コロニーの少年と月の少女・第一話 月から来た少女

第一話 転校生


 眠れない夜は決まってこの公園に来る。手のひらにチクチクと芝生の感触、仰向けに寝転がって暗い空を見上げる。

 赤と緑の標識灯を瞬かせながら、昆虫を巨大にしたようなドローンがコンテナを抱えて空を滑らかに横切っていく。見ていると子供の頃に見たトンボを思い出してくる。

 指先で芝を摘んで息で吹く。低重力の中にふわりと散って落ちていく。今でもなんだか現実感がない。自分の人生が作り物のような気がしてくる。このコンクリートの空のように。

 その時、僕はふと視界の端に、不思議な光が揺らめいているのに気が付いた。


『なんだろう…...?』


 公園の樹々を縫い近づいてくるその光が、次第に輪郭を帯びてくる。息を呑む。現れてきたのは、ふわりと浮かぶ月光を凝縮したような光球、そして軽やかに宙を跳ぶ少女の姿だった。


 逆光に照らされ輝く長い髪、透き通るような白いワンピースが空気をはらむ。地球の重力ではありえない優雅な放物線を描いて彼女は着地する。靴底が地面を捉える微かな音がして、銀色の髪が低重力に踊るように広がっていく。


「ルナ、おいで」


 涼やかな声が少女の口元からこぼれる。ピロン♪ という電子音を伴って、一抱えもある光の球体が彼女を追い越して回り込む。

 銀の髪が青みを帯びて光を反射して、白い肌は月明かりのように透き通っている。空を見上げる少女の瞳は、金色に輝いているようにも見える。

 膝を曲げて体重を乗せ、彼女は次のステップを踏む。再び高く宙へと舞い上がる。その姿は、まるで月光の空を駆けるシェークスピアの妖精を思わせてくる。

 遠ざかっていく少女を光の球がふわふわと追いかけていき、やがて視界から消えてしまう。頭上にはドローンの音が戻ってきている。


『なんだったんだ? いまのは……』


 再び見上げる僕の視界には、遥か上空のコンクリートの空が映り込んでいた。遠く成層圏から流れてきた空気は、かすかにオゾンの匂いを含んでいる気がする。

 地球に比べて小さな重力が身体を地面へと引き付けている。僕は立ち上がって、さっきの少女の真似をして跳ねてみた。ふわりと身体が浮き上がってから、やがて無様に地面に落ちる。なんだか笑ってしまう。

 面倒なアシストスーツを着ないでも外を自由に歩けるなんて、半年前の僕からすればそれだけで夢のようなことのだ。


 地球から三万六千キロ離れたこのコロニーにはトンボはいないけど、人工の空を見上げる僕の目には、さっきの少女の跳躍の一瞬の、自由を楽しむ子供のような横顔の残像が残っている気がした。



 ・ ・ ・



「ねえデイブ、聞いた? 今日転校生が来るらしいよ」

「そういう情報って、ハルコはいつもどこで聞いてくるの?」


 朝日を模した外光の眩しい高校の教室で、僕に話しかけてきたのは同級生のハルコだ。本人によると日系のインド人らしいけど、色白黒髪の風貌はインド人には見えない。水色のワンピースの制服の下も普通のアジア人っぽい体形、つまり凹凸に乏しい。ちなみにフルネームだと「田島春子」。ナマステ。


「内緒! そういえば、今日の調子はどう? デイブ」


 僕、つまりデイビッド・アストンは、生白い右手をひらひらと振る。正確に言うと腕を動かしているのは三割が僕で、残りは全身に着込んだアシストスーツなんだけど。

 なにせ僕の住んでいる低重力区とは違って、学校のあるここ居住区は地球と同じの1Gなのだ。その重力が、というか遠心力が、地球と同じく身体を地面に引き付けている。


「いや、僕はいつもと同じだけど。それより転校生って……」


 なぜかいつも姉のように振る舞う同級生からの視線に微妙に居心地が悪い。話題を変えようとしたちょうどその時、ガラっという音が響く。教室が静まる。


 乱暴なというか、粗雑な音を立てて開いた引き戸から入ってきたのは、がっしりとした体格の中年の男性、元軍人という噂の担任のイシグロ先生だ。

 さっきまでざわついていた教室から、今度は唾を呑む音が聞こえてくる。

 続けてもう一人、制服姿のスラリとした女の子が入ってきたのだ。


 身体に貼りつく水色のワンピースの制服越しに分かる華奢な体格、でも胸のあたりはクッキリと丸い形を主張するように張り出している。

 腰には緩めに巻かれた細いベルト。細く伸びる手足、内側から輝く透き通った白い肌。絹のように細く蒼みすら感じてしまう、銀色に輝く真っすぐに長い髪。

 そして何より印象に残るのは、少しのあどけなさを残して完璧に整った顔にある大きな目だった。その瞳は金色に近い黄色に輝いている。


「ルナリアンだ……」


 そんな声が聞こえてくる。僕も思わず目を凝らしてじっと見てしまう。沸き起こるざわめきが教室を包んでいく。イシグロ先生がパンパンと両手を叩いた。


「ほら、少年少女、静かにしろ。今日は短期留学の転校生を紹介するぞ。このコロニーには一週間ほどの滞在だそうだ。仲良くしてやってくれ」


 教卓の脇の美少女が一歩前に出る。そして口を開いた。

 最近聞き覚えのあるような、涼やかな声が耳に入ってくる。


「エリス・セラフロストです。月から来ました。短い時間ですが、よろしくお願いします」


 短い挨拶を終えた彼女は「これでいいのかな」という戸惑った表情を浮かべている。

 教室にはパラパラと僕を含めた数人の控えめな拍手の音。


 そんな彼女の隣には、直径二十センチほどの風船のような球体が、薄い白から水色そして青へと色を変えながらふわふわと漂っていた。



―――

(解説)


これはカクコン10向けに書いているSFの出だしなんですけど、カクヨムはSF受けないから公募の方がいいんじゃないかといわれました。そうかも。

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おおぎり やまもりやもり🦎カクヨムコン乙です @yamamoriyamori

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