第95話 完全燃焼

 3つ目の地竜の魔石を取り出そうとするクローヴィスに、ラウラと32名の土橋村戦士団が東から襲い掛かる。

 地竜が潜んでいた場所は少しだけ盆地になっているために、雪板で滑り下る速度は速い。木々を避けつつ、周辺を警戒していた衛士隊とすれ違っている。衛士隊員は騒がず、土橋村の者らも衛士隊を攻撃しない。


 距離が50メルテまで接近。地竜が暴れたことで、そのあたりからぬかるんだ地面が露出している。

 雪板を脚力で粉砕したラウラが、横に一回転してから持っていた大斧を抛った。「うおぉらぁっ!」という掛け声がトーマにも聞こえた。



 飛翔のガイウス、ディルとペトラシュ。そしてレオニードと【投射】の弓使いウィリアム。

 トーマは5人とともに北100メルテに位置する高台に伏せていた。ラウラ率いる本隊とグロロウ遠征大隊の衝突を確認。被っていた白い毛布を取り払った。


「いくぞ」


 5人もそれに倣い、頷いた。




 このアクラ川源流域に至るまでの道のりは厳しかった。川をさかのぼるので当然のことながらずっと緩い登り坂であり、滑り降りて楽に移動する機会はほとんどない。

 穀物を積んでいた5台のソリのはとても邪魔であった。緩い勾配とはいえ雪板を履いたまま登りでソリを引き続けるのは難しく、結局最初の3日で断念。荷を分散して全員で担ぐことになった。


 道中何度も魔物に遭遇。半分は40人近い人間を恐れて逃げ出すのだが、やはりそこは並の獣とはわけが違う。

 ほんの数頭、あるいはたった一頭でも、遭遇してそのまま襲い掛かってくることが10回以上あった。

 おかげでトゥイース滞在中も階梯を上げていたラウラは現在40階梯になった。『五芒星の力』の合計は53階梯相当である。


 睡眠は携帯用の小さな幕屋だ。

 踏み固めた雪の上に防水の鞣し革と保温性の高い毛皮を敷き、上に幕屋を張って寝る。3人から4人が休む小さな幕屋には氷点を下回る隙間風が常に入り込み、『器持ち』でなければ確実に体を壊している。


 食事の準備もまたやっかいだ。

 グロロウ遠征大隊は誰はばかることなく盛大に煙を立てて煮炊きをする。

 数日遅れでそれを追うトーマたちは最初こそ気にしなかったが、源流域に接近してからはそうはいかない。

 立ち上る煙でこちらの存在がばれてしまわないように、火魔法が得意な者がちまちまと弱火で魔物肉を調理。風魔法で煙と匂いを遠くまで飛ばす係も必要だった。

 もちろんトーマが調理の主戦力の一人だったのは言うまでもない。肉と穀物だけでは体を壊すので、しかたなく針葉樹のヤニ臭い葉をかじって汁を吸った。


 遠征大隊で索敵を担う3人の【耳利き】は内通者が買収していたというのだから驚いた。内二人は司法官部隊だったというが、衛士隊より安い金で寝返ったとクルムは言っていた。彼らが残していく情報でクローヴィスの状況は手に取るように分かった。

 源流域に到着して早々、3頭の地竜を殺したという情報を聞いたときはあまりの不運にトーマは天を仰いだが、一頭は子供で魔石が取れなかったと聞いて腰が抜けた。



 そして現在、最後の地竜との戦いで疲弊したグロロウ遠征大隊をラウラの戦士団が急襲。地竜戦で大きな負傷の無かった者が自分たちの首領を守ろうと東に殺到。


 結果、手薄になったクローヴィス周辺。紫外套の女風魔法使いと【妙手】のカレル以外に10人程度。しかも明らかな負傷者が混ざっている。

 地竜の死体のすぐそばで、東の方を見ている彼らに向かってトーマは雪板を滑らせた。


 北から迫るトーマたちに最初に気づいたのはクローヴィス本人だった。

 向き直り、何か叫んだ。トーマの名を呼んだ気がする。羽織っていた分厚い毛皮を脱ぎ飛ばし、禿頭の大賢者はぬかるみの大地に両手をついた。


 雪板をつけず風精霊の力を借りて移動していたガイウスが本領を発揮、雪上を高速で翔んでいく。大きく西に回り込み側面からクローヴィスらに接近していく。


 トーマとの距離30メルテ。クローヴィスが立ち上がった。ぬかるみの水分を操り全身に纏っている。紫外套の女が何か叫び、周りの兵がトーマたちに気づいた。

 ラウラのおたけび。東のグロロウの軍勢の20人近くが土塊とともに上空に打ちあがる。同時にガイウスの『大蛇旋風バミューウェンティゴ』がクローヴィスの周りの兵を地面になぎ倒す。


