第96話 ブルエフラム

 腹部から上を燃え上がらせてクローヴィスは3歩あとずさり、仰向けに倒れた。ゆっくりとぬかるみを転がる。

 火は消えたが、もはや命が助かることは無い。


 いくら大きな『耐久』を持っていても、『火炎旋風フィオムベンティゴ』でさえまともに喰らい続ければ人間に耐えることはできない。

 『青炎イェスクフィオマ』はその2倍近い熱量を瞬間的に射出するのだ。クローヴィスの腹筋は炭化し、中に収まっている内臓はすべて不可逆の損傷を負っている。


「いやぁあああっ!」


 ガイウスに組み敷かれている紫外套の女がクローヴィスの無残な姿を見て叫んでいる。

 土橋村戦士団と戦っていたグロロウ側の者や、ガイウスの風魔法になぎ倒されていた周囲の兵。自分たちの首領がいつの間にか倒れ伏していることに困惑している。


 【妙手】のカレルがレオニードから奪い取った剣を投げすて、クローヴィスに駆け寄ってきた。



「ゲホッ! ゲッホッ!」


 トーマは膝に左手をついて咳き込んだ。「どうした? 大丈夫か?」と聞いてくるのは弓使いウィリアムだ。


 頭痛と息切れと全身の脱力感がある。クローヴィスが最後に放ってきた風魔法はきっとあの、生気を完全に排除した『脱空プニアジス』だったのだろう。

 数歩場所を移動して大きく呼吸している間に症状が改善してきたので、右手を挙げて無事を伝えた。

 位置関係からして双子も死気を吸ったかもしれないと思ったが、二人とも立ち上がった。窒息したりはしていないようだ。


 トーマは気づいた。クローヴィスが立ち上がっている。

 上半身は焼けただれ、衣服はすべて燃え落ちている。炭化した皮膚とぬかるみの泥で真っ黒になったクローヴィスの姿からは、もはや思考も感情も読み取ることができない。


 クローヴィスは言葉も無くすがりつくカレルを押しのけ、地竜の死体に向かっていった。よたよたと、一歩一歩。

 横倒しになった地竜の腹に両腕を突き立てた。ラウラの斧がめり込んでいた場所。頭から潜り込み、そして人の頭部ほども大きな魔石を抜き出した。

 透き通った褐色の魔石を右手に掲げ、見せつけるようにトーマに振り向いた。

 白い前歯と、青い瞳だけが輝いている。


「無駄だ、クローヴィス」



 たとえ60階梯に上がったとしても、この状態で≪書庫≫の異能を使用できるはずはない。集中力以前の問題。意識が明瞭ですらないだろう。


 地竜の死体の上にいつの間にか立っていたラウラ。飛び降り、真上から大斧を振り下ろす。

 その巨大な刃がクローヴィスの頭部に深々と食い込んだ。



 トーマの「魔眼」には、はっきりと見えた。

 クローヴィスの体から『魂の器』は消え、そこに残るのは倒れ伏した一人の男。

 最後に残るものは誰であっても常人つねびとと変わらない。


 白銀色の胴鎧を輝かせて、ラウラは大斧を空に向かって突き上げる。


「土橋村! 橋造りのラウラ! ここに悪漢クローヴィスを討ち取ったりィ!!」


 ラウラの勝鬨かちどきは3度繰り返された。

 戦士団の歓声。グロロウ側戦力の多くが武器を取り落とす。

 紫外套の女の絶望の悲鳴が魔境の森の空に高く響いた。




 KJ暦461年2月25日。日の2刻。気温はまだ低いが空は晴れ渡り、春が確実に近づいているのが感じられる。グロロウ南門前にトーマは立っていた。



「行くんだね、トーマ」

「あぁ。式に出られなくてすまない」


 ラウラは6日後グロロウ政庁舎において即位式を挙げ、グロロウ都市国をナジア王国と改める。

 国家樹立に際しての式の挙げ方については、トーマが図書室の古文書を読み漁ってなんとか組み上げた。


 古代におけるそういう式典はたいてい宗教的な要素を多く含む。トーマもラウラもこれといった信仰をもたないので、傍目はために由緒正しく見えるようなやり方をでっちあげるのには苦労した。


 旅立つトーマたちを見送りに出てきたのはラウラのほかに6人。クルムと、ディル・ペトラシュの双子。マラヤナとその息子アッサン。そしてレオニードだ。

 アクラ川源流域から半月かけて帰還してすぐに、飛翔のガイウスは西交易路を通って西に帰った。反『書庫の賢者』勢力の起こした大小の事件の影響は、今もくすぶっている。

 後始末に『七賢』が駆り出されているのは≪書庫≫を通じてトーマも知っていた。


 分厚いヤシャネコの毛皮外套を翻しながら、「誰が最初に60階梯になるのか若手の七賢で競争よ。トーマちゃん」と言ってガイウスは去った。


 ラウラは暖かそうな毛皮の上着姿。その下にはゆったりとした毛編み物を着ていた。


「子供の名はもう決まったのか?」

「うん。男ならボリスで、女ならソフィアにする」

「それだとレオは自分の娘を母親の名で呼ぶことになるな……」

「まぁいいんじゃない? たまにあるし、そういう家」


 驚いたことに、ラウラは妊娠してもうすぐ3か月にはなるらしい。つまり過酷な源流域への旅も、クローヴィスの頭をかち割った最後の決戦も妊娠したままやったことになる。レオニードも知った時には青くなっていた。



