第21話

 この世には二種類の魔物が存在する。肉を残すものと魔核を残すものだ。肉を残すものを魔獣と呼び、魔核を残すものを魔物と呼んで分別したが、どちらも"魔の物"という意味で魔物と総称する事も多い。


 シモンは田舎の男爵家の出身だった。幼少期に魔獣に襲われた所を従魔士に救われて、案の定憧れた。魔獣を使役する従魔士は花形職でもあったのだ。


 しかし魔獣を使役するには相手を上回る魔力が必要だ。魔力の増強訓練は並大抵の精神では続けられない。


 文字通り血反吐を吐いて死ぬ間際まで魔力を使い切り、無理やり薬で回復させてまた使い切る日々を続けなければ、平民に近いシモンの魔力は増やせなかった。


 顔のいい人間が番えば顔のいい人間が産まれるように、魔力量の多い人間同士が番えば魔力量の多い子供が産まれる。故に魔力量の多い人間は高位貴族に偏っているのが現状であった。


「シモン、ライヴレック辺境伯まで連れて行ってくれ」


 そんな花形の従魔士になれたのは、シモンにとって一生の誉れだ。例え初仕事が皇帝陛下の側妃フレデリカ様を生家に送り届ける、きな臭い任務だとしても。


 シモンはビシッと背筋を伸ばし、右手拳を左胸に当てた。傍らには己の従魔が餌を欲しがってシモンの髪を食んでいる。従魔士の従魔たちが暮らす王城内の厩であった。


「はい!」


 シモンは意気込んで返事をした。相手はカルロ・シリングス。侯爵家の令息相手に否は言えない。アルノルド殿下が行方不明な事は王宮に詰める者たちであれば皆知っている。その筆頭従者である彼がつい先頃まで謹慎を言い渡されていた事もだ。


 そんなカルロが生真面目な顔で耳打ちをする。


「フレデリカ様と団長には既に話を通してある。私は隊の最後尾でお前と同乗する手筈だ」

「承知しました」


 シモンの従魔はソルスタドと呼ばれる馬型の魔獣だ。気性は穏やかで従魔士になりたての新人が良く使役している。土魔法を使い、馬脚が強い。まる二日休息無しに走り続ける体力がある。普通の馬より一回り大きいので、従魔士を雇っている貴族家では馬車用の馬として飼う事もあった。

 だから大の大人ふたりを乗せて走るなどなんて事ない。


「帰りに実家に寄って家族と団欒すると良い」

「はっ! ……ぁ、いえ、そんな!」

「新人と言ってももう二年も帰っていないのだろう? なに、従魔士は引く手数多だ。そのまま婚約者探しで滞在が長引いても構わないんだぞ」

「は…………」


 カルロはにこりと微笑んだ。彼の主人であるアルノルドの美貌は言わずもがなだが、カルロ本人も整った顔立ちをしている。若干垂れた目尻は柔和で、切り揃えた前髪と項でひとつに縛った黒髪は艶やかで清潔さを醸し出す。なのに瞳も同じく黒いので、そこはかとない色気もあった。


「では明日は頼む」

「はい……」


 耳元でもさもさと己の髪を食む音がする。頭皮が引っ張られて痛いしソルスタドの唾液でべたべたするが、そんな事は気にならなかった。


 実家に帰る事を強要された。

 従魔士になって丸二年。ソルスタドとも良い主従関係を築けている。上司と先輩はシモンよりずっと位の高い貴族だから、人間関係は思わしくは無かったけれど、自分は男爵家出身だから仕方がないと諦念していた。王城勤めの従魔士になれただけで良かったのだ。

 なのに、実家に帰って暫く滞在したらどうかなんて。


「いや……いやいやいや……辞めろって話じゃないし」


 シモンはよろよろとソルスタドの首に抱き着いた。頭の半分は唾液でべったべただ。


「ボロロ~、明日は頑張ろうなあ~」


 彼の真意はわからないがシモンは断固拒否出来る立場ではない。下っ端は大人しく長い物に巻かれる運命なのである。自分はなにも聞かなかった。なにも考えなかった。フレデリカ様を送る隊に任命されて名誉な事だ、それ以上でもそれ以下でもない。