「カレル殿! 勝負!」


 雪板を固定する紐を剣で切り、泥をはね上げ左に走りながらレオニードが叫んだ。

 カレルは応じた。接近するレオニードを迎え撃つ。

 階梯がいくら高くとも【剣士】の剣はクローヴィスの命に届く。6人の中ならレオニードが最も危険と判断したのだろう。その判断。一般論としては正しい。


 たとえ地竜との戦いで疲弊していてもレオニードが10も階梯が上のカレルに勝てる道理はない。あくまで時間稼ぎ。

 弓使いのウィリアムが援護することになっている。


「紫ちゃんはわたしが相手よ~!」


 ガイウスは紫外套の女を封じる。ガイウスなら完璧に抑えるだろう。風魔法の達人同士だ。


「今だ!」

「「おう!」」


 距離は20。足元は氷混じりのぬかるんだ地面。雪板は履いたまま。『雷光イカヅチ』の射程距離にはまだ少し遠いがクローヴィスは呪文を唱え始めている。移動しつつ放つことも、当然可能なのだろう。


 ディルとペトラシュはあらかじめ毛編み物の服を濡らしてある。何度も試した結果、風精霊担当のペトラシュの体にも霜を発生させられることが分かっている。

 袖をまくってある腕を、お互いの首に回して目を閉じた。


 双子の背後に隠れる位置。トーマは懐から金属容器を取り出し、左手親指で蓋を跳ね上げ呪文を唱えた。


請うエルク 地の精ファンゲノモス 風の精よファンシルフェ マナと交わりラエッテン マナ 身を委ねテコンナ アヨ それを受けよアヨ シヨン ――』


 2精霊混合呪文法による発声詠唱で地精霊と風精霊に同時に働きかける。容器に突っ込んだ親指の周りから気化した鉱油が噴き出す。

 これはただの鉱油ではない。最初に見た日から実験と研究を重ね、純度が高くより気化しやすい部分を蒸留した精製鉱油。さらさらとしていて透明だ。


 10メルテの位置でクローヴィスの体が高速回転するモヤに包まれている。

 そして、双子も同じ状態。唱え始めは向こうの方が少しだけ早かったが、思考詠唱だけで『雷光』を発動できる双子は圧倒的な階梯差にも関わらずクローヴィスのそれに合わせることが可能だ。


 閃光。クローヴィスの靄から放たれる拡散型『雷光』。大樹のように枝分かれしてトーマたちに襲い掛かった稲妻はしかし、双子の放った稲妻に誘われるように地面に落ちて流れ去った。


 『雷光』に対する、唯一にして絶対の防御はすなわち、『雷光』。

 双子の稲妻にクローヴィスの稲妻は誘導され、大地に吸い込まれた。

 といっても完全ではなく、濡れた地面から体に流れたわずかな稲妻で双子は尻もちをついている。

 トーマは無事だ。クローヴィスはあり得ないはずの光景に目をむいている。


『―― 混ざりエッテン 縮みミアリ 生気と添いレクオッサ 熱き炎成す力をヴィラヴルクンタス 共に宿しヘトミテレンス ――』

請うエルク 火の精ファンヴルクン 地と風の精霊のゲノモスニシルフェニエ 成した燃気にヤニラ リガソーニ マナと宿れヘトメナン マナ ――)


 鉱油の蒸気と空気とマナ。トーマは舞うようにかき混ぜながらさらに思考詠唱で火精霊に呼びかける。

 地と風と、そして火。3種の精霊によって三重に魔法媒介化され、三重にマナを喰らった混合気体。

 今から起きる精霊現象に対する、完全な理解。思考のままに振舞うことが確定している魔法媒介の混合気体はもはやトーマの体の延長に等しい。



 クローヴィスの周りに風が巻き起こる。その階梯に比例した強大な『速さ』によって成される高速思考詠唱。両手で押し出すようにして空気を押し出してくる。


 トーマの顔にクローヴィスの風魔法が吹きつける。ほぼ同時に、トーマは呪文を最後まで唱え切った。


 クローヴィスを追う雪中の行軍、その間試し、何度も繰り返し。

 一応の完成にこぎつけた新魔法。


『――我が魂の形を映せジェアール ニ シニフォン 燃えよノヴァ 青炎イェスクフィオマ


 左手の周囲に浮かんでいる、混合気の球。金属容器を握ったままの左腕を引き、右手を突き出し球に触れる。


 右手が青く燃え上がる。

 熱による膨張は魔法として制御され、一方向に圧力を伝える。

 混合気は圧縮されつつ燃焼し、膨張しつつ加熱される。

 直径1メルテの球の端まで、燃え進む時間は刹那。

 それは直進する指向性の爆発。


 世界で唯一の三種複合精霊魔法『青炎』は一条の青い熱線となり、周囲の空気を破裂させて10メルテ先のクローヴィスに直撃した。

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