私の中のこんなにもどろどろしたもの

香久山 ゆみ

私の中のこんなにもどろどろしたもの

 こんなにも、どろどろしたもの。いつの間に、どうして、私の中に。体が、心が、重い。吐き出そうと、奥の方まで手を突っ込んでみるけれど、どうにもならない。

 だから、ネットで見つけた専門の男に頼むことにした。幸い、今夜は両親ともに旅行で家におらず、私一人きりなので、都合がいい。

 夜も更けてから、男は来訪した。黒い上下、中肉中背で、特に何の印象も与えないような感じ。

 部屋に通すと、男は柔らかな物腰でいくつか質問して、私は大人しくそれに答えた。

「それでは、まずはそのもやもやしたものを吐き出してしまいましょう」

 男は穏やかな目のまま静かにそう言うと、さっと部屋中の窓とカーテンを閉めた。

 そうして、男は私の中のどろどろしたものを、慣れた手つきで奥の方からぞわりと掻き出した。どろどろどろと体から溢れ出した時、私は堪らず大きな声を出してしまって、恥ずかしい思いをした。男は、そういうものです。だから、部屋中閉め切ってしまうんですよ。と笑った。

 さて、全部吐き出して、荒くなった呼吸を整えながら床に目を落とす。フローリングには、どろりと私の中から溢れ出た黒いものが広がっている。

 男は、手を伸ばし、その黒いどろどろの中から、ひょいひょいとかたまり状のものを拾い上げていった。自分自身ですら気味悪いと思うのに、男は慣れた手つきでひょいひょいと。細くて長い指先をほとんど汚さずに拾い上げていく。

 私はすっきりした心持ちで、男の作業の様子を覗き込む。かたまり状のものをすべて拾い終えた男が振り返った。「台所を借りてもいいですか?」

 台所なんかでなにをするのだろう。そう思いながら、ええ、と答えた。一体なにをするのか。胸がわくわくする。こんなきらきらした気持ちは、本当に久しぶりで、やっぱり頼んでよかった。

「ね。なにか手伝うこと、ありますか?」

 男に尋ねてみた。男は少し首を傾げて、それじゃあ、この残ったどろどろを片付けておいてもらえますか……、と言い掛けて、あ、やっぱりいいです。あとで片付けるから。一緒に台所に行きましょう。そっちで何か手伝ってもらうことにします。と笑った。床の上のどろどろを見て、私があまりにも嫌な顔をしたからだ。自分から出てきたものだっていうのに。

 台所の流しで、男は先程拾い集めたかたまりをすすいだ。さあさあと透明な水道水に洗われて、かたまりからどろどろがはがれ落ちていった。そうして中から、血のように真っ赤なかたまりや、なすみたいに青紫のかたまりや、いろんな色のかたまりが現れた。「それは?」聞くと、「この赤いのは嫉妬の心からできたもので、青紫は羞恥で……」と男が説明を始めたので、やっぱりいいです! と遮った。男はふふふと笑って、「お鍋に水を張ってくれるかな」と言った。お安い御用だ。

 水を張った鍋に、男は色とりどりのかたまりを沈めて、そっと火に掛けた。まるでゆで玉子をつくるみたい。どうなるんだろう、不思議そうな顔に気づいたのか、「ナマのままじゃあ、ちょっとねえ」と男は意味深な発言。

 ぐつぐつ沸騰してきた頃、鍋の中に変化。ことこととかたまりが揺れだし、ぴしりと表面にひびが入った。すべてのかたまりにひびが入ったのを確認して、男は鍋を火から下ろした。かたまりをざるに上げ、水にくぐらせて冷ます。

 じゅうぶん冷めたのを確認して、男が赤いかたまりを私に手渡す。「割ってごらん」

 どきどきしながら殻をむく。と、中から、ルビーのように透きとおったかたまりがころりと出てきた。

「わあ、これは?」

「また、嫉妬で心の中がどろどろしそうになったら、口に含んで舐めてごらん」

「ええっ? でもこれって、私のどろどろしたかたまりだったんだよね?」

「だからさ。そういうものからつくったから、きみの栄養になるんだよ」

 ふうん。そういうものかしらと思いながら、私たちは一つずつ殻をむいていき、透明の宝石のようなものたちを、男の用意したガラス瓶に詰めた。まるでキャンディー。作業中に男が教えてくれた。きみはまだ子どもだからこういうつくり方をしたけれど、大人の場合は、鍋に水を張る代わりに、あのどろどろの液をつかうんだ。そうすると、すこし苦味があって、より効くんだ。大人になる私のために、そんなことを教えてくれた。

 なのに、顔も覚えていないなんて、本当にひどい子。

 けど、男がしてくれたことはすべて覚えている。夢の中みたいにうすらぼんやりしてたりしない。それはきっと、その時の私と、これからの私の人生に必要なことだったから。だから私も、男と同じこの仕事を選んだのだと思う。

 大人になるまでに、あの時のかたまりはすべて使い切ってしまった。次はどろどろも使って大人味を試してみたいところだけれど、残念ながら、無事いまの職に就いて、少なからず人から必要とされているという自負があるので、まだどろどろはさほど溜まらずいる。

 だから、どろどろが溜まるのが楽しみでもある。なんて、我ながら逞しくなったものだ。

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