 前領主賢者ブルスタの子であるレオニードがグロロウの統治権を継ぐという方針は早くに立ち消えていた。ブルスタに良い印象を持たない住民がまだ多く居ることもあったが、むしろラウラの魅力がそうさせた部分が大きい。

 高い身長と印象的な波打つ赤毛。

 若く美しい外見に、見る目のある者ならわかる圧倒的な力。

 前々領主の子であり、アリストンの養い子であるレオニードを夫とすることで、ラウラが新たな王になることに反対する者はほとんどいなくなった。


 クローヴィスに飼われていた3人の賢者も例外ではない。

 適正な価格で自由に『魂起たまおこし』を営んでよく、いつ旅に出てもよい。自分で魔物と戦い、階梯を上げてよい。

 そうラウラに申し渡され、3人は今健康を取り戻そうと奮起しているらしい。


 レオニードと最後の別れの挨拶を済ませたフロルがトーマのかたわらに立った。



「じゃあ行くよ。元気な子を生めるように、ラウラ」

「ありがとうトーマ。いつでもこの国を訪ねてね。フロルも、苛められたらいつ帰ってきてのいいからね」

「はい、ラウラ姉さん」


 アクラ川沿いの南回り街道はもう土が露出している。川沿いの雪が溶けやすいのもあるが、気の早い旅人が雪を踏んで交易を始めているからだ。

 姿が見えなくなるまで手を振り続け、トーマたちはグロロウを去った。



「いやー、楽しみだなぁ。デュオニアまでよろしくね、トーマ」

「遊びじゃないんだぞ。護衛なんだからちゃんとしろよ、オリガ」


 トーマとフロルの旅にはオリガとヘンリクの二人が付いてくることになった。

 フロルの足に合わせての旅では野営の機会も多くなることが予想されるので、これはありがたかった。生まれて初めてグロロウ勢力圏を出ることになった二人は顔を期待に輝かせている。

 トーマたちの護衛をするという条件でラウラから旅費をもらっているので、いちおう仕事の範疇だ。


「それにしても、あと6日くらい滞在を伸ばしてもよかったんじゃないですか?」

「言っただろ? 権力と距離を取るのが原則の『書庫の賢者』が、一国の王の即位式に参列なんてできないんだよ。フロルも一門に入るんだから、我慢しなさい」

「そんなもんですか。いや僕はいいんですよ、師匠がいいなら」

「まだ師匠って呼ぶんじゃないよ」


 クローヴィスを倒したことでトーマが『七賢』を継承できるのかどうかは微妙なところである。

 ≪書庫≫に対して害をもたらす【賢者】保有者を倒すという条件はいちおう達成したわけだが、証拠が無い。

 これまでの粛清対象は≪書庫≫に余計なことを書き散らしていたことそのものが証拠なわけだが、クローヴィスの企みはそういう明確なものが残っていなかった。


「大丈夫ですよ、僕もガイウスさんも証言しますから。七賢になって、僕を弟子にして、それで60階梯に上がって≪書庫≫をきれいにする。やることがいっぱいですね!」



 先を行くオリガとヘンリクがなにかじゃれあっている。早春のアクラ川西岸、黄色い花が一輪川辺に咲いていた。



 竜を狩らねば60階梯にはなれない。チャルバット山脈の裂け目の、あの飛竜にトーマの『青炎』は通じるのだろうか。

 これから立ち向かわなければならない戦いの過酷さを思う。

 トーマは右手の薬指でこめかみを掻きながらため息をついた。





 ~歴史学者ノルベルト著「『書庫の賢者』とは何者か」より抜粋~


 461年のクローヴィスの突然の死。そして同年にあったトーマの『七賢』継承。前述した『書庫の賢者』にまつわる「不穏な噂」を鑑みれば、トーマがクローヴィスの死とナジア王国(後のチルカナジア王国)の樹立に重要な役割を果たしただろうことは十分に予想される。

 そしてこの「やせっぽちのトーマ」と綽名された人物こそが470年代後半、「賢者議会」勢力結集の事実上の指導者として有名なトーマ・ブルエフラムその人である。賢者議会の掲げた「政治と賢者の徹底分離」という方針は『書庫の賢者』の掟ともおおむね一致しており、490年代以降史料に登場しなくなったこの一門が賢者議会の起源だという考え方は妥当だろう。


 なおブルエフラムというのはトーマの七賢としての二つ名『青炎のトーマ』が、後年各地の伝統言語で訳された際に生まれた呼び方であって正式な家名等ではない。


 「最後の七賢」「賢都建設以前の歴史で最強の賢者」などと様々な言われ方をするこの人物の晩年については不明な点が多く、友人や弟子には恵まれたようだが家族や子孫の存在について、信憑性の高い史料は見つかっていない。




                  完

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青炎のトーマ サワラジンジャー @sawarajinjer

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