第2話 本(もと)を務(つと)む。本立ちて道生ず(論語)
人はすべて、何ごとについても、末梢のことや、形だけにとらわれないで、根本を把握するようにすべきであり、根本のことをやっていれば、あとは自然に方法は立つものだ。
この場合の「道」は方法の意。務本。本立而道生。
この語から儒学は「務本(むほん)の学」ともいわれる。
「中国古典名言辞典」講談社学術文庫
かつて、中国が五胡十六国の時代より夷狄に国を引っかき回され続け、13世紀にはモンゴルの軛(くびき)のもとで100年間自由を奪われ、19世紀には、アヘン戦争の敗北によって、英国を始め西洋の貪欲な列強に国土を食い荒らされ、中国全土にアヘン(麻薬)をばらまかれて国民(人民)の精神は廃人のようにボロボロにされ、20世紀には日本に侵略されて存亡の淵まで追い詰められた中国人が、なぜ21世紀の今、不死鳥のように復活を果たしているのか。
それは、彼らが何百年のあいだ被支配者であっても奴隷のような境遇にあっても、「中国人(漢民族)としての本を忘れなかった」からなのです。
日本もやはり、明治維新(1867)より今日までの100年有半、欧米列強に操られた天皇とその一味によって、男と男が結婚するとかわけのわからない法律だの社会常識といった「アヘン」が蔓延し、見かけだけ好景気の下、精神的頽廃と政治屋・警察屋の腐敗、マスコミの堕落(マスコミとは元々堕落した企業)によって、21世紀の現在、かつての清朝末期のような様相を呈しています。
ここは一番、聖徳太子の時代に戻って、「本を務める」精神に変えるべきではないでしょうか。
日本の第一次文明開化(聖徳太子の時代)の本(もと)となった中国(の古典思想)に、再び学び直そう、というと、プライドばかり高くなった日本人はよしとしないでしょうから、まあ、せめて「不死鳥のように甦った中国に目を向け、教訓とすべきところは大いに学ぼう」としましょう。
2024年4月12日
V.1.1
平栗雅人
異端を攻むる(考究する)は、それ害のみ V.1.1 @MasatoHiraguri
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