ひとでなし

(※直接的ではない残虐描写があります)




 カラスはすでに昼も過ぎたことを日の角度で確認し、寝台の上で背を伸ばした。

 昨日の夜はよく眠れなくて、魔術書を読みながら明け方まで起きていたのだ。魅朧メイロンは、二日前からいなかった。

 それはちょうど、夜更けに裸でベッドに潜り込んでいた最中だ。小さな飛蜥蜴が運んできた手紙を読むなり、彼は出かけてくると言ってそれっきり。

 どこへ、何をしに、問う間もあたえられず、殺気も剥き出しに窓から海へ飛び降りて、夜を溶かしたような海底へと潜っていった。

 こうやって置いていかれるのは、魅朧の伴侶だと自覚してから何度かあった。それなりにいい雰囲気になりかけた瞬間、というのは初めてだったが、それはこの際、別にどうでもいい。

 どうせ俺は海の中にはついていけないし、龍種ではないから種族特有の問題を持ち出されたって、何か言える立場ではない。だが、帰ってきたなら、せめて説明をしてほしかった。

 心配しなくていいだとか、気にするなだとか、そういうのはいらないんだ。俺が聞いたってわからないかもしれないけれど、それでも何があったのかは知りたい。

 きっと、艦橋に詰めているメンバーだとか、魅朧の親友らしいエルギーに聞けば、何が起こっているのか教えてもらえるだろう。ただ、魅朧に少しだけ似ている長身の龍族の男が、少しだけ苦手だった。

 エルギーはノクラフの夫だから悪いひとでないことはわかる。けれど、腹の底まで見透かすような温度のない瞳を向けられると、値踏みをされているような気がして気まずい思いをする。本人にそんな気はないらしいけれど、それでも苦手なものは苦手だ。だから、この船で二番目に強くて、魅朧の幼なじみで親友だという男には、聞けていない。

 魅朧が話してくれないのは、俺に信用がたりないのだろうか。好きだという愛情と、何もかも話せるという信頼はイコールではない。

 俺は感情も全て筒抜けにされているのに、不平等じゃないだろうか。そんな憤りが、置いていかれるたびに蓄積されていた。

 船長室のベッドは、ひとりで眠るには広すぎて、ふたりで眠るには少しだけ狭い。どこかしら触れていたのが普通だったから、この二日はひどく寒い思いをした。中途半端に煽られた熱が、鎮火もせずに燻っている気もする。

 毛布にくるまって寝返りをうち、けれど、二度寝の気配は遠くに行ってしまったらしい。それに何やら甲板が騒がしい。

 ベッドを下りて窓から外を覗きこむと、どうやら停船しているようだ。港の類ではなさそうだが、どこかの島にでも寄っているのかもしれない。顔を洗ってブーツを履いて、ダガーホルダー付きのベルトを巻く。

 階段を上って甲板に出ると、漆黒の鱗スケイリー・ジェット号はどこかの島に横付けされていた。甲板と同じ高さに陸地がある。荒削りの岩が剥き出しで、タラップのかわりなのか板がかけられている。

 崖の上に黒い塊がいくつか。どうやら、船員の誰かが本体に戻って日向ぼっこでもしているらしい。それから、肉の焼ける匂いが漂ってきていた。なんとなく嫌な臭いだ。

 甲板でバーベキューをすることは稀にあるけれど、やはり船上より地上で火を燃やす方が安心できる。何を焼いているのかわからないが、特殊な肉なのかもしれない。

「あら、やっと起きたの?」

 葡萄がたくさん入った籠を片手に、ノクラフが艦橋から出てきた。やけにニヤニヤしてるのはなんでだ。

「明け方寝たから、さっき目が覚めた。ここ、どこ?」

「エデューマから南にちょっと離れた無人島。アンタ初めてだっけ」

 カラスは素直にうなずいた。

「ここ、ぐるっと崖なのよ。うちの船くらいデカくて安定してないと横付けできないんだ。……って、エルギーが言ってた気がする。鱗の虫干しするのにいい場所」

「ついでにバーベキューも?」

「……んー、あれは、魅朧のお土産? みたいな。アンタは行かないほうがいいかも?」

 疑問形で、どこか釈然としない語りくちだった。何か俺が見てはいけないものがあるのかもしれない。それはいい。いいんだが、待ってくれ、魅朧が戻ってるのか。

「魅朧? 帰ってるわよ。アンタんとこ行ったって言ってたけど。え、だから起きてくんの遅かったんじゃないの?」

 残念ながら起こされて何かされていたわけじゃない。むしろ、起こしてすらくれなかったのだと、初めて知った。いや、本当は船長室にすら寄ってないのかもしれない。魅朧の痕跡なんて、まったく感じなかったし。

