消えない夜〈ショートショート〉

川端 春蔵

消えない夜

 降りる駅を間違えた。そう気がついた時、もう列車はホームを離れていた。

 遠ざかっていく一両編成のワンマン表示とテールランプを見ながら、私は大きくため息を吐いた。目的地は終着駅だからと、始発駅で早々に眼を閉じたら、すっかり眠り込んでしまった。

 いきなり、耳元でジリリリリと目覚まし時計のベルが響いたので、私は驚いて席を立ち、よく確認をしないまま、列車の運賃箱に切符を滑らせてホームへ降りた。

あれは列車が駅に到着する際に鳴り、キンコンキンコンと続く音だった。ワンマンだから運転手が運賃箱を確認するために運転席が開いていて、いつも利用する列車のものより大きく聞こえたのか。

 カバンを持って降車したのだけが幸いだった。腕時計の針は21時を回っている。私は次の列車の時刻を確認しようと、一本の蛍光灯に侘しく照らされたホームを見回したが、それらしいものは見当たらなかった。目視で向かい側のホームを眺めてみたが、灯りが改札口らしき場所を頼りなく照らしているだけで、人の気配は感じられなかった。

さっきの列車から降りたのは、どうやら私だけのようだった。

 私は陸橋を登った。エレベーターもエスカレーターのない駅構内の移動設備を見るのは久しぶりだった。眼下にあるのは、ふたつのホームに挟まれている、草臥れた上下線の線路だけだった。それすら、ホームから何メートルか離れれば併さって単線になり伸びていく。ただ静けさと街中とは比べものにならない濃い闇だけがそこにあった。

 私はスマホを取り出した。次の列車が気になった。今夜宿泊するホテルに到着が遅れることを連絡しなければならない。このままこの駅で夜を明かすことも頭をよぎった。有機ELの光が手元を照らしだす。スマホはある程度待てば、次の列車が来ることを教えてくれた。ホテルにもその時刻から計算して、新たなチェックイン予定を告げた。

 やるべきことを終えると、私は息を吐いた。ふうっと吐いた息はこの駅に降り立った時とは違うものだった。

 手持ち無沙汰となった私は、ふと空を見上げた。星が見えた。ひとつ、ふたつ、またひとつ。いつも見ている星とは数と輝きが違った。闇の濃さが違うからだ、と得心をしてもこのまま見続けていたかった。

スマホにこの夜空を収めようとは思わなかった。しばらく、この両眼で光景を独り占めにしていたかった。

 どのくらいの時間が経ったのか、スマホが震えた。さっき、使ったときに念のため、列車が来る5分前にタイマーを設定していた。ここを離れがたい気持ちが、すでに私のなかに生まれていた。このまま夜を明かしてもいい。やがて朝がくるまでできるだけここにいたい。

私は陸橋の床に視線を落とすと、両眼を閉じてもう一度、そのまま夜空へ顔を向けた。瞼の中には、さっきまで眺めていた星々が闇の中で輝いていた。私はそのまま顔を戻してそっと眼を開いた。あたりの暗さに眼が慣れたのを感じて、陸橋の階段を降りていった。

 列車がホームに近づく案内音声が響いた。乗客がいない向かいのホームからも、行き先だけが違う案内が聞こえた。上下線の両方から、走行音とともにヘッドライトが通り過ぎると同時に車内灯が私を照らした。

 上下線に一両だけのワンマン列車が並ぶと、私は目的地行きの車両に乗り込み、運転手に事情を話して新たに整理券を受け取った。ガラ空きの座席に身を沈めると眼を閉じた。そこには星々を宿した夜がたしかに残っていた。(了)

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