2.
「諸君! 日々の務め、ご苦労である!」
太陽が完全に沈みきった時刻。第八駐屯地の中央に位置する広場――ヴィルを乗せた馬車が到着した場所で、モルドーは集まった兵士たちに号令をかけた。
兵士たちは全員気をつけの姿勢で整列している。モルドー曰く、この広場で食事を行い夕食の前にはこうして定例会議を開き、明日の任務などについて伝達しているらしい。
モルドーの近くと四方に置かれた松明によって、広場はぼんやりと照らされていた。そんな広場の端、明と暗の境界線上にヴィルは立ち、様子を眺めていた。
「任務に関する伝達事項だ。まずは――」
小さな壇上から言葉を発するモルドー。その脇に伍長たちが並んでいる。学校の集会のような構図だった。
兵士の数は全員で五十人ちょっと……ってところか。最前線にしては少し心許ないな。
モルドーの話を聞き流しながら、集められた兵士を見てぼんやりと考える。彼らの表情は昼間に御者が言っていたように、どれも疲労に満ちている。戦況が芳しくないのだろう。もっとも、ヴィルが気にすることではないが。
「それから、今宵は朗報がある!」
壇上から届く声が本題に入ったので、ヴィルは思考を中断した。ヴィルがすべきことはネルデ王国の戦況を憂うことではない。
ここですべきこと、それはったひとつ。
彼ら兵士の手紙を届けることだ。
「諸君らの奮闘に敬意を表して、国王陛下がフェンローグをお呼びくださった!」
途端に整列した兵士たちの方から小さなひそひそ話が生まれた。口を開いていない兵士たちも互いに顔を見合わせている。そんな様子を特に諫めることはせずに、モルドーはヴィルの方に目配せをした。前に出てこい、という意味なのだろう。
あんまり人前に出るのは好きじゃないが、まあ仕方ない。
「フェンローグのヴィル殿だ!」
モルドーの隣に立ったところで紹介される。壇上へ上がったというのに、ヴィルの目線は整列する兵士たちとちょうど同じくらいの高さだった。兵士たちの丸くなった目がよく見える。
ヴィルはとりあえず小さく会釈をする。ひそひそはざわめきへと変わった。
「あれが……?」「まだ子どもにしか見えないけどな」「本物のフェンローグなのか?」「ニセモノってことも」
「静粛に!!」
湧き出た泡を水面をたたいて潰すように、モルドーが大きな声でざわめきを制した。
「知っている者もいるだろうが、あらためてフェンローグについて説明する」
それから咳払いをひとつすると、説明を続ける。
「フェンローグとは兵士の手紙、いわゆる軍事郵便を内地に向けて届けてくださる戦地専門の郵便配達員だ。もちろん各々が希望する相手へと、だ」
再びテント内がわずかにざわつく。
「帝国との戦いが始まって以降、諸君らには長くこの第八駐屯地を最前線として戦ってくれている。その間、家族や愛する者と会うことはおろか連絡できずにいる者がほとんどであろう。国王陛下はそのことに心を痛め、フェンローグをお呼びくださったのである」
まあ、実際の依頼主は王国軍の人間だがな。ヴィルは内心つぶやく。要は兵士たちの士気を今一度高めるための方策、というわけだろう。国王が寄越したということにすれば、国への忠誠心も高めることができる。一石二鳥というわけだ。
「そこで今宵、手紙を書くことを許可する! この後、指定の便箋と封筒を配布するので希望する者は取りに来るように」
モルドーはポケットから便箋、それから封筒を取り出してみせた。無地の簡素な紙だった。
「ヴィル殿は明朝、首都へと戻る物資輸送の馬車とともにここを発たれる予定だ。よって手紙の提出期限は日付が変わるまでとする。書けた者は私のところまで持ってくるように」
一旦そこで言葉を区切ると、モルドーは兵士たちを見回してから、
「何か質問があるものは挙手を!」
「ええと、いいでしょうか少佐」
すると、短く切りそろえられた金髪頭の若い兵士が手を挙げていた。モルドーが頷くと、男はおそるおそるといった様子で質問する。
「俺、お金の持ち合わせがないんですけど、いいんでしょうか? その、配達料とか……」
「そうだったな、補足しておこう」
兵士の問いに、モルドーは再び咳払いをすると説明を再開する。
「今回の、フェンローグによる配達において諸君らは料金を支払う必要はない。すべて軍が負担する。国王陛下が心を砕いていただいたのだ。深く感謝するように」
「は、はい。了解、しました」
「おお……!」「ありがたい」「国王陛下、なんてお優しい」
そんな声があちこちから聞こえ、テント内が三度騒がしくなった。しかし今度はモルドーにそれを鎮めようとする様子はない。
「それから最後にもうひとつ、国王陛下からの賜り物がある。それは……」
ざわめきが残る中、モルドーは話を続ける。だが次に放った言葉で、広場は一瞬にして静けさを取り戻した。
「今宵、諸君ら飲酒を許可する」
「「「……え?」」」
「国王陛下が諸君らへの労いとして、今日の輸送便で酒が届いたところだ。よって、今宵に限り、飲酒をしてもらってかまわない」
「「「う……うおおお!」」」
一転してざわめきは復活し、そして頂点に達した。もう誰も彼らの興奮を止めることはできないだろう。
「今宵は十分に英気を養ってくれたまえ!」
モルドーのその言葉を最後に、広場は宴会場へと変わったのだった。
駐屯地のはずれは明かりが少ない。警備用の松明と月明かりだけが光源だった。灰色の世界だった。
そんな場所でヴィルはひとり座り、食事をとっていた。
