E3 25歳__偽物という資金源




 カタン、というドア。










 ノックもせず入ってきた人は

立ち竦んだまま、こちらを睨みつけていた。

先に見せて貰った顔写真からその人が母親である西塚美里。




 その瞳は最初こそ喜色は何処か怯えているように見えたが

すぐに鋭い眼光に変わり、口元は少し引き攣っている。

不味いと思いながらも、真顔を務めた。










 あちらには驚きでしかないだろう。

品行方正の娘が同じ年頃の異性を部屋にあげている。

しかも恋人同然のような距離感で。










 肩に乗っていた重りがふわりと

羽に変わった時、大人しい子兎が豹へと変貌した。




 鋭い眼光。一瞬見せたどこか思わせぶりの口許。

それを私の知らない彼女だった。




 罠にかかったことを喜んでいる、アンチテーゼ。

そして困惑しながらも怒の表情に歪みだした、

母親を前に私の腕を引っ張った。








「誰………?」

「…………」

「婚約者よ」








 西塚なごみが、そうきっぱりとそう断罪した時、

それは窓硝子が割れるような衝撃波ように思えた。




 私は軽く頭を下げる素振りを見せながらも

「婚約者」というワード聞いた瞬間に


西塚美里の顔色は沸騰し、般若の如く歪み出す。




 この人も“あの人”と一緒だ。

心の情が顔色としてすぐ現れる人。そうするのが上手な人。

裏を返せば心情を隠せない人。




 その瞳には、 

嫉妬じみた感情が怒とともに混じっている気がした。




「なんで………どうして………」

「私だって年頃だもの。恋人や 婚約者がいたら、駄目?」

「___あんたは駄目よ!!」






 その罵声は、鼓膜を震わせ地震のように振動させる。

荒々しく肩で呼吸をし

今も此方を罪人を見詰めるかのように睨んだ後、


彼女は手を振り上げた。






 そして私の左頬に熱さという衝撃波が加わった。

微かな呻き声が聴こえてゆっくりと瞳を開けると、




 先程の沸騰した激情はどこへやら、

まるで冷水をかぶったように顔面蒼白になっていく。

途端に「空君!!」と近寄る聞き慣れた声。










 不謹慎だが、私の心は意外にも冷静すぎた。

何というのだろう。思考や心が投げ出されて、


 まるでホロスコープのように

私は人にも自分自身にも傍観することしか出来ないから。




 本当は娘を張り倒したい筈が

間に入った人間の方を叩いてしまった。

女同士の妬み嫉み 羨望なら自負はしないけれど

見てきた筈だ。






 だから分かってしまった。

この母親は娘に敵対心を抱いているのだと、女として。

娘は敵でしかないのだ。見下していた相手が対等な立場に

なろうとしている時、相手は何を思うのだろう。




 私は姿勢を正すと西塚美里に対して、頭を下げた。

そして ポケットから 紙切れを差し出す。




『___笛木空と申します。

娘様と結婚前提にお付き合いさせて頂いております。




僕は 失声症を抱えておりまして

このような形でのご挨拶 大変申し訳ございません』










「空君、ごめんね。私のせいで………お母さん酷いよ」

「なんで紹介してなかったのよ!! 知っていたら……」


「____また横取りするつもりだったの?」






 氷柱のように酷薄な声音が残響した。

娘の睨むような上目遣いに母親は唇の端を噛みしめている。






「いつもそう。

私の同級生に手を出して、それでも飽き足らず

その父親と不倫して………私の大学の奨学金を

慰謝料に当てたよね?」






 それが今の、西塚なごみの継父。


 彼女は大学進学を諦める代わりに

母親が盗んだ、奨学金の返済に追われている。

昼夜問わず働き、妹が産んだ姪や甥達の面倒まで見ている。






 終身刑の牢獄。

与えられる人権も尊厳も

彼女は、同性を敵に思う母と妹に奪われている。




「だから言わなかったの。

それに……」

「やめて お父さんがリビングに居るのよ!!」






 流れ始めた

