第20話

 サンタバユス帝国の王城は混乱の最中にあった。


 第二王子が忽然と姿を消して、半分を取り持っていた公務が頓挫していたのだ。王子たちには市民からの陳情を取り纏めた物を振り分けていたのだが、第一王子のハロルドは裁決すれば良いんだろと言わんばかりに、内容の精査もせずに判を押す。


 やれ街道を作って欲しいだの、堤を築いて欲しいだの、果ては街の防壁を強化して欲しいだのと、そんなものは領主に言えといった事まで回ってくるのだ。


 これは領主が金を出し渋ったせいで上がってくる案件なのだろうが、王家の資金で賄うものでもなかった。内容を吟味し、優先順位を付け、支援が必要であれば支援内容を考えなければならないのだ。


 人材が不足しているのか資材が無いのか、支援金をせしめようとしているのか。


 現地に人を遣って調査するにも限界があるのに、ハロルドは無駄な仕事ばかりを増やしてくれる。なのに、公務を渡さなければ己が無能だと言いたいのかと喚くので手に負えなかった。


 婚約者がいた頃は良かった。彼女はハロルドの性格を熟知していたので、ハロルドに割り振ったものを先に精査し可決分だけを回していたのだ。


 まあだからこそ婚約者に捨てられた(表面的にはハロルドが捨てたのだが)ハロルドは、回ってくるものには判を押せば良いと思っているのだろうけれど。


「ああ……無能……」


 文官の集う執務室で、男は呻きながらハロルドの従者から手渡された書類を間引いていく。


 シリングス侯爵家の嫡男ダリル・シリングス。王立学院を主席で卒業した秀才であり、アルノルドの従者であるカルロの三歳上の兄にあたる。


 父親はまだまだ壮健で領地運営に精を出しているし、弟の今後の為にもと文官に出仕したのが彼の運の尽きだった。


 悲しい事に、ダリルはハロルドと二歳差な事実が祟ってハロルドの尻拭いをさせられている。間引いても間引いても陳情書は減らない。


 穀物倉庫が雨漏りして備蓄の半分が駄目になってしまった。可哀想に。屋根を修理して収穫期まで慎ましく暮らしなさい。


 先の大雨で土砂崩れがおこって山道が使えない。早急に街道を整備して欲しい。可哀想に。領主に土魔法士の応援を頼みなさい。


 一角兎が大量発生するようになった。なんとか駆除してほしい。可哀想に。


「一角兎だと……?」


 一角兎は魔物と言えども兎なので多産だ。大量発生もおかしな事ではない。火鼠と違って作物を荒らす以外に害もないので魔物としては無害の部類だ。


 それでも魔物は魔物を呼ぶのがこの世の理なのである。


 陳情するからには領地の兵士で間に合っているけれど、減りもしない、と言ったところだろうか。


 ふむ、ダリルは顎に手を掛けて思案する。


「グリフィス領か」


 サンタバユスは南から西に向かって横に長く、菱形の様に国土の南西部と北東部が脹れる形をしている。


 グリフィス領はその北東部に位置しており、ライヴレック辺境伯領とは土地が隣接していた。ハドラやハッシアを有する北大陸の最西端に一番近い土地だ。


 北大陸との間には巨大な運河が横たわり、方方で橋が掛けられている。


「誰かセドリック騎士団長を呼んでくれるか」


 はい! と歳若い文官がぼさぼさ頭で走り出した。


 執務室内には幽鬼のような文官たちが虚ろな目をして書類を捌いている。


 アルノルドの公務が滞っている今、彼らの仕事量は普段の二倍に膨れ上がっていたのだった。


「ああ……無能……」


 ダリルもまた疲れ切っているのだ。不満を漏らすくらいなんて事はないだろう。仕事を増やす人間は誰だって無能なのだ。





「お呼びですか、ダリル殿」

「ああ、わざわざ呼び立ててすまない。見ての通り猫の手も借りたいもので」

「ハッハッハッ! 殿下にも困ったものだな!」


 それがどっちの殿下かは知らないが、どちらにしても困ったものだとダリルは深々と頷いた。


