3.

 気がつけば携帯食を食べきっていたので、ヴィルはポケットからもう一本取りだした。


 口出し無用、ね。


 宴会これのことを言いたかったのだろう。馬車に乗っていた物資を見て、なんとなく予想はついていた。だがわざわざ言わなくても、ヴィルはネルデ王国軍の、ここ第八駐屯地の方針にとやかく口を挟むつもりはない。自身はフェンローグ、郵便配達人に過ぎないのだから。


「……ま、酒を飲ませたくなる気持ちもわからなくはないけどな」


 ひとりごちて携帯食をかじる。同時に穏やかな風が吹いてきて頬とアッシュグレーの髪を撫でる。日中と違って灰の匂いはしなかった。


「お、いたいた~」


 すると、喧騒とは別に背後からヴィルを呼ぶ声が聞こえた。


「たしかフェンローグ? の人だったよな~」


 振り返ると、短い金髪の若い兵士がいた。見覚えがある。たしかさっきの集会で質問をしていた兵士だ。暗がりでよく見えないが、顔が赤い。それに手には酒瓶を持っている。どうやら宴会の席を中座してやってきたらしい。


「こんなところにひとりでいても楽しくないだろ~?」

「気遣いは無用だ。俺はここに仕事で来ているからな」


 どう見ても酔っている。こんなになるまで酒を飲むなんて、この兵士も周囲の人間も、ここが戦地だという自覚が本当にあるのか。

 いずれにせよ王国軍の兵士と不必要に絡むことはヴィルの仕事にとってマイナス以外の何物でもなかった。それが酔っ払いとなれば尚更、だ。


「俺の相手をしてるより、広場に戻って仲間と飲むんだな」


 ヴィルは立ち上がって離れようとする。だが彼は意外にも素早い動きでヴィルを追い、隣へとやってきた。


「おいおい~、つれないなあ」


 そして、ヴィルの肩に手を回した。酒臭い。ヴィルは小さく「はあ」とため息をついた。やむを得ない。


「まあまあ、そう固いこと言わずにさ――うおわあっ!」


 次の瞬間、若い兵士はぐるん、とヴィルの真横で一回転した。直後、背中から地面に倒れ込む。


「いてっ、……ってあれ、俺いつの間に倒れて」

「どうだ、酔いは醒めたか」


 ヴィルは見下ろしながら言う。兵士は何が起きたかわからないと目を白黒させていた。


「そういう絡み酒は仲間内か、戦争に勝った後に故郷に戻ってやるんだな」

「あ、ああ……そうだな……。やりすぎだった、悪かった」


 兵士は素直に謝罪の言葉を述べる。さっきまでのように間延びした声ではない。空中一回転と冷えた地面に身体を打ちつけたおかげですっかり酒が抜けたようだ。

 兵士は起き上がると、意外そうに声を上げる。


「でもまさか俺が倒されるなんて。それも、こんなに体格差があるっていうのに」

「護身術ってやつだよ」


 フェンローグは危険と隣り合わせの職業。軍の人間ではないとはいえ、巻き込まれる可能性は十分にある。ゆえにフェンローグは皆、何らかの身を守る手段を備えていた。ヴィルの場合はこの護身術だった。


「これに懲りたら飲みすぎは控えるんだな。いくら今夜が宴だといってもここは戦地なんだし」

「ああ、そうだな」


 しゅんとする兵士。これくらい言っておけばいいか。


「それじゃあな」


 そう言って、ヴィルは再び場を去ろうとする。


「な、なあ。ちょっと待ってくれないか」


 しかしこれまた再び止められた。


「本当はその、ちょっと話をしたいと思って来たんだ。いいか?」


 彼の声は真面目なものだった。ヴィルとしては話すことも、理由もなかったが、


「……少しだけだ」


 断って後をついてこられても困る。ヴィルは半ば諦めのような気持ちでその場に腰をおろした。兵士は表情を明るくすると、隣に座る。ヴィルよりもずっと背が高いので彼の頭がひとつ飛び出る形だった。


「ええっと。たしかヴィルさん、だっけか。俺はオーカーっていうんだ、よろしくな」

「ああ」

「さっきはその、すまなかった。先輩にちょっと飲まされすぎてさ」

「別に、気にしてない。それで、話っていうのは?」


 実際、本当にヴィルは気にしていなかった。どちらかというと、早いとこ話を終わらせたいと言う気持ちの方が強かった。


「ヴィルさんには、直接お礼を言っておきたいと思って」

「お礼?」


 若い兵士、もといオーカーはヴィルの方に向き直ると、そう言った。


「ああ。俺、帝国との戦争が始まってすぐにここに来たんだ。だから家族……母親とはもう長いこと会えてなくてさ」

「たしか帝国との戦争が始まったのは二年前だったか」


 帝国が自身の領土拡大を目論んで侵攻を開始したのがきっかけだったはずだ。ヴィルはネルデ王国や帝国の出身というわけではないが、フェンローグとして数々の戦地を渡り歩いてきたことで戦争の経緯や戦況には勝手に詳しくなっていた。


 ともあれ、オーカーは二年もの間ここで従軍しているということだ。それはすなわち、彼が言うように母親と会うもまた二年間できていない。それどころか、連絡さえもとれていないということ。

 さっきまでの酒に酔った表情からはわからなかったが、よく見ればオーカーの顔にも他の兵士と同じようにやつれが見え隠れしていた。戦況が芳しくないことに加えてそんな状態じゃこの表情になるのも無理はない。


「せめて『俺は元気だよ』のひと言くらい伝えられないかって、ずっとモヤモヤしてたんだ。……そこにヴィルさんが来てくれたってわけ」


 そう言って、オーカーは笑みを向けてくる。


「これでようやくお袋に言葉を伝えることができるよ。だから、感謝の気持ちだけは伝えたくてな。ありがとう、ヴィルさん」

「別に礼を言われるようなことは何もない。俺は仕事でやってるだけ。慈善事業じゃないし、報酬はあんたら軍からちゃんともらってる」

「それでも、だよ。ヴィルさんが来てくれなかったら、このままずっとお袋に何も伝えられないかもしれなかったんだ。それこそ、気持ちだけでも受け取ってくれ」

「……そうだな」


 誰かに対する気持ちというものは、伝えて初めて意味を持つ。たとえば口で言葉にして。たとえば文字で認めて手紙にして。

 だからこそ、ヴィルたちフェンローグは手紙を届けなければならない。意味を持たせるために。


「そうだ。せっかくだからヴィルさんも広場の方に顔を出したらどうだ?」


 すると、オーカーはそんな提案をしてきた。


「俺みたいにヴィルさんが来てくれたことに感謝してるやつも大勢いるんだ。酔っ払って書けなくなる前にって、大慌てで手紙を書いてた奴もいるんだぜ」


 オーカーは「にっ」と笑顔をつくって言った。まるで犬のように人懐っこさを感じさせた。「それに、メシだってそれだけだと足りないだろ? 満足いくまでとはいえないけど、ヴィルさんは恩人だ。遠慮せずに食ってもらっていいからさ」

 だが、ヴィルは表情も口調も一切変えることなく答える。


「いや、気持ちだけ受け取っておく。あんたら兵士たちの貴重な食糧を、余所者の俺がご相伴にあずかるわけにはいかないからな。今までもそうしてきた」

「ははは、そんなの誰も気にしてないって」

「こういう慰労会みたいなのは今までなかったのか?」

「ああ。今日が初めてだよ。来る日も来る日も戦闘ばっかりでさ。本当にありがたいよ」

「そう、か……」


 酒だっていつぶりに飲んだだろうな、とオーカーは手元に置かれた酒瓶に目をやる。


「だからメシはともかく、広場の方に来てくれよ。手紙のこともそうだけど、何よりこうやって今夜騒げるのはあんたのおかげだってみんな感謝してるんだ。「『安全の象徴』のフェンローグがいるから大丈夫だってな」