 何なんだよ。俺は全部後回しか。

 ひやりと心に冷たいものが流れ込んでくる。痛みに近い。自分でもよくわからない衝動があふれ出さないように、奥歯を噛みしめた。こんな感情は知られたくない。

「カ、カラス?」

 ノクラフが困惑の声をこぼす。俺は彼女を慰めることもできず、淡々と心に遮蔽術を張った。知られなければ、まだ、耐えられる。大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

「魅朧、呼んでこようか? あっちにいるから」

 心配そうな彼女が無人島を指さした。俺は首を横に振った。魅朧に会いたくない。

「じゃあ、これ、いっしょに食べよ?」

 うなずいて、カラスは食堂階へ下りるべく太陽に背を向けた。



 カラスが泣いてる。

 ノクラフからチィオを経由した伝言が届いた瞬間、魅朧は踵を返した。

「キャプテン?」

 焼けた大腿骨を囓る仲間には、伴侶が呼んでることと、あとは好きにしていいとだけ感情をぶつけてやる。下世話な野次が返ってきたけれど、何より大事なことは己の伴侶だ。ずっと放っておいてしまったから、心配でたまらない。

 ほとんどひとっ飛びで島から甲板に飛び移って、愛しい相手の気配を探った。すっかり熟睡していたと思ったのに、どうやら遮蔽術まで張って心を籠城させている。

 感情を視る龍にとって、それを隠すことは拒絶されていることと同義だ。プライベートだからと視せたくないのなら尊重するし、そもそも能力差があるから同族でも魅朧の内心を全て読めるのは幼なじみのチィオくらいなものだ。誰彼構わず押しつける気もなければ、全部を暴きたいわけでもない。

 だが、カラスは別だ。許したのは自分だが、頑なに隠されると不快感がある。不安にもなる。異種族だから、伴侶だからと許しているだけで、本心では遮蔽術など糞食らえだと思っていた。

 ついこのあいだなんて、尊重しすぎて痛い目をみたばかりだ。カラスだって納得したと思ったのに、今回はなんだというのか。

 己の伴侶の気配なら、どれだけ距離が離れていようと正確に察知することができる。食堂を通り越して居住区画の手前、廊下の空いたスペースにカラスがいた。普段は誰かしらボードゲームをしたり酒を飲んでいる、休憩場所のひとつだ。ノクラフとふたりで葡萄をつまんでいた。

 その葡萄はあの島の野生種だなと思ったが、黙っておく。まあ、農業だって似たようなものだろう。

「カラス」

 声をかけると、灰色の髪が揺れた。ちらりと顔を上げるだけで、つまらなそうに視線をそらす。一瞬だけ俺のコートを確認したのは見逃さない。普段なら惚れ直してくれそうだが、今日は通用しないらしい。わかりやすく不機嫌だ。だが、少なくとも泣いてはいない。

 さて、どうしたものか。

 いったい何が原因で、俺の伴侶は臍を曲げているんだ。

「ノクラフ、カラスは返してもらうぞ」

「ちょっとぉ、礼ならまだしもソレはないんじゃない?」

 それもそうだ。カラスの異変を教えてくれたのは、そもそもがノクラフだった。

「珍しくチィオが一匹丸呑みにしてた。部屋に籠もるなら、好きにしろ」

「……んん、それなら許すわ」

 途端に満面の笑みを浮かべたノクラフは、豊満な胸を揺らしながら立ち上がった。足取りも軽やかに夫婦の部屋へ帰っていく。

 どうせ数日はここに停船するつもりだ。酒のつまみは充分。天候も申し分ない。しばらく自堕落に過ごしても、何の支障もないだろう。

「さて」

 俺は敢えて声音を低く震わせ、カラスを見下ろした。遮蔽術が煩わしい。顎をつかんで上向かせると、彼はバツが悪そうな表情を浮かべていた。俺が嫌がることをしている自覚はあるらしい。感情が視えずとも、いじらしくてニヤけそうになる。

「隠すなよ。全部見せろ」

 脅すように囁いて、小さな唇に噛みついた。伺いを立てるような優しいキスをする気はない。舐めて囓って蹂躙する。唾液を飲ませてしまえばこちらのものだ。触れているだけで、カラスにかかっている魔術を破り捨ててしまう。