 セドリックは筋骨隆々の躯体を窮屈そうに騎士服に押し込めている。今にもはち切れそうなボタンが哀れだ。きっとそのうち飛び跳ねて逃げ出すだろう。


 だめだ、疲れて馬鹿な事を考えてしまう。ダリルは頭を振って意識を切り替える。


「数人連れてグリフィス領に行ってくれないか」

「ほう、何故?」

「一角兎が大量発生しているらしい」


 ぺらりと差し出した陳情書は流暢な筆記をしている。


 セドリックは上から下まで読み進め、うん、と首を傾げた。


「これだけでか?」

「こんな時期だからな。兎に釣られて他の物も来るかも知れない」

「それは確かに考えられるな」


 セドリックが騎士団に入団して早二十年。魔獣の討伐には何度も繰り出した。死んだ友人も上司も部下もいる。


「冒険者たちに依頼は出していないのか」

「出した上での陳情書なら頭の痛い話になるな」


 街道や堤や備蓄など後々どうとでもなるけれど、魔物の侵略はすぐに対応しなければ大変な事になると歴史は物語っている。


 一角兎と侮るなかれ、兎は大抵に於いて肉食獣の餌なのだから。


 全くだ、とセドリックは同意した。そして執務室から繋がる個室へとダリルを誘導し戸を閉める。


 どうしたと顔を上げると、男は神妙な顔つきで口を開いた。


「先日ライヴレック辺境伯家の従魔士が来てたぞ」

「それがどうした」

「ダリル殿の弟を探していたようだな」


 従魔士を使ってまで弟のカルロを探すという事は、アルノルドについて進捗があったのだろうか。


 カルロはアルノルドの従者だ。アルノルドが姿を消した際、カルロはアルノルドを守りきれなかった罪で謹慎させられている。


 実行犯をその場で取り押さえた為処刑は免れたが、事の如何によってはその撤回も有り得るだろう。


 ダリルにとってカルロは可愛い弟だ。己が嫡男なせいでハロルドの従者に決まっていたが、当のハロルドが嫌がってくれて心底良かったと思う程度にはカルロが可愛い。


「アルノルド殿下は無事なのか」

「従魔士はそのまま陛下に謁見されたようだな」


 アルノルドが消えて七日と一日。捕えた犯人は魔術師団の団員だったが、捕らえた日の晩に不審死を遂げた。


 口から黒い液体を垂れ流し、骨と皮だけになってしまった。夥しい液体からは異臭がして城内が騒然としたのも記憶に新しい。


「カルロはどうなる」

「フレデリカ様と共にフレデリカ様の生家へ戻るそうだ」

「まさかセドリック殿が護衛に任命されているのか?」


 セドリックはひょいと肩を竦めた。


「それこそまさかだ。近衛騎士の団員が就くさ」

「近衛騎士は陛下直属だろう。いくらフレデリカ様とは言え……」

「近衛騎士以外は信用ならんのだろう。アルノルド殿下を害したのは王国魔術師団の団員だぞ」


 まさか。


「フレデリカ様はアルノルド殿下の為に決断なされた」


 側妃フレデリカが陛下の寵愛を一身に受けている事は公然の事実だ。王妃よりも王妃らしく、慈愛の心を持ち、王妃に変わって公務を熟す。


 使用人への態度も柔らかく、だからと言って気安い態度を取ることもない。毎月各に点在する孤児院へと慰問に向かい、公費から寄付金を捻出している。


 そんな忙しいフレデリカと陛下は仲睦まじく、アルノルドだけでなく第三王子も出産しているのだ。齢八歳の第三王子は継承権問題を鑑みて、既に婿入りが決定している。


 かつてハロルドの婚約者であった令嬢の兄の子供だ。ゆくゆくは公爵家を継ぐことになるだろう。


 だから王妃がフレデリカを憎く思っているのもまた公然の事実であった。


「ああ……無能……」


 三度目の嘆きは苦渋に塗れていた。


「暴動も視野に入れとけ」

「仕方がない辞職するか」

「無理に決まってるだろう、お前が抜けたら城が破綻するぞ」

「妻と子供が家で待ってるんだ……!」

「俺もだよ」


 世は無情である。

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