 ボロロと呼ばれたソルスタドは嫌そうにブルルと鼻を鳴らした。





 フレデリカの暮らす離宮は王城から馬車で半時程掛かる。徒歩であれば小一時間は掛かるだろう距離を、カルロは身を隠して足早に向かった。裏庭は洗濯物がはためき良い目隠しになった。


 珍しく天気も良く暖かい日だったから、溜まった洗濯物をメイドが一気に片付けたのだろう。


 裏庭の隅に蔦に隠れるようにして存在する抜け穴を通り、植木に隠れて先を急ぐ。ここに己の主がいれば魔法で姿を消せたのに、カルロが得意なのは風魔法であった。


「フレデリカ様、カルロ様がお見えです」


 なんとか辿り着いた離宮でフレデリカの側仕えに着いていく。フレデリカは庭で休憩していた様子であった。


「まあ、カルロ。いらっしゃい」


 白く塗装された柱にアイビーが巻きついている。風通しのいいガゼボは天気の良い昼下がりであっても肌寒かった。フレデリカは暖かそうな毛皮のコートを羽織り、優雅に紅茶を飲んでいる。


「アルノルド様はローデゼを抜けてゴパの街まで行きそうです。また少し遠くなりました」


 テーブルに置いたカフスは艶々と蒼く輝いている。装飾部の金細工はへこみが見られたが、魔核には傷ひとつなかった。


「少女を連れているとの事なので、あまり早くは進まないでしょう」

「まあ。恋人かしら?」


 そう言ってフレデリカは華やいだ笑顔を見せる。婚約者もいない自身の息子の浮いた話に興味を引かれたのだ。


「ローブを頭から被っていて誰も顔を見ておりません」

「でもあの子が側に置くのだから気に入っているのでしょう?」

「しかし平民の少女など」

「それで王妃陛下が納得するなら良いではないですか」


 アルノルドに婚約者がいないのは、兄のハロルドの婚約が白紙に戻ってしまったからだ。もう二十八という適齢期も過ぎた歳だと言うのに婚約者候補も上がらない。


 ハロルドの補佐を出来る程の能力があり、王妃の脅威にならない爵位の令嬢がいないのだ。


 王妃はこの国を潰したいのではないか。まことしやかに囁かれる王城の噂話はメイドたちの娯楽のひとつであった。


「王妃陛下は自身の手に入らないものが気に入らないのよ」

「…………」

「アルノルドが皇太子になればハロルド殿下は決して立場を回復出来ないわ。貴族の信用がないもの」

「アルノルド様は皇帝になる気はございません」

「それを決めるのはアルノルドではないの」


 王族は国のものだ。自我はあっても自由はない。より良い国にする為に勉強をし、侵略から守る為に戦を学ぶ。


「出奔すると言うのならばそれは王族の責務を放棄したという事です」

「はい」

「アルノルドは廃除と致します」

「フレデリカ様……! それはあまりに厳しいご判断です!」


 だってアルノルドの出奔は不可抗力なのだ。城内で賊に襲われ、どうしてのこのこと帰って来れようか。カルロは思わずフレデリカに縋ろうとした。己の失態のせいで主が廃除など悪夢でしかない。


 どうかアルノルドを切り捨てないで欲しい。

 カルロの肩をフレデリカの護衛が掴む。ギリ、と痛むそこに冷静さが舞い戻ってきた。


「カルロ、落ち着いて。アルノルドは今現在行方不明なのよ」

「は……」

「行方不明、いいえ、生死不明なのよ」


 そうよね? フレデリカが緩やかに首を傾げた。華奢な肩に掛かる金糸が揺れる。


「……その通りです」

「そうよね。アルノルドは死んでいるかも知れないもの」


 廃除も死亡も同じよね。


「なんの成果も得られなければ、死んでいるのと同じだわ」


 フレデリカは優雅に紅茶を楽しんだ。

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