なだらかなピアノの音を断末魔が遮る様だった。


















 白米に味噌汁、ハンバーグに乗った半熟の目玉焼き。

子供は、甘めのケチャップライス、

テーブルに備え付けられた子供椅子。






 私の向こう側に両親が

角には妹、そして隣に座る西塚なごみは席を外して、

交互に姪に離乳食を、甥には哺乳類でミルクをあげている。






「空君、食べて行って。

私が食べる頃には冷めちゃうから………」




 そう疲れ、やつれた顔で、

なごみは言うが、私も食欲はない。




 私は断ったけれども、 ご飯を食べて行って欲しい___。

それは心からの歓迎なのか女同士の妬み嫉みの感情を

フェイクさせるためなのか。

おそらく 後者だろう。












 私が摂食障害だという事を

知ったのはアンナに引き取られてから間もなくの事だった。




 病名は神経性食意不振症。極度の栄養失調。

その中でも私の場合はレアケースだった。






 アンナに話したのは、

修道院で過ごしていたこと、

突然、コンクリートの世界で2年間を過ごした事だけ。






 彼女が謳うように、

母親が同じなら朋花の事は知っているだろうし___

それに佐々木親子の事は、

私が秘密にしておきたい事だった。






 佐々木親子の隠してしまったのは

どうしようもない申し訳なさと、後ろめたさ。

それにこの人はあの心中の時には、いなかった筈だから。

話しても信じてもらえない___そう思ってしまった。






 彼女は修道院の事はそう、

とあしらわれたものの謎のあの2年を話すと、

私は監禁されていたのだ、と断言された。






 私が食事出来ないのも、

歩行困難なのも、そのせいなのだと。

そして痣と切り傷以外に不思議に思っていた、

胸の大きな傷痕の正体を知ったのもこの時だ。






『貴女、過去に心臓の外科手術を受けていますよね』






 私は呆気に、取られた。

極度の栄養失調から体重が伴わず、

私が異様に身体が重く感じる要因だったのだ。




 経口輸液、食事が出来るようになる為の

治療プログラムはどれくらいの時間を要しただろうか。

摂食障害、それに伴うリハビリは

かなり長期間だったと思う。




 栄養回復の治療が終われば、リハビリステーション。

自分自身で立ち上がる事がどれほどに難しいものだったか、


 






 だから。

アンナが求める、娘役になるのほだいぶ遅れてしまった。




 それに対して、

とても申し訳ない、彼女があってこそ私がいる。












 ただ私があの2年間で過ごしていたように

空腹になっても食欲という意欲が湧かない事が殆ど。

殆どは飲み物やインスタントのスープで

済ませてしまう事が多い。






 目の前にご馳走が広がっていても、

せっかくのものを残してしまったら失礼じゃないか。

私はできる限りの愛想笑いを浮かべて話に相槌を打つ。






 話を聞いていると、私が此処に呼ばれたのは、

西塚なごみの、家族へのアンチテーゼという威力だということ。







 私が代行屋ビジネスで、

ある家族に溶け込む時、男の人を見る。

やましい事ではない、逃亡犯となってしまった、

佐々木裕也ではないか。


 果ては、息子の佐々木 景ではないのか、と。



 今回の依頼を見た時に父親の年齢が、

佐々木裕也と近いものがあった。



ちらりと余所見をしたけれども

西塚家の父親は、佐々木裕也とは似ても似つかない風貌。

プロファイリングによる、現在の容貌は

載せられたポスターの風貌とは結びつかない。




 この代行ビジネスを1年と渡り歩いて

似ている人、それらしい人にまだお目にかかる事も

出来ていない状況下だ。



 この職業は難もあるが

探し人を手掛かりを探すのには、

合っているような気がする。







 西塚なごみは、洗濯で席を外した。

父親が晩酌の時間に入り、母親はその準備や

話し相手に追われている。






 警戒心と護衛心を高めないとな、

そう思った瞬間だった。










「ねえ」






 


