4.

 フェンローグの仕事。それはひと言で表現すれば軍事郵便の配達。だが手紙を受け取って宛先まで配達だけすればいい、というものでもなかった。


「…………」


 時刻は夜明け前。食事を摂り、用意してもらったテントで一時間ほど仮眠をとった後。ヴィルは椅子に座って手元に視線を落としていた。モルドーに伝えた『作業』だ。


 見ているのは、駐屯内で集められた手紙。日付が変わって少し経った頃に、モルドーから手渡されたものだ。数はおよそ四十。つまり、兵士の約八割が手紙を書いたということになる。

 そのすべてに、ヴィルは目を通していた。


 ヴィルたちフェンローグが運ぶ手紙は、兵士とその家族や親しい人間たちがやりとりをするものに限られる。それ以外、例えばそれこそ軍の伝令などに利用することは許されていない。もし戦況などに関することが記されていれば、そういった手紙、あるいは文章は取り除かねばならない。


「うわ、これはまた真っ黒だな」


 次の手紙を開いたところで思わず言葉を漏らす。便箋が二枚入っていたが、そのほとんどが黒く塗りつぶされていた。おそらくモルドーが黒塗りにしたのだろう。彼もまた検閲という名のチェックを行ったようだ。王国軍としても、うっかりフェンローグへの依頼規約に違反するわけにはいかない。それに不必要な情報、それこそ戦争の士気に関わるような文章を内地にもたらすわけにはいかないからだ。

 片や、封筒に宛先が書かれているだけで何も書かれていない白紙の便箋が入ったものもあった。結局書くことが思いつかず、けれど自身の息災を伝えたい、そんなところだろうか。


「…………」


 黙々と、ヴィルは確認作業を続ける。一通、また一通と。机の上でぼんやりと灯る蝋燭の明かりを頼りに。

 そして次の手紙を手にとる。そこには聞き覚えのある名前が差出人として書かれていた。


 オーカーの手紙、か。


 どうやら酔いつぶれずに無事手紙を書くことができたらしい。封筒を開き、中身を取り出す。便箋が三枚入っていたが、見たところ検閲の黒塗りはされていないようだ。それから文章に目を通していく。流れるようなきれいな字だった。


 昨晩言っていた通り、それは母親に宛てた手紙だった。体調を崩したりしていないかとか、自分は元気でやっているとか、手紙を出したいと思っていた時にタイミングよくフェンローグが現れたことが綴られている。ヴィルが確認することを知らないのか、ヴィルが思ったより小さい子どもみたいだから、ちゃんと届くかどうか不安だとも書かれていた。


「まったく。余計なお世話だ」


 小さく息を吐くと、便箋を封筒に戻して次の手紙のチェックに移る。その間は、わずか一分に満たない時間だった。


 文章を深く読み込むようなことはしない。単純に時間がないという理由もあるが、丁寧に読めばそれだけ感情移入をしてしまいかねない。兵士たちの手紙には、それこそ文字の一つひとつに様々な気持ちが詰まっている。読み込めば読み込むほど、それらはヴィルの身体の中に濁流のように押し寄せてくるだろう。

 そうなれば生まれてしまう。私情という、余計な感情が。それは間違いなく、配達という本来の仕事に支障をきたす。

 ゆえに確認作業にはあまり時間をかけないように、ということが規則でも定められていた。


 別に読まなくとも理解できる。この手にあるのは兵士たちの想いが込められた手紙。

 それを確実に届けるのが自分たちフェンローグに課せられた使命、それだけ認識していればいい。


 そうして確認作業があらかた終わった頃、


「――なあ、起きてるかい?」


 テントの外側から小さな声が届く。夜明け前で静まりかえっていること、加えてその声が最近聞いたばかりのものだったので、布を隔てた向こうにいるのが誰なのかすぐにわかった。


「どうしたんだ、こんな時間に」


 ヴィルはテントを開けて答える。予想通りそこにいたのはさっき確認し終えた手紙の筆者、オーカーだった。


「起床時間には早くないか」


 まだ他の兵士たちが起きている様子はない。つまり、彼は個人的な理由でヴィルのテントを訪れているということになる。


「えっと、その……だな」

「手紙を書きなおしたいとかなら受け付けないぞ」

「いや、そうじゃなくて。まあ頼みがあるっていうのは同じなんだけどさ」


 昨晩と違ってどこか逡巡した様子のオーカー。なかなか切り出さないことにヴィルが眉をひそめていると、意を決したように口を開いた。


「ヴィルさん、さ。もう少し……いや一日でいいから、ここにいないか?」

「はあ?」


 彼の言葉に思わず当惑の声が出た。どういうつもりだ、ヴィルが訊くよりも早くオーカーは続ける。流れるように、ぺらぺらと。


「食糧のことを心配してるのか? それは大丈夫だ。俺の分を食べてくれればいいから。なあに、俺もまだ若いし、ちょっとくらい食べなくても平気だって」

「あのな」

「他の兵士、モルドー少佐も俺が説得するから。な、一日くらいいいだろ――」

「ダメだ」


 短く、ヴィルは遮った。鋭利な刃物で果実を一刀両断するがごとく。そして首を振る。


「昨日も言っただろ。俺は今日、もうすぐここを発つ。同じ理由で宴会のテントに行くことも断ったはずだが」

「で、でもさ」

「ここは戦場だ。そのことはお前だってよく理解してるだろ。いくらフェンローグが『安全の象徴』だなんて言われていても、一分、一秒後には何が起こるか誰も予想できない。それが戦争だ」


