騙した女、切捨てる男

403μぐらむ

(短編)

 ゴミ箱から溢れ出るほどのティッシュの山と床に落ちる封の破かれたコンドームのパッケージがいくつか。


 俺は目の前で起きていることに自分でも意外なほど落胆の感情を抱くことがなかった。

 寧ろこの光景が想定していた通りだったせいなのか、俺は非常に冷静に事の次第をすべて記録するところまで遅滞なく遂行できている。




 始まりは今から3ヶ月ほど前、恋人の寧々ねねが俺の嗅いだことのないコロンを身につけていたところだった。


「どうしたんだ、それ」

「……うん、デパートで見つけていいかなって思って。へんかな?」

「いいんじゃね、そういうのも」


 シトラスのような柑橘系をベースにしてスパイシーな香りを複雑に混ぜたようなユニセックスなコロン。

 寧々が普段から好むような甘ったるい芳香とはまた違った向きに若干の違和感を覚えたことを記憶している。



「出ねぇな」


 またとある日、寧々に電話をかけるが、電源が切れている云々のアナウンスしかレスがない。

 現在22時。寧々のバイトは20時まだだったはずなので、今は自宅にいる頃だろうにスマホの電源が切りっぱなしとは。


 俺は寧々と違いSNSを基本やっていない。たまに眺めるのと仕事で仕方無しに連絡手段として指定されているときだけアプリを立ち上げている程度だ。

 即応性が必要ならば電話のほうが手っ取り早いし、文字による勘違いも生みにくいというのが表向きの理由。

 ほんとうの理由は『あんなものに振り回されるのはまっぴらごめん』ってところなのだけど。



 ここ数週は、予定が合わなかったり突然の予定キャンセルなどが繰り返されていたりした。すべて一方的に寧々の方からの申し出だったが。

 まだ大学生の寧々と既に社会に出ている俺とは時間の使い方も流れ方も違うのは理解している。

 だからお互いに融通したり妥協したりしてうまいことやってきた。

 そこにほころびが出てきたということなのだろうか。



「ごめん、そういうんじゃないんだ。ちょっと大学の方のゼミとか必修単位とかが忙しくって。それにっ、ほら、時期的に夏休みも近いからバイトの方もイレギュラーが多くって」


 時間が合わせられないなら無理はしなくていいと俺から言ってやると、寧々は否定しながらも言い訳のような説明を長々とする。

 俺も過去には大学に通っていたし、3年生というのが就職を見据えたり専門教科が増えたりして忙しくなる時期であることくらいは認識としてあるのでそこを責めるようなつもりは元より無い。


「そこは分かっているから気にしなくていい。ただこの前は夜なら声ぐらいは聞けるだろうと思っただけだから」

「ごめんね。バイトのときスマホの電源落としておいたらそのまま忘れちゃった」


 その日の22時7分にとあるカフェの映えるケーキとかいう写真をSNSへ投稿しているのを知っていたが言わないでおこう。



 お互いに一人暮らしなので部屋を行き来することが以前には何度もあった。ともに相手の部屋の合鍵も渡し合っていたくらいだ。

 とはいえ恋人同士と言っても他人には違いないのでいきなり尋ねていくことはまずしたことがない。

 俺には疚しいところなど何処にもないのでいつでも勝手に部屋に入ってもらっても構わないと彼女には伝えてあり寧々も実際数度だけ押しかけてきたことがある。寧々も同じようにいつでも来てくれとは言っていたが俺は未だ無連絡の訪問はしたことがなかった。

 しかしそもそも自宅同士がそれなりに離れているのでどちらかに泊まるようなことがなければ互いの部屋に行くこと自体が稀なのだ。

 だから相手が自宅で何をやっているかなんて知る由は無かったし、俺も気にしてこなかった。




 そんな折、デスクで仕事をしていると係長に呼び出される。


「お疲れ様、伊藤くん。一所懸命仕事に邁進してくれるのは有り難いんだど、有給休暇の取得状況が芳しくないんだよね」


 最低でも年次有給休暇はその年度に5日は取得しないと会社が法によって処罰されるらしい。


「急だけどね、明日あさっての二日間、伊藤くんは有給とって。残りは来月と再来月で消化してもらうから。よろしくね」


 特に仕事人間というわけではなかったが、入社2年目ということで少し気張りすぎたのかもしれない。




「暇だな……どうするか?」


 休みの使い方に思案を巡らせたがあまりいい案が思い浮かばなかった。

 そんなときにちょっとした悪戯心が湧いた。ちょっとした確認、答え合わせのようなものかもしれない。



 休みの日でも同じ様な時間に目が覚めるので、そのまま普段通りに身支度を整える。ただし今日はスーツではなく普段着。初夏ということもあって麻のシャツにチノパンという格好で出かける。

