第3話 砂川倫
鹿野、宍戸、それに不田房とコオロギ透夏、薄原カンジは純喫茶カズイを出て、新宿駅に向かう道中にあった居酒屋に入って適当に酒を飲んだりつまみを食べたりして時間を潰し、日付が変わる少し前に解散した。仕事の話題──特に、今後映像化や配信の可能性もほぼなくなった『底無活劇』については誰も触れなかった。「まあまた近々どこかで顔合わせることになるでしょ」と金縁眼鏡の透夏が言い、「宍戸さんとは来週下北沢だよね〜」とカンジがふにゃふにゃと笑った。
「それじゃあ、また」
「うん、またね」
誰もさよならと言わなかった。また。また今度。次があると強引に決めつけて、別れた。
透夏とカンジは地下鉄の新宿駅方面に消えて行った。鹿野はJR新宿駅でICカードに電車賃をチャージする。残額は3円だった。3円って。どういう使い方をしたら3円だけ残るのだ、逆に。
「宍戸さん──」
「おう。じゃ。帰るか」
「そうですね」
「あのさあ!」
終電間際の新宿駅は、混み合っていた。声を張り上げないと、すぐ傍にいるはずの人間に言葉を届けることすらできないほどに。
不田房の声に、鹿野と宍戸は同時に振り返る。
「俺に──聞きたいこととか、なかったのか」
「──」
鹿野はくちびるを引き結び、宍戸は薄く笑った。
「砂川倫のこととか?」
不田房は首を横に振らなかった。「そうだ」と険しい口調で答えた。
石波小春。本名
「……何か知りたいか? 鹿野」
「さあ。人間オギャアと生まれてどうにか生きて、棺桶に入るまでのあいだにはそういうアクシデントのひとつやふたつ、って思っただけです」
「ふたりともさぁ……!」
脱力したような、怒りのこもったような、ややこしい声で不田房が唸る。改札に向かう男性や女性が容赦なく不田房にぶつかっていく。鹿野と宍戸はぴったりと寄り添っているせいか、意外と人にぶつかることがない。
不田房もこっち側に来ればいいのに。
「不田房栄治」
宍戸が呼びかける。
「俺は鹿野を家まで送って行くよ。おまえはどうする?」
「……俺は……」
ゆるしてもらえるなら、と不田房のくちびるが動く。
不田房は別に、何もしていない。許すも許さないもない。
宍戸と不田房が鹿野の家、実家に遊びに来るなんて珍しいことじゃない。いつものことだ。日常だ。
それなのに今、不田房だけがどこか遠くにいるように見える。
「妹さんがいるんでしたっけ!」
息を吸い、腹から声を出した。傍らを通り過ぎていく人間たちがぎょっとしたような目付きで鹿野を見詰める。
「聞かせてくださいよ! 私の知らない不田房さんの話!」
「そっちは……不田房の話じゃなくて……」
「砂川倫のことはそのあとでもいいじゃないですか! ほら! こっちに来て!」
許すも許さないもないから、最後の力を振り絞って手を出した。
不田房栄治が不田房栄治として飛び込んできてくれるなら、きっともう一度始められる。何せ自分たちは、まだ生きているのだから。
おしまい。
つま先に咲く星 大塚 @bnnnnnz
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