「『安全の象徴』ね」


 出てきた単語にヴィルは小さく息を吐く。


「迷信に過ぎないがな、そんなものは」

「そうなのか? でもさっき先輩が言ってたぜ、フェンローグはどこの国にも肩入れしない完全中立の立場で、誰であっても危害を加えることは許されない。だからフェンローグがいる間はその戦地はどこよりも安全地帯になるってさ」

「任務中のフェンローグに危害を加えたら国際法違反になる、って言いたいのか?」

「そういうこと。さすがに帝国のやつらだって国際法を破ってまで攻撃はしてこねえさ。そんなことすりゃ世界中を敵に回すことになるからな」


 たしかにオーカーの言っていることは間違っていなかった。フェンローグは戦う兵士のために在り、彼らの人権を守るために在る。それがどこの国の者であったとしても。そういう取り決めだ。


 だからといって後半の『フェンローグがいるからその場所は戦争中でも安全だ』というのはいささか論理が飛躍している気がする。しかしヴィルの感想に反してそんなジンクスは世間に浸透してしまっていた。


「念のために言っておくが、俺の仕事はあんたらの手紙を内地に運ぶこと。ただそれだけだ。俺が来たからといって王国と帝国の戦争が何か変わるわけじゃない」

「もちろんわかってるさ」

「ならいいがな」


 ヴィルは携帯食をかじって、飲みこむ。それからあらためてオーカーの誘いを断った。


「そういうことだから、広場の方に行くのは遠慮しておく」

「ああ、わかった。でもまあ、その方がいいかもな。だってもし万が一飲まされて酔いつぶれでもしたら、明日ここを出発できないし」


 オーカーは冗談混じりに笑うが、あまり洒落にならない冗談だった。そもそもヴィルはまだどこの国でも飲酒ができるような年齢でもなかった。


「っていうか、そもそも王国の内地の方は大丈夫なんだよな? 戦争中だからきっとみんな我慢してたりいろいろ禁止されたりしてるのかもしれないけど……ヴィルさん、何か知ってるかい?」

「悪いが答えられない。知っていても知らなくても、だ。そういうことは手紙に書いてくれ」


 答えてしまえば、ヴィルが王国に加担したと見做される可能性がある。


「そ、それもそうだよな。ああ、うん。ヴィルさんの言うとおりだ。忘れてくれ」

 言い聞かせるようにオーカーはうなずくと「そうだ」と何か思いついたように、

「なら王国の名物とかを教えておくよ。ヴィルさんはネルデ王国、初めてなんだろ?」

「まあ、それならかまわないが……」

「よっしゃ、王国はいいところばっかりだぜ。うまいものも多い。こんな状況じゃなきゃいろいろと案内してやりたいところなんだけど……まあこれから街に手紙を届けに行くんだろうし、もしよかったらいろいろ見て回ってくれよ」


 そこからオーカーは油をさした歯車みたいに滑らかに王国の名所や特産品、おいしいものを紹介する。本音を言えば街に手紙を届けたらすぐさま次の仕事に向かわなければならないので観光する暇はないのだが、ヴィルは黙って聞いた。

 だが、彼は満足そうだった。久しぶりに故郷の話を誰かにすることができたのがうれしいのだろう。


 そうして気がつけば一時間ほどが経過していた。


「おっと、もうこんな時間か。俺は広場の方に戻るよ。あんまり遅いと先輩に怒られそうだしな。せっかくの宴なのにどこ行ってたんだ、って」


 オーカーは腰についた土や草を払いながら立ち上がる。傍らに置いた酒瓶を拾い上げて。


「あんまり飲みすぎるなよ。これから手紙を書くんだろ? 期限までに手紙を出せなくても俺は知らないからな」

「ははは、違えねえ。気をつけるよ」


 そう言うと、オーカーは手をひらひらと振りながら騒がしい方へと姿を消す。

 ヴィルはそれを見ることもせず、残った携帯食を口の中に放りこんだ。

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