なんか前回の近況ノートを改めて読んでみると、私が生成AIを使ってるみたいに読めるけど使ってないですよ。証明しようがないことを強弁しても無意味なのはわかってますけども。
いや厳密に言えばジェミニ(というかそれをベースにしたAIアシスタント?)を使ってるけど、「創作の根幹」には関わらせてないです。ネットを彷徨えば自力でもなんとか調べられることについて、早く答えを出してもらうために使ってるので、「生成AI」だとも思ってないです。優秀な検索ツールだと思って利用しています。
とはいえやっぱり、これまでの常識から考えると超常的なくらい便利なのはそうです。
「これくらいの規模の建物をこれくらいの大きさの石材で構築するのに必要な個数」とか、「体重何キロの人間が垂直跳びで何メートル跳ぶのに必要な脚力」とか、そういう面倒な計算もすぐにしてくれるので。
あと書き始めた頃は類語辞書サイトで探してた言葉を、「○○を格調高く言い換えて」みたいに頼むだけで候補を出してくるのも便利。広告も邪魔してきませんし。
そういう使い方もズルと言えばズルかもしれないし、作者側にできるのは正直に話し、(信じる信じない含めて)評価は読者側にお任せすることだけでしょう。
人間にとって自己顕示欲とか承認欲とかは、単に「プライドが高い」とか「目立ちたがり」だとか、「自意識高すぎて恥ずかしい」とか、そんなふうに軽く語れるものではなく、もっと強烈で切実な、食欲くらい密接に生存本能に関わる欲求だそうです。(そういう内容の本を紹介する岡田斗司夫の配信の切り抜きを見ました)
原始の時代、異常に賢い猿だった頃の人類にとって、群れの中にいるのに役に立たず、食料を消費したり、その他の負担をかけてくる個体は害でしかなく、当然人権意識など存在しなかったわけだから最終的には「処されていた」のではないか。うろおぼえですがそんな理論でした。
「自分を認めてほしい」とか「能力を証明したい」という感覚が希薄な個体はアピールが弱く、役に立っているかどうか周りには分からないため、その遺伝子はどんどん消えていきます。強く自分を主張し、またそうしたいと望む個体の子孫だけが生き残り、今も続く人類社会を形作ったわけです。
つまり自己顕示欲や承認欲を満たしたいというのは、文字通り命がけの願望で、叶わなければ生きられないような重大事だったということです。その本能は、現代人でもあまり変わっていないのではないでしょうか。
私はいま小説を書くにあたって、「創作する主体」として「受け取り手の人間」に認められたい、考え書く力がある事を証明したいと思って書いて(キーボードを打って)います。動機とか意欲のだいたい半分くらいがそれでしょう。
もう半分はちょっと自分では解明しきれませんが、頭の中にある構想が実際に文字になる過程でどんどん変成し、思ってもなかったような「良い物になる」ときの快感、稀に訪れるそれを求めているとかなのかもしれません。
いずれにしろ生成AIに話を書いてもらうのでは意味がなく、やったことがないからわかりませんが、まず満足できないはずです。なので今後もそんな使い方はしないと思います。
例え話で言うなら、自分で工夫して作った手料理を誰かに食べさせて「おいしい!」と言われればウキウキするくらい嬉しいですが、デパ地下で買ってきた総菜を手作りですと言って出して褒められても、ほとんどなんにも嬉しくない。正直に総菜だと告げてもやっぱり同じでしょう。まあだいたいそんな感じです。
なお『不殺のイリアのレベル上げ』の中身についてですが、「ディクリーボ友領同盟」という、名前しか出てこない国について「ティクリーボ連合」と誤って書いている部分が601話含めて2カ所みつかったので修正しました。こういうミスが今も普通に出てくることで、生成AIを使ってない証明にならないものだろうか。
なお、そういう自作品内の単語を検索するのにはAIではなく無料で使えるエディタソフトを使わせてもらっています。自力で探すにはさすがに話数が多くなりすぎたので……