 一歩詰め寄る。身長差から見上げる形ではあるものの、そこには確かにあった。凄み、というやつだ。

 それは戦場を渡り歩いてきた人間だけが醸し出すことのできるもの。だからこそ、今まさに戦場にいて、戦場を知っているオーカーにはすぐさま理解できた。オーカーは黙るしかなかった。


「それにわかっているのか。俺がここに居続ければその分手紙が届くのが遅くなる。それだけじゃない、届けられないリスクだって上がる」


 ヴィルは首をひねってテント内の机を指す。たくさんの手紙。もちろんその中にはさっき確認したばかりのオーカーが書いたものもある。ヴィルは無言のまま問いかけた。届かなくてもいいのか、と。母親へ綴った手紙が。文字に込められた想いが。


「……あ、ああ。そう、だな」


 オーカーは我に返ったように目を見開くと、力なくうなずいた。


「お前たちが辛く苦しい思いをしているのはわかってる。だから俺が呼ばれたんだ。呼ばれた以上、俺はその意味を成すために最善を尽くす」


 宣言するように言う。それから、諭すように言葉をかけた。


「だから、わかってくれ・・・・・・

「……そう、だよな。悪い、変なこと頼んで。忘れてくれ」

「ああ、忘れることにする」


 引き下がるオーカーに、ヴィルは余計な言葉をかけることはしなかった。これ以上の会話はフェンローグの仕事に必要なものではない。


「悪いが、まだ作業が残っているんでな。お前も自分のテントに戻った方がいい。仕事に支障が出るぞ」

「そうだな。ほんと、悪かった。それじゃあな、ヴィルさん」


 言い残して、オーカーは去っていく。それを見届けてから、ヴィルはテントを閉めた。


 テントの中にあるのはヴィルと、兵士たちの手紙。

 さて、早いとこ片付けるとしよう。

 出発予定の時刻まであまり余裕はない。残った手紙の確認作業を手早く済ませていく。一切手を止めることなく。


 ほどなくして、すべての手紙に目を通し終えた。

 だが、まだ仕事はある。


 ヴィルは鞄から一本の細長い棒を取り出した。ペンほどの長さのそれは、ペンと同様に先細っている。どちらかといえばクレヨンのような見た目をしていた。灰色のクレヨンだ。

 だがペンではない。何かを書くものではない。ヴィルはそれを、その先端を近くにある蝋燭の火へと近づけた。途端に、火が当たった部分がじんわりと溶け始める。まるで水滴がついているかのように。徐々に大きくなっていく。


 ……こんなものかな。

 溶けだした滴がある程度の大きさになったところで、蝋燭から離す。すぐさまそれを、机に置いてある手紙の上まで持ってきた。

 一秒ほどの間隔を置いて、滴はぽとりと手紙に落ちる。封がされた手紙の、その真ん中へと。


 それは蝋だった。灰色の蝋。先端が溶けだしたそれはぽとり、もう一度ぽとりと、合計で三つほどの滴が落ちる。

 やがて物理法則に従って、封筒の中心には灰色の小さな円ができあがった。


「おっと、忘れてた」


 ひとり言をつぶやきながら、ヴィルは左手の手袋をはずして左手の小指にはまった指輪をはずした。モルドーに見せたフェンローグの証であるシグネットリングだ。ヴィルはシグネットリングを右手に持ち替えると台座、翼を広げた鳥の紋章が下になるようにして、灰色の円に押しつけた。


 呼吸を一回するほどの間、台座を押し続ける。そして離す。すると灰色の蝋には、シグネットリングに刻まれた紋章が模られていた。


 封蝋と呼ばれる、蝋によって手紙に封をする手法だ。だが重要なのはその方法ではない。封をした蝋に鳥の紋章が刻まれていること、それに意味があった。


 それが意味するは――その手紙が、フェンローグが運ぶべき戦地からの手紙であるということ。この封蝋がされた瞬間、手紙は特別な存在となる。


「さあて」


 ヴィルは息を吐いて、机の端に目をやる。そこには確認を終えただけの、まだ封がされていない手紙の山。


「……やるか」


 蝋を手にとり、再び蝋燭にかざす。溶けだしたそれを、手紙の中央に落とす。シグネットリングで押印する。それをただ、くり返す。

 ここにある手紙を、ヴィルが運ぶべき手紙へと完成させるために。

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