第2話中編
この世に、吸血鬼が存在するなんて、実際にこの目で見るまで、僕は信じてなかった。
両親がよく、山頂には行ってはダメ、そう言っていたのも、きっと言うことを聞かせるための嘘なのだと子供心に疑っていた。
けれど実際彼らの存在を知った今となっては、両親のあの言葉に嘘はなかったのだと、今さらになって後悔している。
□□■中編■□□
一体どのくらい長い月日を、この冷たい地下牢で過ごしただろうか?
ここへ閉じ込められ、逃げられぬ様足には重たい鉄の輪をはめられた。
食事は一日に一度、彼らの食べ残しを投げ入れられるだけ。
外見は、僕達人間とはさして変わらないのに、彼らはとても残酷で恐ろしい、平気で僕ら人間を家畜の様に扱うのだ。
地下に監禁されていた他の人達も、最初こそは彼らに抵抗こそしていたけれど、食事もろくに取れず、血を抜かれる日々を送っていれば、もうそんな勢いもなくなるのも当然だろう
時間が経つにつれて、ここから逃げようなどと考える者はいなくなっていた。
「いいか、お前達は我らに生かされているのだ。それを忘れるな」
いつものように、鋭いナイフを取り出し、僕の腕に浅く切り込みを入れ、紐で吊るされた腕から、ポタポタと滴り落ちる血液。
もう、腕は何度も刃物で切られているから傷だらけで、痛まで疼く傷がどれなのかさえ分からない。
腕から流れる真っ赤な血を、瓶に少しずつ溜まるのを横目に、馬鹿な真似はするなと鋭い視線を向けてくる男は、山頂に住みつく吸血鬼。
外見は50程の年齢の男は、赤くまるで血の様に真っ赤な瞳で僕を射抜いて離さない。
その視線からは嫌悪感が滲み出ており、虫ケラを見るような、あまりにも冷たい視線で、ぶるると寒気がした。
何度も彼と顔を合わせるが、やはりこの男の視線には慣れる事はない。
僕達の扱いから見ても、優しさのかけらもない彼は、ただ血だけを求め僕達の事など、どうでも良いのだろう。
それをひしひしと感じ、殺されてしまうという恐怖が頭の中を支配していくのだ
こんなところにいてはダメだと、頭では分かってはいるものの、体が上手くいう事を聞かないのだから、ここから逃げ出すなんてことは無理なのだ。
けれど、一度だけこの男、陽炎にそっくりな目をした青年が逃してくれた事がある。
同じ瞳をしていたのに、彼には人の心があったと、僕は思っている。
あの時、ちゃんと逃げ切れていたら…なんて過ぎたことを今更考えても、もう遅い。あの日以来、青年は一度もここに姿を表さなくなった。
だけれど、たった一回だけ会った彼の事を僕は忘れることはないだろう。
血を抜かれ朦朧とする意識と、腕の痛みにだんだんと意識が遠くなっていくのが分かり、重くなっていく瞼の中、あの時僕たちを逃がしてくれた青年の顔が、ふと頭に浮かんだ
「もう、二度とここには来るな」
──あの時の出来事は、瞳を閉じるたびによく思い出す。この暗闇を照らす光の様な出来事だったと、感謝さえしている
今日の様に寒く、空腹で今が朝か夜かも分からず、監禁された人達と身を寄せ合い、大丈夫だからと、小さく声を掛け合っていたある日、キィー…と扉が開き、地下に降りてくる足音が響いた。
また、血を抜かれる時間になったと、誰もがびくりと体を震わせ身を潜めていれば、足音はゆっくりとこちらへと近づいくる
暗くて見えない地下へ、赤い炎を照らしながら松明を持ってやってきたのは、想像していた陽炎ではなく、自分と同じ年齢ほどの青年だった。
彼は、怯える僕達を無言で見たかと思えば、かちゃりと扉の鍵を開け中へ入ってくるや否や松明で僕達を照らした
「・・・ここから出してやる。静かにできる?」
彼の逃すという言葉を聞き、僕達は一つの希望を抱いた。
ここから出られるならなんだって良い、やっとここから解放されるのなら喜んでついて行く
しかし、なぜ彼は僕達を逃がそうとしてくれるのだろうか?