「ン……っ」

 鼻にかかった甘い喘ぎは、無理矢理に魔術を砕かれたせいだ。その悲鳴に似た音に欲情するのだと教えてやりたい。

 思考を読みとられないように遮蔽していた膜が壊れてしまえば、カラスの鮮やかな感情が飛び込んできた。

 俺の横暴に対する憤りが大半だ。そんなもの今さらだろうにと思いながら、もっと深くを探っていく。

 カラスは、俺が急に消えたことを気にしていた。消えるのはかまわないが、理由を教えてもらえないことに怒りと悲しみを感じている。

 何をしていたのか知りたいけれど、尋ねていいのかわからない。教えてくれないのは信用や信頼が足りないのかという悩み。後回しにされる諦念と優先されない寂寥感。

「さみしかったのか」

 濡れた唇を舐め取りながら、肩で息をするカラスに微笑みかける。さぞ凶暴な笑みになっているだろうが、隠すつもりはない。

「べつ、に……」

 言葉で否定したって心は正直だ。照れ隠しに睨まれたって愛情が増すばかり。

 俺は喉を震わせて笑いをもらしながら、カラスを抱き上げた。ここで始めてもいいが、俺は露出狂じゃないし、見せつけて牽制しなきゃいけない相手もいない。ノクラフに倣って部屋へ戻ろう。

「何も言わないのは、お前を信頼してないからじゃない」

 暴れるかと思ったカラスは、大人しく抱えられていた。周囲の目がないせいかもしれない。

「突然消えてるつもりもないんだが、大抵は現地に出向かなきゃ詳細がわからねぇんだよ。悠長にしてられない。それに関しては、お前を蔑ろにして悪いな」

「謝ってほしいわけじゃない」

 機嫌の悪さは相変わらずだが、俺の話を聞きたくないというほどこじれているわけではなさそうだ。

「……帰ってきたら、何があったのか教えてくれてもいいだろ」

 こじれてはいないが、盛大に拗ねている。甘やかしたくてうずうずする。

「お前が怖――、いや、嫌がるかと思ってな」

「……何が」

「何もいわない理由の中身について」

「隠される方が嫌だ」

「それも理解できるんだがな……」

 俺が言い淀んでいたのは、カラスが人間だからだ。

 擬態の姿形が似ていても、人間と海龍はまったく違う生き物だ。倫理観や価値観も異なる。それなりに長く生きているのである程度は察することができるし、なんせ人間の感情は、そういう訓練をしていないかぎり大抵が筒抜けだ。せめてもう少し、カラスが海龍の生態に慣れるまでは様子を見つつ、小出しにしようと思っていた。

 ただ、ここ最近のうちに俺の呼び出しが立て続いたから、タイミングが悪かったのだろう。それも今回で落ち着いたから、しばらくはカラスを悲しませることはないと思いたい。

「まあ、お前が望むなら、話そう」

 船長室に戻った魅朧は、ブーツを蹴り飛ばし、カラスを寝台に押し倒した。抵抗もせず、いっそ期待感すら秘めながら、青磁色の瞳がじっと見上げてくる。

「生きたままの人間を食ってきた」

 さあて、カラスはどんな反応をするだろう。



 魅朧は人間ではない。ドラゴンは魔獣でも動物でもない。彼らの食性は雑食で、人間ですら獲物になり得る。

 人間を食ってきた。

 それは比喩でも誇張でもない。本来はこの船の甲板を埋めるほどの巨体である海龍は、牛一頭を丸呑みにできる口を持っている。

が呼び出される事案ってのは、本来そう多くない。大抵はその船の船長がどうにかする。だが、エデューマだとか、共用の縄張りでのいざこざに関しては、大抵は族長である俺の出番でな」

 カラスの腰を跨いだ魅朧は、いつもの柔らかい革のコートではなくて、ベルトだとか金具の多い戦闘用のコートを脱いで床に放った。重い音が響く。

 あれを着ていたということは、戦闘があったのだ。それならなおさら、手伝えないことが悔しいなんて、詮ないことを考える。

「エデューマで雌龍殺しがあった。俺たちにとって雌龍は大事な存在だ。こっちに非があろうが関係ない。報復は必要だろう? どっちが上位種なのかを、人間どもに思い出させてやらなきゃならん。最近のエデューマは、腑抜けてたからな」

 黄金の虹彩を切り裂くような細い瞳孔で、魅朧は何を視ているのだろう。薄い唇が残虐につり上がる。

 コートの下にシャツは着ていない。筋肉質な首筋と胸板に、鬣のような金髪が張りついている。人間なら心臓の上にあたる皮膚の上には、黒い龍のシルエット。高位魔導師が持つような霊印シジルと似て非なる印に、どうしたって視線が奪われる。