 満員電車が終わるころ電車に乗り、自宅最寄りより十数駅離れた駅に降り立つ。ここからは徒歩で7~8分だ。

 白壁の瀟洒なマンションの203号室が寧々の自宅だ。ここに来るのも半年ぶりくらいになる。


 合鍵で玄関の鍵を開ける。在宅時はドアチェーンを掛けておくように言っていたのに相変わらずこういうところはズボラだと呆れる。

 なんとなくまだ寝ているかもしれないと思い静かにドアを開けて中に入った。


 たたきには俺が寧々にプレゼントした桃色のパンプスと薄汚れたサイズのでかい黒色スニーカー。


 それをみたときなんとなくすとんっと腑に落ちた感覚があった。

 好みの違うコロン。繋がらない電話。合わない予定。数々の言い訳……。


 ただの点だったものが次々と線となって目の前に現れる。こんなことは思ってもみなかった――――などということはなく、だいたい察しはついていた。予想通りとも言うべきか。


 だから寧々も知らない不意の休みにこの部屋を訪れようと考えたのだ。たとえ収穫がなくてもただの悪戯といえばそれまでのこと。



 スマホを取り出してカメラを起動し動画を撮り始める。アプリもたいしてインストールしていないから容量はたっぷりと余っている。


 1LDKのリビングを越えて寝室にたどり着く。俺はなんの躊躇もなくその扉を開けた。

 ベッドの上には真っ白なタオルケットに包まれ、抱きつきながら寝息を立てている男女がいる。


「(思いの外なんの感情も浮かんでこないもんだな)」


 勢いよくタオルケットを剥ぎ取る。俺に背を向けていた女、寧々が最初に俺に気づいた。


「っ!? なっ、あっ、あっ……」

「よっ」


 軽く挨拶ののちカメラをズームにして寧々のアホ面を記録する。


「うーん、うるさいなぁ……って! だ、だ、だっ、誰だっ!」


 間男くんが飛び起きるが、自分が真っ裸なことに気づいてすぐにしゃがむ。で、凄い目で睨んでくる。


「おー、怖いこわい。寧々、そっちの兄ちゃんが俺のこと誰だって聞いているぞ。教えてやったらどうだ?」


 寧々が真っ青な顔してコクコクと頷く。


「ぁ、あのね……こちらの方は、伊藤敬之よしゆきさん……ええと……わたしの……か、彼氏です」


 間男は顔を赤くしたり青くしたり、最後には真っ白にして土下座を始める。


「あのねっ、よしくんっ。違うの、これは――」

「何がどう違うのか知らないけど、まずは服でも着たら? 朝からそんなモン見せられても萎えるんだけど」


 2ヶ月ぶりくらいにみた寧々の素肌には間男に咲かされたのか赤い花がアチラコチラに散っていた。


 聞く耳を持つつもりは毛頭ないが、一応申開きぐらいは聞いても罰は当たるまい。


「ごめんなさい、よしくん。あのね、わたしとっても寂しくて――」


 浮気する女はみんなこう言うもんと勝手が決まっているのだろうか。

 寂しいだの、心の隙間がどうしただの、魔が差しただの。最後には強引に誘われて断りきれなかったという聞くだけ無駄な話をつらつらと述べるだけ。


「ふーん。それじゃ間男くんが全部悪いってことでいいの? 制裁として寧々の顔にだけぼかし入れてコレ、ネットに放流してもいいよね?」


 さっき撮った裸で寝ている動画を見せてやる。


「そんなっ! 誘ってきたのは寧々の方だぜっ。俺はそれに乗っただけで。それにあんたとはもう別れるって聞いてたし」


「だってよ、寧々。どうする? どうせならふたりともぼかし無しでネットに投下しておくか。そうだな、手間無いしそれがいいな」


 俺のその言葉にいよいよ寧々も間男も号泣し始めた。二十歳も過ぎた男女がオイオイと泣く姿はなんともみっともない。もちろん録画はしているが。


「あはは、嘘うそ。そんなことやらないから。まぁデータだけはいつでもばら撒けるように保存しておくかもしれないけどな」


 俺は仕事用のLINE以外に他のSNSのアカウント持ってないし、いまからこのクソ動画を流すためだけにアカウントを作る予定も暇もない。

 こんなものただの余興。俺自身の憂さ晴らしのようなもの。だからデータも本当は要らない。


「じゃ、俺は帰るから。あとはあんたらに任せるわ。二人が付き合うんでも、朝から突き合うんでもお好きにどうぞ。では、お邪魔しました。おっと、合鍵は返してもらうぞ」


 追いすがってくる二人を引き剥がして帰宅の途に付く。

 時計を見るとまだ11時前。


「暇潰しにもならなかったな」



 駅に向かいながらLINEに書き込む。


『今日は定時上がりですか? よかったら飲みに行きませんか』


 すぐに既読がつきレスが返ってくる。


『なーに? 彼女にでもふられたの』

『似たようなもんだったりですね』


『本当に!? じゃ、あたしにもチャンス到来だったりする?』

『今なら傷心男のココロのスキマ、空いています』


『ゼッタイに定時上がりする! 駅前のカフェで待ち合わせねっ』

『おっけ。待ってます』


 LINEの送り先の彼女は佐伯智惠。俺の会社の同僚で1コ上の先輩。俺のことやけに気にいってくれたようで「あんたの隣はあたしがリザーブしておくから、その女と別れたら必ず声かけてよね」と前々から言われていた。


「所詮はその程度の女ってことだったな。ガキの遊びには付き合っていられないってね」


 さて、今夜は来客を迎える事になりそうだ。とっとと帰って部屋の掃除でもしておかないとな。

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