「君は…吸血鬼じゃないの…?」
「…ん?」
「な、なんで、僕達を、その、逃してくれるの?」
彼の表情、そして否定もしない様子にやはり彼も吸血鬼なのだとすぐに理解できた。あの陽炎とはまた違う鋭い瞳で射抜かれ、よく似た瞳にごくりと唾を飲む音が、静かな地下に響いた。
実際、これだけ酷いことをしてきたにも関わらず、簡単にここから釈放されるなんて、おかしな話だ、
きっと裏があるに違いない、そう思う反面、もう家に帰れるという一つの希望を抱いてしまうのだから、自分に呆れる
「俺は、親父のやり方が気に入らないだけ。…お前達はこんな所にいるより、日の当たる場所が似合ってる」
真っ直ぐに僕の目を見て答える彼の瞳は決して嘘をついている様には見えない
揺らぐことなく、僕らを見つめるその瞳にはこれまで見てきたあの陽炎にはない優しさが見えた
彼は怯える僕らを無視して、足枷を1人ずつ解放していった。
ガチャと、重たい鉄の輪が取られると自由に動かせる様になった足。
これだけでも、身も心も軽くなるのだからここから逃げれたらなんて幸せなんだろうか?
監禁されている人達の足枷を解いた後、彼は扉の先を指差した。
「他は皆酒を飲んで寝てる。…ここから出て行くなら今だ。ここを真っ直ぐ走れ、足を止めずに真っ直ぐだ。寒さは走れば少しはマシになるから」
外は真っ暗で、時刻は夜ということだけは理解できた。
雪が積もり、穴の空いた服しか着ていない僕達は、山を降りるまでに凍死してしまうかもしれない
けれど、このまま地下で怯えて過ごすのか、それともこの吹雪の中を乗り越え、家に帰るか。どちらも究極な選択肢だ。
周りの皆も、暫く考えているのが分かる。
けれど、ここから出られるチャンスは今しかない。そう思えば、僕はここから出て両親の元に帰れるならばと、ここを出る選択を選んだ。
青年の言葉に頷き、一歩ずつ前へと歩んで行くと、冷たい雪が僕の肌に落ちて、寒くて体が震えた
「もう、…2度とここには来るな」
ブルブルと震える体に、ふわりと何をかかけられ、幾度か寒さが引いた。
肩にかけられたものを見れば、熊の毛皮をかけてくれたのが分かった
少しだけ重さはあるけれど、この寒さを凌ぐのにはこの毛皮はちょうど良い
言葉は、淡々としていて冷たく感じるけれど、彼の言葉にはどこか暖かさを感じた。
「ありがとう」
その言葉を最後に、僕達は雪の中を走った。
この吹雪を見て、どうせ死ぬならと地下に戻っていく者も数人はいたけれど、僕はあそこには戻りたくなかった
彼の言った通り、ひたすら真っ直ぐに走った。
真夜中の山の中、雪に足を取られながらも歩みを止める事はなく、山を降りる事だけを考えた。
しかし、随分進んだ頃背後からものすごいスピードで近づいてくる馬の足音が聞こえた。
それと同時に、共に逃げた者達の悲鳴が微かに聞こえ、つい足を止めてしまった。
「全員捕えろ!」
振り向けば、馬に乗った陽炎とその一行が年寄りをはじめ、動きの遅い者達を弓で仕留めているのが見えた。
バタバタと倒れて行く彼らを横目に、木の影に隠れるが、うめき声をあげて血を流す彼らを見るのは耐えられない
「バカな奴らめ、あそこにいればここで死ぬことも無かっただろうに」
馬から降り、剣を握った陽炎はまだ息のある老人の元へと近寄ると、容赦なく剣を振り上げ老人の首を跳ねた。
真っ白な雪の上に広がる真っ赤な血と老人の頭。
簡単に人が殺される光景を見て、ヒッと声を荒げそうになるのを必死に我慢した
「もう、年寄りは良い。連れ戻すなら若い奴らだけにしろ」
どうせ、血もまずい。
そう言って真っ赤に広がる雪を見て陽炎は鼻で笑う
こんな残酷な光景を木の裏に隠れ、悲鳴を上げそうになる口を塞ぎ、息を潜めその場で小さく身をかがめた。早くこの場から彼らが去るのを願ってただ力いっぱいに目を閉じた。
暫くすると、気配がなくなりそっと覗くと、陽炎達の姿はなく、彼らに殺された死体だけが並んでいた
