第15話 へそ調査(総合博物館)再々調査 終了

 ソファーにもたれて眠っている福原さんから離れた愛は、僕と一緒に正面玄関に向かった。愛がバングル状のデバイスに指示を出し、閉まっているドアをこじ開けると、僕はするりと外に出る。ピョンピョンと飛び跳ねて進んでいく中、勝手に閉まるドアの音を捉え、立ち止まった。


 正面玄関の前方、蓮が待機する特殊バン以外の車は止っていない駐車場で、僕は特殊バンを見遣りながら髭を波打たせ、首輪状のデバイスに、蓮への通信の指示を出した。


 へそ調査内容と結果、福原さんに関する依頼内容などを蓮に送ると、その場で香箱座りになってくつろぎながら、正面玄関を見遣ったり、特殊バンを見遣ったり、誰も居ない駐車場を眺めたり、時折居眠りしながら、蓮からの通信を待った。


 僕の長い耳が感知した。と同時に、首輪状のデバイスから芽が出て、それが伸びて茎となり、その茎に一枚の葉が付き、その葉が細胞分裂と細胞伸長で拡大し、画面に分化した。蓮からの通信だ。

 僕は首を振って画面を右目辺りに引き寄せた。


 タイムループという怪奇現象は、雷様に記憶(へそ)を取られた福原さんの抵抗心が引き起こしているものだと、俺も思います。まだまだ知り得ない神秘の世界を、脳は隠し持っていますからね。


 蓮は脳科学について詳しいのかもしれない。

 そんなことを僕は思いながら続く文章を読んでいった。


 雷様対応室から情報を得て判明しました。例の押し葉に書かれていた名前は、1時間前に生まれた福原夫妻の子の名前でした。福原夫妻しか知らない名前です。それで、生まれたばかりの子と奥さんの写真データを頼みました。もう少し待ってください。


 写真? この情報を福原さんに伝えれば思い出すと思うが……

 一刻も早く戻りたい僕だが、記憶(へそ)を蘇らせる為には何が効果的なのか、蓮は知っているのかも知れないと、首輪状のデバイスから伸びる画面をそのままにして、待つことにした。


 うとうとしているとき、長い耳が感知し、嗅覚が甘い香りを捉えた。見開いた右目に、黄色の小花が咲く画面に、表示された写真が映った。

 福原さんの奥さんが、生まれたばかりの子を抱いている。


 画面の端に咲いていた小花が散った。そこに新たな芽が出て、それが伸びて茎となり、その茎に一枚の葉が付き、その葉が細胞分裂と細胞伸長で拡大して画面に分化した。その画面に表示された文字を、僕は読んだ。


 この写真を福原さんに見せれば、雷様に取られた記憶(へそ)は蘇るはずです。記憶は、あるものをきっかけにして思い出したりするものですし、“聞く”より“見る”方が記憶に残ると言われていますので、雷様に取られた記憶(へそ)を蘇らせるには“見る”方が効果的です。

 納得する僕の長い耳は、駆け寄ってくる蓮の足音を捉えていた。


 蓮は用意周到だ。

 ニヤリと髭を波打たせた僕は、首輪状のデバイスから伸びる画面の根っ子を引き抜くため、茎を前足で強く引っ張った。根っ子は引き抜かれ地面に落ち枯れて粉々になった。


 蓮が僕の側にやってきた。

「ドアをこじ開けますね」

 腰を落とし僕を覗き込んでニコリと笑った蓮は、すっと立って再び駆け出した。急いで四肢を立てた僕は追い掛ける。


 正面玄関の前で止った蓮は、バングル状のデバイスに指示を出し、閉まっているドアをこじ開けた。


 行ってくる。

 そう伝えるように僕は、蓮の眼前まで垂直に飛び跳ね、頂点でくるりと反転して着地した。もう振り返らず、ピョンピョンとドアから館内に入り、地下へ向かった。


 階段を降りた先にあるドアを蹴って音を鳴らすと、ドアを開けた愛が顔を覗かせた。

 作業室に入った僕は、髭を波打たせ、首輪状のデバイスに愛への通信の指示を出した。


 愛のバングル状のデバイスから芽が出て、それが伸びて茎となり、その茎に一枚の葉が付き、その葉が細胞分裂と細胞伸長で拡大し、画面に分化した。


「だからね」

 画面に表示された報告を読んだ愛が、納得したというように僕を見て頷いた。

「私と宏生と結菜で手分けして、例の押し葉に書かれていた名前を、全職員に聞いて回ったんだけど、何の情報も得られなかったのよ」

 僕はニヤリとするように髭を上下させた。


 今ここに、宏生と結菜の姿はない。多人数で作業室に居続けるわけにはいかないし、福原にプレッシャーを与えてはいけないという配慮からだ。宏生と結菜は講義室で待機しているとのことだ。


 愛は画面に写真を表示させると、福原に近寄っていった。僕は後に続いた。


 福原は疲れ切ったようにソファーの背もたれに深くもたれかかっている。そんな福原の右横に、愛はゆっくりと座った。気付いた福原が目を開いた。僕は飛び跳ねて福原の左横に座った。


