話は伺っています。今開けるので少しお待ち下さい」

 蒼生は液晶を操作してエントランスの鍵を開ける。

「お待たせしました。どうぞお入りください」

 通話を終わらせた蒼生は玄関で待機する。

 彩羽の客人であるなら恐らく彼女が戻ってくるまでおもてなししているだけでいいだろう、と思いつつも、インターホン越しで感じた引っかかりに少し警戒してしまう。

 深呼吸して心を落ち着かせていると、今度は部屋のインターホンが鳴った。

 玄関の扉を開けると、そこには先程画面に映っていた女性が立っていた。

 肩より少し長めに伸ばしたマロン色の髪は、ふわっと巻かれて上品さを感じさせるが、顔立ちや小柄な体躯からはどこか幼さも感じられる、不思議と魅入ってしまう美しい女性だった。

 そんな女性の後ろにはもう一人、制服姿の少女が立っていた。

 そのよく見慣れた、それこそ放課後にもあった少女と目が合うと、彼女は大きく口を開けた状態で固まってしまった。

 蒼生はと言うと、こちらも同じく状況が飲み込めず、思考が停止して時間が止まったかのようにその場に立ち尽くす。

 そんな二人をよそに、女性はおっとりとした様子で蒼生に向かって自己紹介をする。

「北野綾子と申します。こっちは私の娘の天音です」

 まさかの来訪者は天音親子だった。



 蒼生はとりあえず、来訪した二人をリビングに通してソファーに座ってもらい、用意していた飲み物とお菓子を準備する。

「飲み物は何が良いですか?」

「あら、いいのかしら?そうねぇ、紅茶があればそれをお願いしても?」

「わかりました」

「天音も同じでいいわよね?」

「・・・うん」

 注文された紅茶を淹れて二人の前に出す。

「ありがとう」

 綾子は落ち着いた調子で蒼生に笑顔を向ける。

 その笑顔は以前スーパーで見た天音の自然な笑みとそっくりで、本当に親子であることを実感させられてしまい、自分の家にいながら居心地はあまり良くない。

 綾子の隣に座る天音は、どこか不機嫌そうで、微妙に白い頬が赤く膨らんでいた。

「・・・えっと、それで今日は――」

 どんな要件で来たのかを聞こうとした時、蒼生のスマホが電話の着信を告げる。

 画面には、本来ならここにいなくてはならない「彩羽」の文字が映し出されている。

「すみません、姉から電話が。少し出てきますのでごゆっくり」

 そういって一度自室に入る。

「もしもし」

『悪いが今日はそっちに行けなそうだ。むこうに全て話は通ってるはずだから、対応は任せる』

「待て、急なこと過ぎて何もわからない。事情を説明してくれ」

 電話を切ろうとする彩羽を急いで止めて詳細を聞く。

『ん、言ってなかったか?綾子さんの娘さんの面倒をしばらく見ることになった』

「はあ!?」

 思わず大きな声を上げてしまうくらいの衝撃発言をした彩羽は、何を今更というように続ける。

『綾子さんは私の職場で働いているパートさんでな――』

 彩羽は写真館に勤めており、綾子は職場の同僚だったのだが、突然旦那の出張に同行する事となったため、一旦休みをとることになったらしい。

 そこからの説明は、今日の放課後に天音が話した内容と同じで、一人暮らしの準備や諸々を手伝ってほしいということだった。

『職場でその話を聞いたときに、ちょうど同い年の弟がいて今は一人暮らしだと話したら、ぜひ助けてくれと言われてな。いつも良くしてもらっていたから引き受けた』

「引き受けるのは良いんだが、せめてこっちに連絡をしてくれ。こっちだって準備があるんだから」

『蒼生ならなんとかできると思ってな、すっかり忘れていた』

 職場での姉は、テキパキと仕事をこなして皆から尊敬されているらしいが、こういうときに抜けていると言うか、雑なところがあったりする。

 信頼されていることがくすぐったく感じるものの、これから毎回適当にやられては困るので、しっかりと釘を差しておく。

「今日はなんとかなったけど、今度からは事前に連絡すること」

『ああ大丈夫だ』

 まったく信用ならない大丈夫をもらった蒼生は、呆れながらも電話を切って、リビングで待つ北野親子のもとに向かった。

「すみません、お待たせしました」

「お帰りなさい。・・・その様子だと、私たちの話は彩羽ちゃんから聞いてなかったみたいねぇ」

 少し疲れた表情を出してしまっていた蒼生を見て、綾子は頬に手を添えながら困ったようにつぶやく。

