前世ルーレットの罠(第52回)

小椋夏己

前世ルーレットの罠

「愛してるわこうちゃん」

「僕も愛してるよまあたん」


 甘いひとときが過ぎると、私と「こうちゃん」はいつもの関係に戻る。


 私と「こうちゃん」は同じ職場の上司と部下。いわゆる職場不倫という関係だ。


 課長は私より一回り年上の40代でもちろん家庭がある。奥さんと娘の3人家族。私はそれを承知で「こうちゃん」と恋人関係になっている。


 いつも職場ではキリッとしている「課長」が私と2人の場所では「こうちゃん」になってひたすら甘えてくる。そのギャップがたまらない。


――秘密の恋――

 

 言葉だけ聞くとなんとも刺激的で魅惑的だが、実際はそんなにいいものではない。 

 愛する人には帰る場所があり待っている人がいる。


 密会場所から別れてあちらとこちらへ離れていくと、いつもなんともいえない胸苦しさに締め付けられる。


「お嬢さん、お悩みですかな?」


 家の近くの商店街に入ったところで、そう声をかけられた。


「え、私?」

「そうじゃ。なんだか疲れた顔をしとりますな」


 目の前にいたのはいかにも八卦見という風体のおじいさんだった。


「当たるも八卦当たらぬも八卦、どうじゃな?」


 おじいさんの目の前にはよくある筮竹ぜいちくではなく水晶玉が据えられている。


 なんとなくミスマッチ。

 私は思わず足を止めてしまった。


「前世占い」

 

 胡散臭そうに見ているとおじいさんが説明を始めた。


「この水晶玉をじっと見ているとな、あんたと誰かの前世での関係が見られる」

「前世の関係?」

「そう。現世で関わりのある人は皆、前世でも関わりのあった人。その関係はルーレットの目のように選ばれて決まる。まあ偶然の結果じゃな」

「ルーレットの目で……」


 じゃあ、そんな不確かなもので私と「こうちゃん」は今のような関係になっているのか。運が悪くて今のように苦しい立場にいるってこと?


「そんなのたまったもんじゃないわ!」


 思わずカッとして声を大きくし、ハッと周囲を見渡した。よかった、誰にも変な目で見られてはいない。


「前世に戻ってもう一度ルーレットを回してみたいとは思わないかな?」

「いいわ、やる!」


 私は何も考えず、おじいさんの言うがままに水晶玉をじっと見つめた。


 前世での私と「こうちゃん」は母と子だった。

 

 なんだろうこの幸福感は。

 私は必死に愛しい我が子を抱きしめる。

 温かい。

 小さな愛しい命。

 この関係がどういうルーレットの罠で今のように歪んだ形になってしまったというのだろう。


「現世でもこのままの関係だったらよかったのに」


 そうつぶやくと腕の中の赤ん坊が私を見上げてこう言った。


「まあたん」


 その顔は現世の「こうちゃん」の顔だった。


「こうちゃん」


 私はいつものように「こうちゃん」を抱きしめ、ようとして違和感を感じる。


「おっさんやん!」


 私の腕の中の我が子が、気がつけば40代のおっさんになっていたのだ。


 甘いミルクの匂いが加齢臭に。

 ぷくぷくのほっぺがベタベタの頬に。

 ハムのように輪のあるふっくらした腕がもしゃもしゃの腕毛のある腕に。

 妖精のような小さな足が油臭い足に。


「何これ!」


 私は思わず腕の中の「おっさん」から身を離した。

 

 次の瞬間、「おっさん」の現世が見えてきた。


「もう、パパ、こたつの中でおならしないでって言ったでしょ!」


 小学生らしい女の子が嫌そうにそう言って、こたつに寝転がっている男をにらむ。

 

 男はだらしなく無精ひげを触りながら、もう一度ぷうっとおならをした。


「もういや!」


 女の子は涙目になって立ち上がり、


「ママ! 私の下着とパパのパンツ、絶対一緒に洗わないでよ!」


 そう言ってどこかへ行ってしまった。


「こ、これ……」


 説明されなくても分かった。

 これが「こうちゃん」の家庭での姿。

 真実の姿だ。


 会社では「課長」として外向けの顔をして、私と会ってる時は「こうちゃん」として甘えて見せるが、家族といる時には気を抜いて本来の自分に戻っている。


「どうじゃ、ルーレットを回し直して今の関係を変えたいかな?」

「冗談じゃないわ!」


 なんでこんなおっさんをそんなに愛しいと思っていたんだろう。 

 もしかしたら前世での赤ん坊としてかわいいと思う気持ちが残っていたのかな。


「私別れる!」


 思わぬ真の姿を見てしまったら一気に冷めた。

 

 今ならまだ誰にも知られていないけど、もしも奥さんに知られたら慰謝料を取られるし、世間からも白い目で見られてしまうだろう。


 なんであんなおっさんのためにそんな目に遭わなければならないのだ。


「おじさん、前世からの関係って切れる?」

「ああ切れるよ」

「お願いします!」


 私は料金を払っておじさんに縁切りを頼んだ。


「これでもう、あんたのルーレットの目にその人が混ざることはない」


 そう言った目の前からおじいさんが消えた。


「なんだったの……」


 あのおじいさんがなんだか分からないけどこれでいい。

 もうちょっとで悪い目のルーレットを来世まで引きずるところだった。


「あーすっきりした!」


 明日あの男にはっきり別れを告げようと私は思った。

 



 

 






 

 



 


 



 


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