「無事に生まれたそうですよ」

 我が子の誕生は嬉しいと学んでいる愛は、満面笑みの演技をしている。だが、いまいち上手く演技ができていない。親子の愛情に接して学ぶのは今回が初めてだからだ。


 福原は怪訝な顔で愛を見詰めた。


 僕は、はっとした。

 我が子に関する記憶(へそ)は、雷様にすっぽりと取られているから、何のことを言っているのかさっぱり分からないんだ。

 切ない気持ちになった。


 愛はバングル状のデバイスから伸びる茎を持って、その先に付く画面を福原の視線先に向けた。


画面には、福原の奥さんと奥さんが抱いている生まれたばかりの子が、表示されている。


 目を見開いた福原は、自分の奥さんが赤子を抱いていることに驚いている。

「いつのまに? 妊娠してたっけ?」

 首を傾げた福原の全身が、震えだした。背中を丸める。

 両足をばたつかせ、もがきだした。


 戦っている。

 取られた記憶(へそ)を取り戻そうと戦っている。


 緊張する僕だが、愛は無表情で福原を見詰めている。

 愛はどんな演技をしていいのか、どんな行動を取っていいのか、分からないのだ。


 胸に抱くように持っていた例の押し葉が、福原の両手から離れた。と同時に、その両手が画面を引き寄せた。見詰める。

 じっと見詰める。


 はたと、福原の目から大粒の涙が溢れ出した。

「福原あかり」

 止め処も無く涙が流れ落ちていく。

「あかりが生まれた」

 涙を流しながら笑みを浮かべる福原は、とても嬉しそうだ。


 よかった。

 僕の心はもらい泣きをした。


 愛は無表情のままだ。だが、このことで、親子の愛情と絆を学んだ。


「雷様に取られた記憶(へそ)が蘇った」

 呟いた愛が、バングル状のデバイスに指示を出す。

「プリントアウト」


 福原が見続ける画面から芽が出て一枚の葉が付いた。その葉が細胞分裂してL判サイズの写真に分化していく。

 気付いた福原が、愛を見て微笑んだ。愛が微笑み返す演技をした。


 福原に写真を手渡した愛が、ソファーから腰を上げた。

「兎兎。確認しに行くよ」

 すたすたと愛は作業室から出て行く。急いで僕は後を追った。


 タイムループ(怪奇現象)は止ったかどうか、確認すべく正面玄関のドアに向かった。


 愛が片方のドアの取っ手を掴み、ぐっと押した。

「開いた」

 僕を見て愛は、親指を立て笑う演技をした。

 顎を上げた僕は、前歯を見せてニッと笑った。


「行くよ」

 くるっと反転した愛は駆け出した。

 宏生と結菜が待機している講義室に向かっていく。僕も向かった。


 講義室では、結菜が机に伏せて眠っている。リズミカルに背を揺らす宏生は椅子に座って、バングル状のデバイスから伸びる蔓状イヤホンから音楽を聴いている。


 僕は後足で思いっきり床を蹴って警戒音を鳴らした。


 ビクリと宏生が振り返った。顔を上げた結菜は、不機嫌そうに睨んだ。そんな彼らに近付きながら、愛は報告する。

「タイムループは止まった」


「そう」

 結菜は不機嫌そうな目付きのままだが、微笑むように口角を上げた。安堵している。


「やったぜ」

 椅子から飛び跳ねて立った宏生は、ガッツポーズをし、嬉しそうにタップを踏んだ。


「外に出ても、もう記憶は失われないってことね?」

 ゆっくりと椅子から立った結菜が、僕に近寄ってきた。

 僕は床に着くくらい顎を落として頷いた。


「じゃあ」

 結菜は僕から愛に視線を移すと、意味深な目付きをした。

 気付いた愛が言い切る。

「調査は終了。後は、停電の復旧など、博物館の状態を元通りにする為、雷様へそ処理チームに回す」


「じゃあ、あたし、めちゃくちゃ疲れたから、帰る」

 気怠そうな結菜だが、すっと腰を落とした。僕を見詰める。

「兎兎はいつも特殊バンで独りぼっちだよね。今日は、あたしんに来る?」

 僕はふんと横っ面を向けてやった。

 結菜は大袈裟に肩をすくめて立つと、片手を上げた。

「じゃあ、お先~~~」


「お疲れ様」

 愛は笑顔の演技をして結菜のろうをねぎらった。


 結菜は片手をヒラヒラさせて講義室から出て行った。


「わいも帰る」

 腰を落とした宏生が、僕の頭を撫でる。そんな彼の小さな目が、瞳が見えなくなるくらいに細くなった。満面笑み。心の底からホッとしている。

「兎兎ちゃん。お疲れ」

 右手を挙げて敬礼した。次の瞬間には、飛び跳ねて立つと、愛を見て、同じく右手を挙げて敬礼した。

「お疲れでした」


「お疲れ様」

 愛は宏生をまねて、右手を挙げて敬礼した。


 宏生が講義室から出て行くのを見送った愛と僕は、館長の元に向かい、調査報告と調査終了を告げ、特殊バンに戻った。


 愛から報告を聞いた蓮は、雷様へそ処理チームの出動依頼と調査報告書を書くため、もう少し居残ると愛に伝えた。

 承諾した愛は、蓮にねぎらいの言葉を掛け、僕にねぎらいの言葉を発し、特殊バンから降り帰って行った。


 僕は、お気に入りのクッションの上にドスンと横たえた。

 それを見ていた蓮が、僕専用のお皿にニンジンなどの野菜を置くと、ちょっかいを出すことなく、僕の顔を優しく見詰めた。その目は、いたわっている。


 疲れ切っている僕は目を閉じた。だが、長い耳だけは、聴覚を研ぎ澄ましている。


「今回の件は非常に有意義でした」

 蓮が語りかけるように呟く。

「脳は、深淵で神秘的で、まだまだ分からないことだらけで、未解明な領域も多い。だからこそ、脳に影響を与えるかもしれない世界には興味があるのです」


 蓮も観察している?

 僕は蓮の秘密の一部を垣間見た気がした。

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