一緒に地下で過ごした人達の亡骸に、涙と嗚咽が止まらず、その場に座りこむと雪の上に胃液を吐いた。
何も食べておらず、胃の中は空っぽの状態での嘔吐は、胃がキリキリして気持ちが悪い
鼻には、先ほどから鉄の匂いが充満しており外だというのに、近づくだけで疼いてしょうがない。
何も出来ず、ただ隠れて彼らが死にゆく姿を見ていた自分に罪悪感と悲しみが混ざり合う
そっと手を合わせて、その場を去ろうとした時、トンと肩に何かがあたったのがわかった。
「コソコソと、獣の気配がすると思ったら…お前か」
毛皮のせいで匂いが分からなかったと、怒りを含んだ低い声に、怖くて振り返ることができない。
気づかぬうちに、いつのまにか背後に立つ陽炎と、吸血鬼達の群れに囲まれ足がガクガクと震えているのが分かる
グッと鋭い何かを肩に押しつけられ、これが固く鋭い剣だと知ったのは、自身の肩に剣が食い込んだから
「…ぐっ、!」
「お前も、愚息に唆されたか…愚かな奴め」
陽炎の愚息、という言葉に、先ほどの青年が浮んだ。
それと同時に、肩に刺さった傷の痛みに顔が歪んでいき、先ほどの様に自分も陽炎に簡単に殺されるという恐ろしさで、体を動かせない
じんわりと生暖かい血がポタポタと滴り、じんじんと痛みが増して行く
「…やはり、お前の血は甘い香りをしている。安心しろ、お前はここでは殺さない」
いいか、お前はこうはならない。
そう言って、僕の頬を掴み頭部が落ちた老人の方へと無理やり向けられる
嫌だと抵抗したくても、肩の痛みと陽炎の力の強さに圧倒され、踠くのを諦めるしかない
「だが…、2度はない。もし、また同じ事があればお前もアレと同じ事になる。よく覚えておけ」
あのお爺さんと同じ目に…そう思うだけでぶるぶると震えが止まらない
うっと、嗚咽が溢れ今にも吐き出しそうになった僕を、ぱっと解放すると後ろで待機していた一向に腕を引かれた
ずるずると力なく歩く僕の体を、物のように引きずって行く彼ら。
ズキズキと疼く肩の痛みで朦朧とする僕はそっと瞳を閉じた。
──もう、このまま死んでも良いやと思いながら
あれからどれほどの月日が経っただろうか、地下にはまた新しい若い者達が集められ、年老いて、体力のない者は飢え死にしていった
最初は、人が死ぬ光景を見るとあの時の光景を思い出しとても辛いものだった。
死とは、本当に呆気なく一瞬で散っていく。
昨日までそこに居た人が、もういないのだ。
そう思うだけで胸が苦しくなるけれど、その反面いつ自分も同じようになるのだろうかと、その恐怖が頭を占めていく。
一度は、もう死んでも良いと諦めたものの、やはり死というものは怖い。
けれど、生きるのもまたそれと同じほど恐ろしいものだ
□□■
「さぁ、お前達今宵は前祝いだ。天明が我が龍家を背負う大黒柱となる!当主継承の儀式まではまだ日があるが…精一杯楽しむといい」
陽炎の掛け声と共に、一族皆が声を合わせて盛大に祝いの言葉を上げた
天明、天明と声を揃えて名を呼ばれ静かに微笑んで見せると、家族は特に嬉しそうにしている
しかし、まだ当主になった訳ではないのにこの騒ぎ…あと1ヶ月後に僕が本当に当主になったら一体どうなることやら、きっと家族は特にお祭り騒ぎになるだろう。
この寒く静かな季節も、もうすぐ終わる。
まだ、雪は積もっているけれど少しずつ雪解けも始まってきた頃だ。山の木々は少しずつ芽が出だし、僕が好きな春の季節が始まるんだ。
春の桜に、優しい風、春の暖かな日差しと動物達の楽しそうな雰囲気を感じるのが僕の楽しみのひとつ。それに加えて、僕が当主になったら地下の彼らをすぐに解放する。
その為に、つきたくもない嘘をついてきた。本当ならば、王蓮が継ぐはずだった場所だ。正直、僕が受け継ぐのはとても荷が重い。
だけど王蓮との約束の為にも何としても僕は当主にならないと。
この宴が終わったら、残った食べ物を地下に持っていく為に、風呂敷に包めそうな物を片っ端から取っていれば、姉に品がないわねと怒られた。