手には棒状の固形食。ヴィル自身が持ってきたものだ。それをひと口、またひと口と音もなくかじる。身を包む衣類の全てが濃紺で統一されていることもあってか、その様はまさに暗闇に溶け込んでいるようだった。
背後からは喧騒が遠巻きに聞こえる。広場からのものだ。モルドーの言葉を皮切りに慰労会という名の宴が始まってからすでに数時間が経過しているが、収束に向かう気配は感じられない。
……いくら国王が酒を寄越したからって、戦争中の駐屯地で宴なんて普通許可するものかね。
途切れることなく届いてくる騒がしさにヴィルは肩をすくめる。が、それ以上のことはしない。言葉にすることはしない。
代わりに、集会の前に行ったモルドーとの会話を思い出していた。
「では、そのスケジュールということで。後ほど兵士が集まる機会がありますので、そこで私の方から伝えます」
少佐の居室となっているテントで、二人は今後の予定について打ち合わせをしていた。
「ヴィル殿も作業をされるとのことですので、寝泊まりする場所も兼ねてテントを用意してあります。後で案内します」
「ああ、感謝する」
木製の簡素な机を挟んで、これまた簡素な椅子に腰かけたヴィルとモルドーは会話をする。テントの隅にはもういくつか椅子が並んでいた。この場所は幹部たちで作戦会議を行うのにも利用されているのかもしれない。
「手紙は一旦、モルドー少佐の元に集める。それでよかったか?」
「ええ。その後まとめてヴィル殿にお渡しします。不備がないか私の方でも確認しますので。しかしよいのですか? 出発が明朝で手紙の提出期限を午前零時にしてしまうと、ヴィル殿の作業が夜通しに、しかもかなりタイトなスケジュールになってしまうのではと」
「問題ない。集まる手紙は多くても五十通なんだろ? それくらいの時間があれば十分だ」
徹夜での作業になるがかまわなかった。睡眠は馬車の中で仮眠をとればいい。それに、
「俺がいるのは戦争の真っただ中だ。戦争は何が起こるかわからない。それを考えれば俺たちフェンローグが最優先すべきは、手紙を一刻も早く届けることに他ならない」
戦争というものは生き物のように時々刻々とその様相を変貌させる。そしてそれは誰にも予見することができない。もちろん焦りは禁物だが、そんな場所に身を投じる以上、可能な限りスピーディーに行動することが求められる。ヴィルが経験から学んだことだ。
「……驚きましたな」
そう漏らすモルドーの目はいささか丸くなっていた。
「そうか? 当たり前のことだと思うが」
「戦争のことをよく理解されているなと思いまして。お若にのに。ああいえ、不安に思っているというわけでは決してありません。証もきちんと拝見しましたので」
「いや、よく言われるからかまわない」
暗にヴィルが子どもっぽい見た目をしていることを肯定する発言なのだが、余計なことは言わないでおいた。それに実際、ヴィルは十六歳でフェンローグの中では年齢は低い方。モルドーがそんな感想を浮かべるのも否定もできない。
「だが、それなりに実績は積んでいるつもりだ。受け取った手紙は間違いなく届ける。フェンローグとしての仕事は果たす。そこは安心してもらっていい」
「はい、それはもう確信しております。よろしくお願いします」
「そういえば」
ふと、ヴィルは思い出したことを口にする。
「この駐屯地には医者、軍医のような人間はいないのか?」
脳裏に浮かぶのは負傷した兵士たちの姿。戦争で負傷兵が出るのは当然のことだが、その数や状況は目に余るものがあった。
そんな問いかけに、モルドーは苦々しい表情になって答える。
「正直なところ、医療体制が十分ではないのですよ。最近では戦場を転々とする流れの医者もいるようですが、それすらも手配できておりません」
「なるほどな……」
帝国との戦争は長期化している。ゆえに、ネルデ王国の消耗はこういったところにも表れているということか。
「最近では帝国の攻撃も激しくなってきておりまして。なんでもやつらは鉄道とかいう大規模な輸送手段を開発したなんて噂も。……話がそれましたな。いずれにせよ、お恥ずかしい限りです」
「ああいや、こっちこそ関係のない話だったな。忘れてくれ」
ヴィルはかぶりを振ってこの話題を頭から取り払う。必要以上に訊いたり関わるのはよくない。今は自分の仕事に集中すべきだ。
「それじゃあ、用意してくれたテントに案内してくれないか」
「ああ、その前に」
ヴィルが立ち上がったところで、今度はモルドーの方から話を振ってきた。
彼の表情はさっきまでとは違い、硬いものになっている。軍人としてのものだ。
「何か?」
「今回、わが軍からの依頼を遂行していただくにあたって、ヴィル殿にひとつ、お願いがあるのです」
「どういったものだ?」
尋ねると、モルドーは咳払いをひとつして、
「ひとつはここで見聞きしたことは他言無用でお願いしたい、ということです」
「それはもちろんだ。というかフェンローグにも守秘義務があるからな、情報が漏れる心配はない」
「ありがとうございます。それからもうひとつ」
モルドーは指を組み、じっとヴィルの方を見る。
そしてとても重要な任務を告げるかのように、言った。
「ヴィル殿がここにいる間、われわれの任務……やることには決して口を出さないでいただきたい、ということです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます