E2 25歳__偽りと紙一重
20XX年 1月31日
20代の女性と女の子の死体が発見された。
___ふたりは母娘と見られる。
室内は密室で、煉炭が置かれていたが、
辺りには女性には他殺の痕があった。
___同日に行方不明になったのは、
佐々木 景君 12歳。
彼はお使いの帰り道に、行方不明になった。
当時から現在に至るまで、遺留品も足取りも見付からない。
___景君の父親で、同日に起きた母子の事件と
息子の行方不明になにか関係があるとして県警は
2月7日付で、佐々木裕也を指名手配した。
いつも私の記憶の片隅にある情報は、
これらの3つ。
これ意外、必要がないとでも言おうか。
それ以外のボキャブラリを備える余裕もないのかも知れない。
珈琲を嗜みつつ、
窓際に打ち付ける雨音に惹かれて目を遣る。
座った態勢でくつろいでいる素振りの私に、
彼女は微笑んでいた。
「なんでだろう、あなたといると落ち着く」
「……」
切なく
儚い潤んだ瞳で、そう訴えられて、微笑んだ。
表情の動きから、
相手の感情を読み取るのは唯一無二の技だ。
その人は何を考えているのか、顔を見るだけで分かる。
1ミリ単位の表情筋の機微、瞳から漂う欲。
………彼女は絶望しているように思えた。
“昔の経験”を活かした。
あれから1年と数ヶ月。
けれど空っぽの人間には、何もない。
教養も経験も、その人が今までどう生きてきたかという
プロセスも。
私自体が 偽物で胡散臭い。
代行ビジネス、
そういうものに出会ったのは1年と少し前。
アンナのところを離れて、福岡から東京にきた。
東京は、様々な土地から訪れる人が多いと聞く。
私がアンナの娘を演じていた頃
演奏会で何度か、東京に来た事がある。
その時から 思っていた。とても華やかな街なのに
何処か孤独が交差する場所なのだと。
すれ違う人、
すれ違う人 みんな余裕がないように見えた。
冷たい雨のような街、その孤独に紛れてしまえば
その雨音の1粒になればきっと、別人になれるのかも。
東京はいつだって、真冬のようだ。
孤独は何も振り返ることは無いから
きっと見つからないだろう。
そんな雰囲気と
朧気な土地勘だけが脳裏にこびりついていた。
けれど ただ土地勘があるだけ。
人間関係も何もない ただの小娘が来ても、路頭に迷うだけ。
華やかな ネオン街のマンションに囲まれた
公園で私は過ごしていた。
芸能界、もとい、
音楽、クラシックの世界は酷く華やかだった。
私にはとても不釣り合いと思う程に。
私には、教養も、学びもなにもない。
アンナの元から去ってしまったのは、
そんな華やかな世界で その空気を吸うのはひどく 釣り合いで
どこか 罪悪感を抱く___私なんかがいても
いいのだろうかと。
そう思った時、
娘役にはもっとふさわしい子がいるのではないか。
空白の期間終えて、またアンナの娘を演じられるか、と
思った時、不安とともに出来ないと思った。
もしかしたら、ミスをするかもしれない。
そうなれば、ただでさえ、
傷付いている人を、また傷を増やすかも知れない。
アンナが守り抜いてきたものを
一瞬で壊してしまうかも知れない。
壊す者がいるのなら、
元からいない方がいいのではないか。
____ならば、消えた方がいい。
そんな時、
一人のおばあさんに声をかけられた。
物腰柔らかく 優しそうなおばあさん。
彼女はこう言った。
“___孫娘と葬儀に行かないといけないんだけど
彼女は予定があって行けないから代わりに
一緒に行ってくれる?”
私は孫娘。誰かの代わり 代役………それは、
私に出来る唯一のことだった。
その日、孫娘の代役を終えて、帰ろうとしたが
不意に呼び止められた。
『貴女、とてもお芝居がお上手ね』
東京に来たばかりで、と言うと
演劇に興味はない? と言われ、チラシを見せられた。
“『人間代行ビジネス』……人間関係での身代わりになります”
と文字が謳ってある。
「私ここの社長なのよ」
にこやかに言う告げる おばあさん。
全ての 辻褄が合った気がした
「……貴女を、スカウトしたいわ」
その言葉にどこかデジャヴを感じた。
それは多分、“あの頃と重ねてしまったせいだろう“か。
誰かの身代わりとして偽物として生きる。
1分、1秒………でも桜木香澄として居たくない、という
現実逃避をしている私にとっては救いの仕事だった。
人手が足りず、従業員はおらず、
社長一人で切り盛りしている、という現状。
今にも悲鳴をあげそうなくらい苦しいのに、
私1人の荷物を増やしてしまったような、
後ろめたさを感じていた。
それなのに、三好さんはとてもいい人だった。
天涯孤独という私を娘のように接してくれ、
保証人となってくれた。
その純粋な優しさが 時に心苦しくて断った時もある。
この孤独な東京で人なら誰でもいるのに
何故、私だったのか。
そう尋ねた時、
“私が貴女を見込んだの。
あなたは、ビジネスで演技で、私に返してくれればいいわ”。
ガサ、と何かが落ちた。
顔をあげると小さなアパート室内。
透明なカーテンから差し込んだ 柔らかい光。
ベッド、ローテーブル、
手つかずのキッチン、クッションソファと殺風景だ。
そして、
それに似合わない行き倒れた様に、玄関で倒れている私。
13年前の事が謳う雑誌、新聞、事件の考察サイト、
ネットワークの記事をコピー集 プリントしたものが
床に無造作に散らばっている。
昨日の仕事は夜遅くまでかかって、
帰路に付く前にコンビニエンスストアのコピー機にて、
携帯端末から仕入れた情報をコピーして帰宅……した筈だ。
寝床はあるが大概、たどり着けない。
こうやって玄関で寝落ちしている事が殆ど。
私は身を起こすと、散らばった紙を集めて仕分けする。
此処の思う事は赦される。
考察サイトでは己の思想が綴られているものを見、
昨日は「佐々木 景、という人を見た」という
目撃情報を集めていたところだった。
浄水器から水をコップ1杯分を注ぐ。
乾き切った花に、まるで水を掛けるように。
私はそんなに綺麗な人間じゃない。それだけは断言出来る。
他者に冤罪の濡れ衣を着せる様な女の娘。
そう思うだけで反吐が出そうだった。
今日も私は、桜木香澄という人生を、偽る。
否、桜木香澄を消すというべきか。
そう居たくないのかも知れない。
携帯端末が鳴り、手探りで見付ける。
代行ビジネス、代行屋と呼ばれるものに勤めてから暫く。
此処でならかなりの頻度で声を掛けられ、求められる
職業なのかも知れないと思い始めたのは、つい最近の事だ。
あの時、感じた東京という街。
小雨が降る 雨粒のひとつに紛れ込んだ。
此処は、孤独を抱えた人が佇む街。
けれど 広い世界が故に その孤独を見る人はいない。
華やかで賑やかな喧騒や孤独に紛れて。
人はすれ違った人の顔を覚えていても
その人の心の内までは見えない。
記憶は上書きされるのだから いつか消えてしまう。
すれ違った人、その場限りの人ねら尚更。
此処で暮らしているうちにそう思うようになった。
その上
代行ビジネスなら その場限り、その時だけの付き合い。
私は、後腐れもなく記憶上書きによって消える人だろう。
「はい」
「依頼よ」
「____どういったものですか」
三好さんの言葉に頷き
ローテーブルに置いてあるスケッチブックに
私は事の内容を、ペンに走らせた。
依頼者は、西塚 なごみ。
彼女はボロボロの状態でこちらに来た。
男運が悪いの棚に上げて再婚を繰り返す、依存症の母親。
人に優しくしてもらう喜びに目覚め、その武器として
妊娠を繰り返す妹。
更には再婚相手の父親から
センシティブな虐待を受け、母と妹の板挟みになる娘。
愛情の裏返しは無視。けれど それは フェイクで家族は、
皆、彼女に依存している。
そんな彼女から 婚約者役が欲しいと言われた。
父親から逃れる癒やしに、そして自分自身をおとなしいと
思い込んで好き勝手を行う、母と妹への逆襲の為に。
ほんのひと時でいいから、少しは見返したい。
大人しい言いなりになる娘だなんて思われたくない、と。
ここでの私の役割は、彼女の婚約者役。
男装した上で乗り込んだ。
これはただの演技、紙切れのひと時の契約。
相手の私事を知ってもいつか他人事になる。
感情移入しない。否、私は出来ない。
彼女は意外にも大胆だ。
ただ契約だけの人間を易々と部屋にあげて、
過ごしているのだから。
執着と依存。
そんな 家族に見られてしまったら
一瞬で相手の逆鱗に触れるというのに。
私が男装しているだけだから、
同性なのは変わりないのだけれど。
此処での私は笛木 空。
寡黙で物静かな婚約者。
男装している以上、声は表さず、 私は話せない。
『冷えちゃったでしょ』
ココアの香りが鼻について、不意に視線を上げた。
差し出されたコップ。
優しげな笑顔なのに、瞳はどこか 笑っていない。
私は微笑むとココアを手に取りお礼を音もなく呟いた。
湯気がふんわりと上がると何事もなかったように消える。
先程のカフェで雨に降られ、
逃げるようにしてこの家に来た。
不意に右肩に重りが乗ったように思えた。
目線だけ少し動かすと、目を閉じた彼女が
私の方に頭を持たせいる。私が視線を元に戻すと、
携帯端末にどうしたの、と打った画面を見せた。
「嫌だった?」
上目遣いで見つめられて、私は視線を外した。
『___ううん』
「ここ、誰もいないから、筆談じゃなくていいよ」
『____そうはいかないよ』
「プロ意識高いんだ。そっか………。
じゃあ お願い。数分だけこのままでいさせて」
いいよ、とだけ。
単なる子供じみた、恋人ごっこ。
瞑想でもしていたのか、目を閉じていた彼女は
いつのまにか眠ってしまったようだ。
恋人からいきなり婚約者に跳躍するとは激しいものだ。
視線の先にあるぬいぐるみをぼんやりと 見ていた。
…………が、ぬいぐるみとにらめっこをしていた、
私は“あること”に気づいて 目を見開いた。
よく見ると何の変哲もない、くまのぬいぐるみ。
穢れをを知らない黒々とした瞳を見ている筈だったのに。
小さな赤い点滅で、私はハッとした。
「……………」
嗚呼、そういう事か。
彼女は元々、こうなるように仕組んでいたのだ。
偽りを演じていたどちらが欺かれていたのか分からない。
途端に雷鳴が耳元を届いた。
「きゃ………」
雷鳴がひとつ。
彼女が、小さな悲鳴をあげた。
身を縮ませるように どこか 怯えている彼女に
私は寄り添った風を演じる。
「…………」
「…………怖くないのよ。
ただ罵声に似てたから怯えちゃっただけ」
「…………」
その後だった、
“これから、付き合って“と囁かれたのは。
あのぬいぐるみに仕込まれた赤い点滅が、
意味するものが上辺だけではないこと。
代行ビジネスは、様々な人間模様が見える。
生温い、安易な上辺なものから、
何処か影を落とし、引き返せないものまで。
けれども現に
シャツの生地を華奢な指先が掴んでいて怯えていて、
私は彼女に寄り添うようなふりをする。
感情移入されないうちに、と思ってしまうが
演技と芝居では必要な要素を省く理由にも行かない。
ましてや婚約者なのだから距離感は近い方が圧倒的にいい。
これはビジネス、偽り。
たとえそれが何かに巻き込まれたものでも。
後腐れのない関係、いつかは終わるもの。
いつか彼女の記憶が上書きされて、私が消えますように。
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