第6話 オツキアイというものについて。

「うーん、第一志望は変わらず、専門学校か。ちょっと進路の選択肢、増やしてみたらいいぞ。大学の家政学部とかも視野に入れたらどうだ?」

 夢のようなあの文化祭から、僕の周囲は明らかに変化していた。僕自身、と言うよりも、僕に対する周りの反応が、だ。


「君のおかげで海野先輩とフォークダンスができたの! ありがとう!」

「焼きそば、うまかったよ!」

 そんな感じで知らない人から感謝されたり、褒められたり。

 あと、文化祭の売り上げ上位に食い込んで、副賞のメニュー指定自由な学食無料券十回分が全員のものになったのでクラスの皆からもなんだかすごくお礼を言われたりして、クラス内での殊勲賞をもらったりしたのだけど、売り上げ上位は皆も協力してくれたからできたことだと思う。少なくとも、僕だけの手柄じゃない。

 あ、お客さんを呼んでくださったあさひ先輩にはたくさんありがとうございますをお伝えしたいくらいだけどね。


 そして、今は職員室で担任の先生に大学進学について指導を受けている。お説教じゃなくて、専門学校もいいけれど、選択肢が増やせるという内容。つまりは、激励だ。


海野と山島がなあ……。でもまあ、この結果だしなあ。山島はやればできる生徒だったんだなあ。さすがは海野だ」


 そう。いきなり伸びた成績もだけれど、それ以上に、夢のような僕の現実はまだあいかわらずで。

 なんと、文化祭のあとから海野先輩と僕は、オツキアイというものを始めていたのだ。

 オツキアイとは言っても、先輩が僕に勉強を教えて下さるという僕にとってメリットだらけの、嬉しいだけのものじゃないのかな? という関係なのだけれど。


 オツキアイ関係が始まったきっかけの日。それは、文化祭の振替休日の日だった。


 高校までは徒歩20分という近距離の僕の家のインターフォンが鳴り、はいはい、と出た母さん。


 数分後。

「……かっこいい美少女さんがいる! 知り合い? それとも、なにかの撮影?」と母さんがひたすら慌てていた。


 僕の知る、かっこいい美少女さんは、あの人以外いない。先輩に頼まれて後夜祭の合間に住所や連絡先を交換したのだということを覚えてはいたけれど、僕のほうから何かをすることができるはずはない。そういう意味では僕は僕を信じていた。

 そもそも、僕には家に訪ねてくるような女子の知り合いがいない。それは本来、誰よりも母さんが知っているはずのことなのだと思う。


「お母様でいらっしゃいますか。突然申し訳ございません、自分は、海野と申します……」

 そんなやり取りから始まり、母さんは戸棚の奥から高級茶葉を取り出し、ティーコゼー付きで僕に託した。

「先輩に入れてさしあげて! ケーキ買ってくるから!」

 そのあとの母さんは、うちの近所にある地元だけではなくて県外からもわざわざお客さんが来るお店に全力疾走したのだ。その様子はたいへん騒がしかった。

 僕も、ごく普通の建て売りの我が家があんなにきらびやかに見える日が来るとは思ってもみなかったけれど。

 あさひ先輩が正座をされていた座布団は薄くなっていてそろそろ買い換えようかと母さんが父さんと相談していたものだったのに。なんだか、綿の膨らみが増して高級座布団に変化したみたいだったよ。


 先輩は、文化祭での僕の焼きそば屋台のことをすごく褒めてくださっていた。あと、周囲をよく見ていて、人を思い遣る素晴らしい後輩です、とか色々。

 僕はそれを、素晴らしいのはこんなふうに褒めてくださる先輩だと思うなあ、先輩は声も素敵だなあ、と思いながら聞いていた。


「それでは、来週また伺わせて頂きます」

「どうぞよろしくお願い申し上げます」

 そうしたら、いつの間にか、先輩と母さんは握手をしていた。


「……よくやったわ。ほんとうに、よくやったわ。あんなに素敵な人が、家庭教師……。お料理が上手な息子をもって、お母さん、幸せものだわ」

 あさひ先輩が帰られたあと、僕は母さんにものすごく褒められた。

 そこで僕はようやく、先輩は僕の家庭教師をしてくださるのだということに気付いたのだ。


「山島君は苦手な科目は?」

「主要教科はだいたいです」 

 そうだ、そうだった。

 フォークダンスのときに、あさひ先輩に見とれている僕に、先輩は色々聞いてくれていたんだ。

 あのとき、先輩の質問に正直に答えた僕。あの僕を、褒めてやりたくなった瞬間だった。


 そんな感じで、週に一度、先輩が僕の家で家庭教師をして下さるという夢のような話は始まって。


「山島君と私は、お付き合いをしているということでいいのかな。もしも、私が勘違いをしているようなら、思考を正してほしいのだけれど」

 一月後くらいに、こう尋ねられて。

 そう言われて、「違います」と言うことができる山島君という存在を、僕は知らない。

 そもそも、こんなに素敵な問いに異を唱える山島君は……いない。


 夢は夢じゃないこともあるんだなあ、と、僕はそのとき、ふわふわとしていた。多分、体も揺れていた。フォークダンスのときも、僕はきっと、揺れていたのだろう。ふわふわ、ゆらゆらと。


 そうそう。

 家庭教師の代金を、と母さんは何度も何度もメッセージアプリで先輩に確認し、僕は母さんほどは確認できなかったけれど何回かお話をしてみた結果、家庭教師の日の夕飯を僕の手作りで召し上がってもらい、週に一度は必ず、できれば二度は昼食のお弁当を作らせて頂くことでなんとか落ち着いたのだけれど。


「あとは……そうだ。近いうちに、私の友達たちにも焼きそば、ふるまってあげてもらえるかな?」

 あえてお願いするなら、と先輩が言われたこと。

 これは、僕にとってはご褒美だ。


「じゃあ、伝えておくから、当人たちがお願いにきたら驚かないであげてくれるかな」

「はい!」


 僕は、そのとき、気持ちよく返事をしていた。


 そう。あさひ先輩は、ほんとうに僕を喜ばせてくれる名人さんなんだよね。

 

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