小百合と修二(原案:トクメイ太郎様)

深海くじら

焼けぼっくいは火事のもと

「で、どうなのよ、さゆりんのとこは」

 向かいの席から身を乗り出したヨーコが、唐突に矛先を向けてきた。

「そろそろ二年近いよね、同棲はじめてから。しゅーじクン、だっけ、さゆりんの彼。たしか三つ年下って言ってた……」

 ふたつ、と被せ気味に訂正した私は、薄くなったハイボールのジョッキに手を伸ばした。


 大学時代から仲の良かった友だちの結婚式、その二次会。テーブルには馴染みの顔が並んでる。同じ英会話サークルで同期の四人だ。部長をやってたヨーコ、あがり症だったミク、お調子者のダイスケくん。それに、外資に入って、この日のためにわざわざ帰国してきたという出世頭のカズヤさん。

 気の置けない仲間たちとのひさびさの集まりは、ささくれ立っていた私の気持ちを柔らかく包み込んで滑らかにしてくれた。たった今放たれたヨーコのひと言までは。


「いいなあ同棲。なんか憧れるぅ。恋人同士お互い別々なのにさ、矢も楯もたまんなくなって一緒に暮らしはじめちゃう。めっちゃエモいよね。あー、あたしもいっぺんやってみたかったなあ、同棲」


 悪気が無いのはわかってる。実家暮らしのヨーコが、お隣さんの幼馴染みと高校時代からつかず離れずしてることも知ってる。でもだからって、そんな風にずかずかと他人ひとの触れてほしくないことをつついてくるって、どうなのよ?!


「勝手なこと言ってる」


 しまった。思わず口走っちゃった。

 周囲の喧騒の中、そっと視線を上げると、ヨーコが私を見つめていた。

 ヤバい。聞かれた。


「さゆりん、なんかあったの?」

 左隣から気遣う声がした。ミクだ。いつも控えめな彼女が眉根を寄せて私をのぞき込んでいる。自分たちの話で盛り上がっていたはずの男子たちも、喋るのをやめてこっちを見ていた。

 やめて。そんな顔で私を見ないで。


「もしかして、DV?」


 ヨーコの杜撰な疑問形で、私は少し落ち着いた。そう。ヨーコはいつもこうやって空回りして、問題の中心からズレたところを気にしだす。でも今は、彼女のその見当違いが私を少し冷静にさせてくれた。


「そういうんじゃないの。気にしないで。ごめんね。水差すようなこと言っちゃって」


 私は僅かに残ったジョッキを持ち上げて顔を隠した。水みたいなハイボールが喉を伝っていくあいだ、ジョッキをおろしたらさっきまでの歓談が戻ってますように、と願っていた。

 もちろんだけど、そんな魔法みたいに問屋が卸してくれたりはしない。


 結局私は、今日出がけにあった修二との喧嘩の一部始終を、この場で説明する羽目になった。

 きっかけはドレスだった。午後からの休日出勤にあわせたワイシャツ姿でトーストを齧ってる修二の前で、私は今のドレスに着替えていた。いつもなら私の恰好など気にしない修二が、今朝に限って口を出してきた。それも要らないひと言を。

 俺、そんな服着て見せられたことないよ。

 こんなぴらぴらな服、デートに来ていくわけないじゃない。そもそも遊園地や動物園みたいな中学生の交際から一歩も進化してないとこばっか連れてこうとする修二のおでかけに、ドレスなんか合うはずないよね。

 だから私も言ってやった。いや、言い返してしまった。口惜しかったらこんなのが似合うとこに連れてけるよう自分を磨いたら、って。

 そこからあとは、もう泥沼。止めてくれるひとのいない狭い部屋の中で、お互いの気に入らないところをぶつけあうばかり。挙句の果てに、既に克服してるピーマンの話まで持ち出された日には、私の堪忍袋の緒もぶち切れた。

 今夜は帰ってこないかもしれないから、と言い捨てて、私は部屋をあとにした。思いっきりドアを叩きつけて。


「でも、帰らないことはないんだよね。かもしれないって言ったくらいだし」

 そうとりなしてくれるミクの後ろから逆張りするのはヨーコ。

「そんな了見の狭いガキなんか捨てっちゃえ! 絶対さゆりんには似合わないよ。だいたいさゆりんは、あたしたちのサークルの姫だったんだから。そうだよね、カズヤ、ダイスケ!」

「たしかに。さゆりん、柳に風って風情だったから暴発こそしなかったけど、実際みんな、さゆりんのことは狙ってた。な、カズヤ。お前もそう言ってたもんな」

 私はダイスケくんの影になってるカズヤさんに目をやった。イケメンのエリートが思春期男子のように頬を染めて下を向いている。


 え? え!? そうだったの?!