 だが、魅朧はよそ見を許さないとばかりにカラスの顎をつかんで、視線を絡ませた。

「三十人と少し。やつらは新興の海賊崩れでな、根城を血の海にしてきた。巻き添えにされた人間の数は知らねえけどな。近くにいる方が悪い」

 喉を鳴らして笑う男は、それは楽しそうに嗤った。

 伴侶としての甘さや優しさを前面に押し出す魅朧に慣れかけていたが、本来の彼は人間を下等な生き物だと認識している。傲慢で不遜で残酷で、全ての龍を従える王だ。

「その場で食い散らかしたのが十いくつ、咥えて持ち帰られる分はこの島へ連れてきた。たまには娯楽も必要だろう?」

 うっそりと妖しい笑みを浮かべ、魅朧はカラスの上着に指をかけた。ことさらゆっくりボタンを外していくのは、演出もあるが、逃げようと思えば逃げられるようにわざと隙を作っているのだろう。

 最後の最後で詰めが甘いなと感じながら、カラスはそれが嬉しかった。心の内を読んだのか、魅朧が瞳を細めた。

「俺の麾下たちは上品なやつらが多くてな。魔が消化しにくいなんて言いやがる。ただまあ、血抜きをすれば魔が抜ける。腑分けが得意なやつの楽しみを奪う気はない。あとは、生か焼くかは各々の好みだ」

「島でバーベキューしてるのって……」

「牛や豚ではないな」

 なんだか生理的に嫌な臭いだと感じたのは、間違いではなかったらしい。

「この無人島は屠殺場だ」

 ノクラフがあちらへ行くなと告げたのは、気を使ってくれたのだろう。

 カラスは元々暗殺者だ。人間を殺して生きながらえていた。衝動や趣味で殺しをしていたわけではなく、生きていくにはそれしかなかった。殺戮が好きなわけでもないし、拷問を楽しむこともない。技術はあるが、理由もないのに殺しをする気はなかった。海賊戦での戦闘行為は進んで参加するけれど、殺人がしたいわけではない。魅朧の役に立ちたいだけだ。

 カラスが殺戮を好まないことを、魅朧は理解している。

 そして魅朧は、殺しも拷問も人間を食うことも楽しめる。

「だから、お前に話したくなかった」

 腰に巻いたダガーホルダーのバックルを外された。腰を上げて丸腰になることに同意する。金属音が床に響いた。

 それで、がっついて襲いかかってくるのかと思えば、魅朧はじっと俺を見下ろしたままだ。

「同族を食ってきた俺に抱かれるのは嫌じゃないか?」

「は?」

 素で返してしまった。

 散々人を殺してきた俺に、それを聞くのか。さすがに同じ人間を食いたいとは思わないが、家畜を殺して食う人間だって本質は同じものだ。共食いの習性がないから、人間が人間を食べることに嫌悪感と吐き気は覚えるが、人間よりも聖霊よりも上位にいるような種族相手に同じ感覚にはならない。

 何より俺は、人間の中で生きることこそ苦痛だった。同族意識の強いドラゴンには理解できないかもしれないが、俺は、俺以外の人間がどうなろうが、正直なところどうでもいい。

 俺は自分が人でなしだという自覚がある。

 魅朧の持つ人間の印象や知識は、おそらく一般的なものだろう。俺も大半はその範疇だが、逸脱している部分もある。その誤差を埋められるほど、まだお互いのことを知らないだけだ。

「……あんたたまに、変なとこで臆病だよな」

「伴侶相手に臆病にならねぇ雄はいないんだよ」

 偉そうに言うことだろうか。

 カラスはたまらず肩を震わせて笑った。

「あんたが何をしてきたって、怖いとか嫌いだとか、そんなことは思わないから、理由は隠さないでくれ」

 それで、抱くなら抱くでさっさとしろ。あんたが半端なところで置いていくから、ずっとモヤモヤしてるんだ。

 そんな鬱屈を垂れ流すと、俺に跨がった魅朧が好色そうに瞳を細めた。

「別に人間の肉は美味いわけじゃねえんだけど、食うとテンション上がるんだよな。ノクラフとかクトレトラとかジビェとか、あんまり好きじゃないってやつもいるが。……まあ、ジビェは舌がガキなだけか」

「あんたも、テンションあがるのか?」

「どう思う?」

 質問に質問で返すのは卑怯だろう。

 カラスがムッとして唇を曲げると、魅朧は大きな手の平を胸元に押し当ててきた。産毛をなでるような繊細さで指が這い回り、爪先が喉仏をくすぐる。そこは急所のひとつだ。

「俺にとは思わないのか」

 ドラゴンが囁く。どこか血の臭いをさせながら。

 馬鹿だな、魅朧。俺はあんたになら、食われたっていいのに。というか、骨の髄までしゃぶっておいて、今さらだろう。

 カラスは従順さを纏わせた声で、己の伴侶に腕を伸ばした。

「お帰り、魅朧」

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Liwyathan the JET 田花 喜佐一 @ks1tbn

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