しかし、姉はそれ以外は何も言うことはなかった。
宴が終わり、皆が寝静まった頃。
真っ暗な地下へと慣れたように降りて行けば、中から天明さんと自分の名を呼ぶ声が聞こえて来た。
そっと檻の鍵を開け扉を開くと、順番にたくさん持ってきた食べ物を1人ずつ渡していく。
彼らは僕がこうやってご飯を持ってくる事を知って居て、最初の頃と比べると僕に慣れてくれたのか、僕が来ると名前を呼んでくれて嬉しそうに受け取ってくれるのだ。
「今日はこれだけしか持ってこれなかったんだ」
鹿の肉を乾燥させた物と、肉まんを持てるだけ持ち、夜中にコソコソと地下へと足を運ぶのが僕の最近の日課になっていた。
まだ幼い子供や、痩せた人間達にこうやって食べ物を与えているのは、彼らに生きてもらいたいから。
「光月はいらないの?」
いつもは、すぐに受け取りにくる青年、光月は今日は皆の後ろに下がっていて、取りに来る気配がない
不思議に思い、どうしたのと声をかけると光月はどこか具合が悪そうにしていた
「今日は、酷く血を取られたみたい…」
側にいた少年、夕心が小さく僕に耳打ちしてくれたことで、彼の容態が悪い理由がすぐに理解できた。
すぐに檻の中に入り、座り込む光月の元へ近寄った。
彼の頬にそっと触れれば凄い高熱で呼吸が荒い
傷が痛むのか、腕を押さえ唸る様子に、そっと握りしめる手をどかせると、腕の傷は真っ赤に腫れ上がり膿んでいた。
血を取る為に、体を切り刻まれいくつもの跡が残っている腕。やはり何度見ても悲惨な傷跡に胸が痛くなる
こんな酷いことをするのはおかしい、どうしても彼らのやり方が気に入らず、沸々と湧き上がる苛立ちを抑え、ぐっと歯を食いしばると持ってきていた血薬入りの漢方薬を飲ませ、傷口を消毒した。
ただの漢方薬ならきっと光月は死んでいた
彼の状態から察するに、完全に傷口からばい菌が入り、破傷風になっているからだ
いくら手当をしたとしても、普段から体力のない彼が、これを乗り切れるとは思えない
本当はしてはいけないと、分かっていながらも漢方薬に少量だけれど血薬を混ぜてしまうのは僕が、彼には死んで欲しくないから
「僕は、平気…、天明は、はやく帰って」
見つかったら、怒られてしまうよ
今にも倒れそうな状況だというのに、こうして僕のことを気遣ってくれる光月は、とても優しい心を持っている。
こんな思いやりのある人間を傷つけ、ただ血だけをもらい、家畜のように扱う叔父…いや龍家の考えがどうしても許せない
おでこにそっと手を添えれば、高熱の状態にも関わらず、無理やり笑って見せる光月。
その表情は昔、犬と駆け回っていたあの頃の表情と全く変わっていない
「僕は大丈夫、だから君はゆっくり休んでね」
そう笑いかければ、血薬が効いて来たのか光月の息遣いは平常通り安定して来た
熱も引いて、あとは大人しくしていれば明日には元気になるはずだ。
心配する子達に、休めば元気になるはずだからと声をかければ、ほっとした表情を浮かべた
あまりここに長居する訳にもいかず、起きたら食べさせてあげてと、残り物を渡しその場を後にした。
ゆっくり地下の階段を登り誰にも見つからないように、家へと向かった。
深夜、辺りは真っ暗。
月明かりに照らされた光を頼りに見慣れた風景を眺めながら歩く夜は、それは綺麗だった
ただ、やけに肌寒く冷たい風に身震いがして急いで帰ろうと急足になった時、不意に声をかけられた
「地下の人間はお前の愛玩動物にでもするのか?」
この場には決して居ないはずの声に、勢いよく振り返れば、そこに居たのは1番バレたくない龍陽炎の姿。
何を考えているのか分からない表情でこちらへ歩み寄ってくる叔父に、どう言葉を返していいのか、珍しく言葉に詰まった
龍一族 さくらもち @sakuramoci
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