 知らなかったよ。カズヤさんが私を想ってたなんて……。

 あ、でも、たしかカズヤさん、一緒に渡米した子とつきあってるって噂が。


「こいつさ、向こうでつきあいだした同僚の子に最初のひと月で捨てられてやんの。私、この国嫌いとか言って、彼女さっさと辞めちゃったんだって。だからこいつ、今も独りもん」

「やめろよダイスケ」

 むきになって止めにかかるカズヤさんを無視して、ダイスケくんが続けた。

「今日だってこいつ、さゆりんが来るからって、わざわざ長期休暇まで取って帰国してきたんだぜ」

「マジやめろ、ダイスケ! 小百合さんに迷惑だ」

「言ってたじゃん、お前! さゆりんが好きだって!」


 止まらないダイスケくんを羽交い絞めにして口を塞いだカズヤさんは、私と目を合わせてすまなそうな表情を浮かべた。

「ごめん、小百合さん。気にしないで」




 三次会に流れる雰囲気も無くなった私たちは、そのままお開きとなった。会場前の地下鉄連絡口を降りていく三人と私鉄の駅に向かって歩くふたり。私は私鉄組。


「空港の近くにホテルをとってるんだ。着替えるのに便利だったから」

 どこに対して言ってるのかわからない言い訳をして、カズヤさんは私に微笑んだ。正面に見える駅ビルの壁にディジタルの表示が光っている。

 11:40


 私とカズヤさんは拳ひとつ分だけ隙間を空けて、無言のまま歩いていた。

 駅まではあと三分。空港と私たちの部屋とは逆方向になる。時折触れ合うカズヤさんの手の甲に、どうしたって私の意識は持ってかれてしまう。SUICAの残り、いくらだっけ。そんなどうでもいいことでも考えてないと、この引力は抗えない。


 並んで改札を抜けたところで、カズヤさんは私の手を掴んだ。少し汗ばんでる、でもしっかりとした大きな右手。

 向き合って私を見つめるカズヤさんの口が動きだす。


「小百合さん、俺と」


 黒い瞳に映り込む私と目が合った私は、続きがこぼれ出す前に自由な方の手を彼の手に被せた。

 掴んでいる手をほどき、あらためてその手と繋ぎなおしたもう片方の手をぎゅっと握って、私は応えた。


「ありがとう、カズヤさん。ここまで送ってくれて。私、うちに帰るね」


 握手した手をぶんぶんと振りながら、私は続ける。


「またそのうち、みんなで会お。そのときはカズヤさん、外国むこうの話をいっぱい聞かせて。私も楽しくなるような話を用意しておくから」


 渾身込めた最高の笑顔で見つめ返す。

 ありがとう。私を好きだと言ってくれたひと。

 でも私には、還るところがあるから。


 じゃ、と言って放した手を肩まで上げた私は、踵を返して空港とは逆向きのホームを目指して踏み出した。首筋にはビームのみたいに強い視線が刺さってる。でも私はきっと大丈夫。だって私には、待っててくれてるひとがいるから。

 私は、この決断を信じる自分に今の全部を賭けた。




「ただいま」

 日付またぎにはふさわしくない大きな声でお帰りを告げたけど、返事は無かった。でも暗くはない。短い廊下の向こうには明かりのついた部屋がある。

 履いていたヒールを靴箱の所定の場所にきちんと仕舞ってから、私はゆっくり廊下を進む。ストッキングの薄い生地越しに、馴染んだフローリングの感触を確かめながら。


 リビングの扉を開けると、テーブルに突っ伏した黒い頭が見えた。少しこわい太めの髪。その手前には、覆いの掛った大きめなお皿がある。

 羽織っていたコートを私の椅子の背に架けて、そっと覆いを外してみた。

 私の一番好きなメニュー、フレンチトースト。ちゃんと粉砂糖も振ってある。それと、おかえり、とだけ書かれた白いメモが一枚。


 ボウルやフライパンが出しっぱなしのキッチンにため息をつき、それとは別の大きな安堵の吐息を吐く。テーブルを回りこんだ私は、眠りこけてる修二の髪を最高に優しい手つきで梳いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小百合と修二(原案:トクメイ太郎様) 深海くじら @bathyscaphe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