ざまぁねぇや。

縦縞ヨリ

ざまぁねぇや。


 長年連れ添ったあの人が死んだ。

 出会ったのは二十代の半ばで、私は横浜で米兵を相手にしていた商売女だった。

 あの人と出会ったのは場末のスナックで、私が美空ひばりを歌うのを熱っぽい目で見ていた。

 私達はその日のうちに意気投合して、私は横浜、あの人は東京、互いに暇見つけてはデートを繰り返した。

 

 二年程して、あの人が結婚すると言い出した。

 私とでは無く、千葉の料理屋の娘で、大層な良いお宅に婿入りするという。縁を結んだのはあの人の妹らしく、私は絶望した。

 しかしながら、結婚した後もあの人と私が変わる事は無かった。

 そもそも、私は商売女で、あの人以外の良い人は沢山居た。たまたまあの人が結婚しただけで、お客さんには結婚してる人だって居るに決まってる。

 ついでに言えば、あの人は私以外にも何人か愛人がいて、婿入りした先の財産を遊ばせつつ、本妻との間に一姫二太郎をこさえていた。なんとも世渡り上手というか、変な所で律儀な人だった。

 あの人と私は、おかしな話だがそれから三十年も良い仲だった。私は場末のスナックのママをやりながら、たまにあの人に電話をして、たまにデートを楽しんだ。

 長い付き合いのある愛人の中でも、あの人が一番好きなのは私で、わたしが一番好きなのもあの人だった。

 

 お互い歳をとり老人に足を突っ込んだところで、ちょっと大きな転機が訪れた。

 あの人の本妻が死んだのだ。

 その頃には孫が6人も居て、本妻はあの人と、あの人の沢山の家族見送られて、旅立って行っただろう。

 そうして一年もしないうちに、あの人は私を妻に迎えたのである。

 当たり前だが息子二人と嫁いだ娘、あと息子の嫁の反発は凄まじく、しかし私はどこ吹く風で、あの人が淡々と事務手続きを済ませるのを横で見ていた。

 千葉の一等地にあった、あの人の家は売り払われ、代わりに県内のちょっと離れた所に新築の一軒家を立てた。あの人の家族はあちこちに家を借りて住むようになったらしい。

 ざまぁみろと思った。

 今まで散々私を蔑ろにした報いだ。

 私とあの人はとうとう本当に夫婦になって、その真新しい家で数年を過ごした。

 

 たまにあの人が、家族に呼ばれて戻る事があった。大抵は学校行事で、運動会なんかに呼ばれては、朝からいそいそと出かけていく。

 そうして帰ってくるとえらくしょぼくれた顔をして、でも私には何も話さなかった。いつも通りご飯を食べて、いつも通り寝るだけだった。

 そうして数日経つと、現像した写真をいそいそと引き取ってきて、酷く嬉しそうに、ヤニ下がった顔で眺めていた。

 別に私は気にしてないから見せてみろと言うと、あの人が胡座をかいた膝に、黄緑の垂れ付きの帽子を被り、おもちゃみたいな体操服を着た幼女が座って、お弁当であろういなり寿司を頬張っている写真だった。

 あの人が出ていった頃はまだ赤子だったその少女は、酷くを好きらしく、隙あらば膝を陣取り、泊まらず帰ると言ったら大泣きに泣いたらしい。

 それでもあの人はこの家に帰ってくるしか無いのだ。私はそれに酷く満足していた。

 そんな事があったのも数える程で、その2年後にあの人は亡くなった。膵臓癌で、あっという間の事だった。

 あの人の孫は六人。あの人の膝で笑っていた子は、今幼稚園生くらいだろうか。葬儀の場で、親戚の幾人かは「まるで前妻さんの生き写しだ」と驚いていた。

 愛人達も葬儀に来ていた。というか、あの人の会社で長い事働いていた愛人が三人いたのだ。給料の名目で小遣いを渡していたというところである。勿論私も知っている。

 だからどうした。本妻の椅子を勝ち取ったのは私だ。

 時代がそういう時代だったから、としか言い様が無いが、実は愛人同士で争った事も、本妻が怒って出てきたという事も、私が知る限り一度も無かった。

 愛人同士で軽く嫌味を言い合ったりはしたが、生きていた頃の本妻なんかは、それこそ「好きにしろ」とばかりにどんと構えているだけだったと、あの人が言っていた。

 葬儀も進み、孫達はあの人の冷たい頬を撫で、花で囲い、そうして泣いたりもしていた。私からしたら興味も無いが、あの人なりに家族との縁は深かったのだろう。

 私は悪くない、と叫ぶ自分が心の中に居る。

 私は喪主で、妻で、なのに明らかに葬儀の場で浮いている。まるで霞がかかったみたいに、あの人の家族が別れを惜しむのを見ていた。

「あっこちゃん、じぃじに最後にばいばいしようね」

 あの膝の上の子。その幼い子はまだ祖父が死んだという事がよく分かっていない様子で、きょとんとしていた。そうして父親に抱かれて、棺桶を覗き込んだ。手には百合の花を持たされている。

 自分の顔ほどもある花を、あの人の横に勢いよく置いた。花粉が舞ったのか、香りが濃く鼻腔をつく。色とりどりの花の中、百合は不思議とそれ一本だけだ。

「じぃじ、ばいばいね、いいこね。だいじょぶよ」

 ぺたりと頬に、小さな手が触れた。

「もう、いっぱいなかなくていいよ、だいじょぶよ」

 私は頭の奥が熱くなるのを感じた。

 私はあの人が泣くところを、一度も見た事が無い。

 あの人が私と離れ離れになる時、泣いていたのはいつも私で、あの人はそれを慰めるばかりだった。

 そうして。

 ああ、気がついてしまった。

 私の目から珍しく涙が流れた。悔しいのとも違う、悲しいのとも違う、ただ、あの人と、自分自身が、余りにも無様で哀れだったのだ。

 何がざまぁみろだ。

 棺が静かに閉じられる。

 もうあの人は骨になって、そうして私の所には、二度と帰らないだろう。

「ばいばい、じぃじ」

 あの人が一番愛していたのは、私でも愛人達でもなく、ただ前妻の姿を色濃く残した、この小さな少女だったのだから。



 

 

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