 一方蒼生が自室に入ってから戻ってくるまでの間、天音は少しも動いておらず、まるで静止画のように止まっていた。

 緊張から表情がガチガチに固まっているが、それでも絵になるのだから、美少女というのは恐ろしいものだ。

「そういえばさっき天音から聞いたのだけれど、蒼生君は天音の同級生で知り合いなのね。しかもこの間はお使いを手伝ってくれたとか」

「はい、といっても本当に最近のことです」

 場を和ませようと、綾子が話を切り出す。

「まあ初対面じゃないなら、安心して娘を預けられるわね」

「預けるというのは?俺もついさっき姉から話を聞かされたので・・・」

 今のところ蒼生が知っているのは、天音がしばらくの間一人で生活するのを助けてほしいということだけで、具体的にどんなことをするのかはピンときていない。

 「簡単に言えば私と夫が出張に行っている間、料理を教えてあげたり、洗濯の仕方を教えてくれるだけでいいの。急に押しかけられて混乱してると思うんだけど、どうか天音のことを手伝ってくれないかしら?」

 内容は掃除や洗濯、料理などを初心者の天音に教えてサポートしてほしいとのこと。

「本当は私が残ってやることなんだけど、どうしても同行しなくちゃいけなくてねぇ・・・急ではあるけど頼めるかしら?もし無理なら遠慮なく言っていいんだけど・・・」

(あまり北野と関わると学校の奴らに目をつけらるから断りたいところではあるが・・・)

 本音では断りたいものの、どうしても一人、引っかかる存在があった。

 それは今も座って微動だにしない、天音だった。

 天音は自分の母親を心配させないために、わざわざ蒼生を呼び出し、家事の仕方を聞いてきた。お手伝いさんの前で恥ずかしい思いをしないためとは言っていたが、一番の理由は両親のことを思ってのことだろう。

 真剣にアドバイスや説明のメモを取っていた天音の姿を思い出して、蒼生は断りづらくなってしまう。

「・・・わかりました。俺で良ければ引き受けます」

 腹をくくった蒼生は、綾子のお願いを受け入れる。

「助かるわ!ありがとう、蒼生君!」

 立ち上がり、頭を下げて感謝を伝える綾子に、蒼生は恐縮してしまう。

「頭を上げてください!こちらこそよろしくお願いします」

「よろしくお願いします。・・・ほら、天音も挨拶しなさい」

 ここまで本当にピクリとも動かなかった天音が、綾子に話しかけられたことでようやく動いた。

「そ、その、よろしく、お願いします・・・」

 ボソボソと恥ずかしそうに挨拶をする天音に、蒼生は少しだけ同情する。

(無理もないよな、急に同級生が家事を手伝うなんて普通あり得ないし。俺だってお手伝いさんに頑張れとか応援してたけど、まさか自分がなるとは思わないだろ・・・)

 天音としてはせっかく恥をかかないように予め勉強したのに、その講師にこれからまた教わることになるのだ。

 見事なフラグ回収で逆に笑えてきてしまう。

「ちゃんとお礼としてお金は払わせてもらうわ」

 綾子が急にそんな事をいうので、蒼生は慌てて遠慮する。

「い、いえ、そんな!お金をもらうほどのことでもないですよ」

「でも時間を取らせちゃうわけだし、負担にもなるだろうから、ここは私の顔を立たせると思って、ね?」

 固辞しようとするも、綾子には折れる気がなく、蒼生は渋々受け取ることにした。

「そうしたら、詳しい連絡はまた今度するわね」

 気づけば時刻は七時をまわっていたため、今日は一旦解散する。

 今後の連絡のために蒼生と綾子は連絡先を交換し、いつでも報告できるようにした。

「じゃあ失礼します。今日は本当にありがとうね」

「ありがとう、ございます」

 北野親子をマンションのエントランスまで見送り、リビングに戻った蒼生はソファーに横になる。

(流石に頭パンクする・・・)

 改めて今日あったことを思い返すと、本当に怒涛の一日だった。

 しかしこれは始まりに過ぎず、これからは更に忙しくなるだろう。

(疲れたし考えるのも嫌だから、このまま寝ようかな)

 今日のことを整理するには一度寝る必要がある。もしかしたら長い夢だったのかもしれない。

 そうして目を閉じた蒼生は、朝まで起きることはなかったし、当然夢オチでもなかった。

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