小説を手放すとき

藍豆

小説を手放すとき

 現実世界で起こる事柄の多くは空想のように劇的でなく、人との交流もさほど情動的ではありません。もちろん時にはドラマティックな出来事も起こりますが、それは稀なこと。物語の主人公のように次から次へと体験できるものではないのです。

 だからこそ人は空想を求めるのではないでしょうか? 現実とは違う世界に浸り、擬似的に欲求を満たそうとする。ゆえに、よほど極端な状況でもない限り今後も物語の需要が尽きることはないでしょう。

 では、伝達手段(媒体)についてはどうか? 文章によって表現される小説、絵と文字で伝える漫画、映像と音による映画など様々なものがあります。それらの中で私たちが表現手段として選んだ小説の市場規模は、残念ながら年々減り続けています。

 原因は何でしょうか? よくいわれているのが、「時間がかかるため現代人の生活スタイルやニーズにマッチしていない」こと。それとあまり意識されていないようですが、「漫画や映像の技術向上により質に差をつけられた」ことが挙げられます。ようするに、小説の唯一の長所である「読み手ごとの自由な想像から生まれるイメージ」を他の媒体が上回ってしまったわけです。ひと昔前に比べて漫画やアニメの表現力って格段にアップしていますよね。一方の小説はというと、書き手と読み手双方の日本語力が著しく低下し、全般的に質は落ちてしまっています。頭で思い描くイメージよりも圧倒的に綺麗で迫力のあるものを得られるのなら、わざわざ長い文章を時間をかけて読む必要はなくなってしまったのです。

 どうあがいたところで、この流れは止められそうもありません。ならばどうするか? すぐに思い付くのは、「原作や原案という位置付けによって生き残る」こと。あるいは「生成AIやアプリを駆使して自分で視聴覚的な作品を創作する」こと。いずれも、表現は別の媒体に頼るわけです。どんなに素晴らしい物語も、他人の目にふれなければ宝の持ち腐れですからね。

 このまま行けば、おそらく運営会社はいずれどこかで小説投稿サイトに見切りをつけるでしょう。ただ、何らかの手段でアイデア発掘の窓口は残すように思われます。それが現行サイトの延長線上にあるのか、はたまた違う形態をとるのかはわかりません。ひょっとしたら「プロットから漫画や動画を自動生成してくれる投稿サイト」なんてものが出てくるかも(すでにS社のワールドメーカーのように「絵が描けなくても簡単な漫画が作れる」投稿サイトもあります)。絵心のない創作者には夢のような話ですが、生成AIを利用すれば技術的には可能ですよね。いち早く仕掛けた会社が将来の勝ち組かもしれません。

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