 間髪入れずに、妹が隣の席へ着く。

媚びる様な甲高い声音は、時に耳障り、と思える程に。

上目遣いにその幼い年齢を隠そうとする為か濃いメイク。




 咽むせるような、香水の香り。






 なごみの妹、まどかだったか。

妊娠依存症、高校に入ってすぐ妊娠が判明し高校は中退。

現在2人目を産んだ後だったか。






 けれども

彼女は妊娠することが目的であって子供に興味はない。

人に優しくされる事が目的で、


その為の人質としか思っていないから、愛情は湧かない。

釣った魚に餌をやらないのと一緒だ。






 依頼者から

警告を受けていたので、私は素っ気ない視線を送る。

母親も危ないけれど 最も危ないのは 妹の方だ。






『まどか………先日 子供を産んだばかりなの。

また相手の人を探す と思う。


それに出された食事には手をつけないで。


 


 薬が盛ってあるかも。

貴女が危険な身になるかも知れないから………』




 それが、夕飯に招かれる前に忠告されたこと。






「あなた、穏和な顔立ちをしているのね、優しそう。

お姉ちゃんにも勿体ないわ。


ねえ………お姉ちゃんのどこを好きになったの?

華やかさも色気もないでしょ」






 自分自身の事も愛せやしないのに

誰のどこが好きだとか、どこに惹かれただとか、

興味はない。


 ただでさえ、

いつだって 疑心暗鬼の最中にいるのに。




 






 不意に伸びてきた手。

振り払ってしまいたかったけれど、

ビジネス上、それもできない。




 姉の婚約者を口説いているのに両親は見て見ぬふりだ。

ただ一つ言えば 母親も もう一人の娘に対して

敵意を向けているという事に気付いた。




「…………」

「………ねえ、お姉ちゃんと別れて私と恋人になりましょ?

私の方が、空に相応しいわ。

あんな地味な娘より私の方が………」






 ある事を思い出して、立ち上がった。

鞄の中から元々、なにかしらあればと入れていた。

紙幣が入った封筒をテーブルに置くと、

深々とお辞儀する。






 携帯端末の音声を、読み取るアプリを再生した。




『突然、お邪魔する形となり申し訳ございませんでした。

お料理 美味しかったです、ごちそうさまでした。

僕はそろそろ、失礼いたします』






 そう微笑むと、そのまま立ち去る。

しかしせっかちな後ろから足音が聞こえて

振り返ると西塚なごみがいた。














「待って!!」










 寒空の下。

玄関前だと見られている可能性があるから

しばらく歩いた先に ある小さな公園で休憩する事にした。






 嗚呼、 










 人間関係。



 女の妬み嫉みというというものに、底はない。








 家族には送っていくと話したらしい。






「ごめんね、依頼したのに、こんな修羅場に……」

「(謝らないで)」








 依頼者と雇われた者。

彼女の意向に沿って それらを演じたに過ぎない。

内容が、愛憎劇だろうと 修羅場だろうと






それは ビジネスであり

それらを全うする義務がある。








 それに、これが生活源なのだから。





 このビジネスの資金源で私はあの日を追い求めている。

バラバラになった、パズルのピースを集める為に。






 謂わば、私も逃亡者なのだ。






 不意に思った。

演じるという特殊な事を除いて、




 佐々木景は今、しているのか、と。



 そして、逃亡犯となった佐々木裕也は、

どう自身を偽り演じているのだろうか。






 あれから13年が経過する。

先日、取り寄せた目撃情報に気になるものがひとつあった。

あの日から歯車を 狂いだした。きっと自分自身ではない、






 誰かの代わりをする事で、鳴りを潜めている。私。

優雅な独身貴族に見えて






 あの人の『娘』というパーツがなくなった今は、

気楽な反面、何処かで言葉では言い表せない

焦燥感と切迫感に包まれている事に気付いた。






 もし、佐々木裕也が逮捕されてしまったら。

 佐々木 景が最悪の事態を迎えてしまったら。






 そうなれば事は事は遅いだろう。





 1日でも早く、1分、1秒、

私がしなければならないこと。


早く佐々木裕也を見付けるか、佐々木景に会わないと、

そして、あの日の事を明確にしなければ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ディシープ・ディスペアー 天崎栞 @Shiori_mazaki_06

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