喫茶「トロイメライ」へようこそ。〜居候作家と魔法使いの店主〜

冬爾

ココア

 その日は大雨が降っていた。

 大きな雨粒は、雨宮の頬を、肩を、容赦なく抉った。服はとっくに手遅れで、靴はぐじゅぐじゅと気持ちの悪い音を立てる。

 

 傘は無い。

 コンビニならすぐそこにあるが、高いから買わない。家のあるアパートまであと二駅。歩けない距離じゃない。


 ――そう思ってたのが間違いだった。


 雨は更に勢いを増し、電車を止めるまでに至った。

鞄に入れたスマホは死守しなければならない。大事な稿が入っているのだ。財布も、メモも二の次だ。


 どこか雨宿りできる場所は……無いな。


 カフェは注文しなければならないからお金が掛かるし、店の前に立っていたら営業妨害として訴えられるかも知れない。


 

 ――そんな時だった。

 ビルとビルの隙間に、細い路地を見つけた。行き止まりかも知れないが、何故か先に続いていると言う直感がある。


「(行ってみるか……。)」

 鞄を頭の上にして、急いで路地に走る。

外に剥き出しの室外機や、ビルの窓に睨まれて雨宮は文字通り肩身が狭かった。曇天の中、更に暗い路地裏に来てしまった。


「(何してんだ……俺。)」

 結局この道は何処までも続いていて、とても最果てまでは行けそうにない。途中から道は少し広くなったが、殆どの店が閉まっていて、人の気配はなかった。


 ――引き返そう。そう思って俯いていた顔を上げると、ふと、オレンジ色の温かい光を感じた。


「店……開いてる?」

 大衆酒場のような外観だが、どうやら喫茶店らしい。「喫茶トロイメライ」と、お洒落な文体で書かれている。


 さっきカフェは金が掛かると言ったのは自分だ。

 だが、あの店から漂う温かい光に、どうしようもなく惹かれるのだ。


 気付けば雨宮は、喫茶トロイメライの扉を潜っていた。


 

 カランカラン

「いらっしゃいませ。」

 店に入ってまず感じたのは、「懐かしい」という感情だった。

 そして芳醇なコーヒーの苦い香り。

 

 全体に木で出来ていて、その光沢が温かみを演出している。カウンター席があり、テーブル席は無い。まるでバーのような喫茶店だ。天井から掛かっている色とりどりのステンドグラスのような飾りが綺麗だった。


「あ、あの。雨宿りさせていただきたいのですが…」


 そして店主と思われる人物を見る。

 ――雨宮は我が目を疑った。その人物があまりにも美しかったからだ。


 雪のような真白の髪は長く、緩く三つ編みにして一つに垂らしてある。瓶覗かめのぞき色の瞳は儚く、繊細な雰囲気を醸し出していた。肌も透けるほど白く、存在ごと消えてしまいそうだった。

 要するに、絶世の美青年だったのだ。


「そんなに濡れて……風邪を引かれては大変です。

店のタオルで良ければ、是非お使いください。」

 そっとふわふわのタオルを差し出された。

 美青年は声まで良いのか。久しぶりに人に優しくされて、雨宮はたじろいだ。


「すみません……ありがとうございます。」

「全然大丈夫ですよ。」

 薄く微笑んで言われる。不覚にもときめいてしまいそうになった。


「お掛けになってください。温かいコーヒーでもお入れします。」

「いや、その、…俺、今手持ちのお金が無くて。」

「大丈夫です。サービスですから。」

 

 手でオーケーマークを作って、美青年店主はコーヒーの準備を始めた。

「(初対面でこんなに優しいって……まさか、詐欺とかじゃないよな。)」

 大分疑り深くなっている自覚はある。だがこれで怖い人が出て来たりしたら、完全に人間不信になる自信がある。


 それと、

「あ、あの!すみません、俺、コーヒー飲めないんです。」

「おや、そうでしたか。では、ココアなんて如何でしょう。」

 

 ココア。

 久しく聞いていなかった響きだ。飲むに至っては十年以上前だろう。

「じゃ、じゃあそれで……すみません。」

「大丈夫ですよ。」

 優しく微笑まれた。


 

 ――その内、ココアの甘い香りが漂い始めた。

 コトコトコト……

 心地の良い音が聞こえる。

 ふぅ、と息を吐く。雨宮は久しぶりに心が安らぐのを感じた。


「出来ました。当店特製、ココアです。」

「わ……あ、ありがとうございます。」

 

 出て来たのは、白いカップの中で渦を巻く、濃い焦げ茶色のココアだった。ほわほわと湯気が上がり、雨宮の体はそれだけで温まった気がした。

 

  ことり、ととても小さな水色のジョーロに入ったミルクも出て来た。


「珍しいですね……ジョーロなんて。」

「可愛いでしょう?」


 そっと指先で持ち上げて、ココアに注ぐ。ミルクは渦に巻き込まれて、くるくる回った。雨宮はごくり、と唾を飲んでカップを口に近づけた。


 こくん、こくん。

「はぁ……」

 思わず、安堵の息が出てしまうほどホッとする味だった。少し苦手のココアに、甘さ控えめのミルクがマッチして、とてもおいしい。

 じんわりと手先が温まっていく。


「すごくおいしいです。」

「ありがとうございます。実は当店の人気商品なんです。」

 嬉しそうに微笑んで、言った。

 そりゃこれだけ美味しければ、人気にもなるろうと思う。


「(いい店を見つけた。)」

 くっ、と全部飲み切って、ホゥと息を吐く。


「ありがとうございました。……体、温まりました。」

「よかったです。」


 これが無償なんて悪過ぎる。今度来た時には、何か食べ物を注文して帰ろう。


「ごちそうさまでした。また来ます。」

「はい。またの御来店をお待ちしています。」

 

 店主は丁寧に頭を下げた。


 カランカラン

 外へ出ると、雨はもう止んでいた。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

喫茶「トロイメライ」へようこそ。〜居候作家と魔法使いの店主〜 冬爾 @toji_2929

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画