普通になれたら

@nekonkimagure

第一章 南 蓮

普通になれたら


姫香ちゃんはとても優しい少女でした。

姫香ちゃんはとても可愛い容姿の持ち主でした。

姫香ちゃんのお家は裕福でした。

姫香ちゃんは人の気持ちを沢山考える少女でした。


姫香ちゃんは人を殺しました。


姫香ちゃんは本当に優しい人間だったのでしょうか。



彼女が何故奇行に走ったのか。世間では様々な議論がされた。


2021年2月15日の早朝に東京都歌舞伎町路上で起きた殺傷事件の疑いで、25歳の女を殺人未遂の疑いで逮捕しました。


逮捕されたのは東京都練馬区在住の職業不詳、南 姫香(25)容疑者です。警察によりますと南容疑者は2月15日午前6時03分頃、歌舞伎町路上で歩いていた交際相手の男性を刺し殺害しようとした疑いです。また新宿区で起きた夫婦の殺害事件の関連もあるとして警察は捜査を進めています。


『彼氏殺そうとして、2人殺してる?イカれてる。』

『彼氏と殺された女が不倫関係だったとか?』

『現場居合わせたけど女目がいってたし、笑ってた。』

『子供もいたとか。トラウマなるだろ。』

『障害持ってたらしいよ‪‪‪w‪w‪w社会のゴミ‪‪‪w‪w‪w』

『タヒね‪‪‪w‪w‪w』


第一章 南 蓮


2023年 10月 谷山謙介(記者)


店内は珈琲の香りで充満している。煙草を吸い吐き出す。チャリンチャリンと音がすると高校の同級生の南 蓮が店内に入ってきた。俺は立ち上がり「こっち」と声をかけ、手で招く。蓮は気づき、少し思い詰めた表情でこちらへやって来た。

「よお、元気か?」

俺が問いかけると蓮は少しバツの悪そうな顔を見せる。

「元気ではないかな…」

そりゃそうだ。今日呼び出されたのも'あの事件'についてなんだから。

「仕事はどうだ?研修生なってから1年だろ?」

蓮は高校時代の友人。同級生の中でもかなり優秀で、去年国家試験に合格し、病院に研修生として務めている。

「まぁぼちぼちかな。大変だけどな。」

蓮は休日なんだろうが疲れている様子だった。

「それで早速本題なんだけど、姫香さんについて」

今日呼び出されたのは2年前に起きた蓮の姉、姫香さんについての話だ。2年前に姫香さんは自分の交際相手を殺害未遂、そして友人夫婦を殺害した。当時テレビやネット記事などで取り上げられ、世間を騒がせた事件だ。名前は南姫香25歳。姫香さんは逮捕後自分が容疑を認めた。だが動機については操作上表面のことだけで頑なに語らなかった。現在も被害者との裁判は続いているらしい。俺も外部生として入った高校で蓮と仲良くなり、家にお邪魔した時に会ったことがある。とても感じのいい人物だった印象があった。

「姉さんのあの事件、世間は解決したと思ってる。でも…俺は納得いってないんだ。」

「納得?」

蓮は注文を受けに来た定員に同じのをと俺と同じコーヒーを頼んだ。

「姉さんは殺害をしたのは認めてる。だけど姉さんがただの憂さ晴らしにどうしても人を殺すとは思えないんだ。」

蓮が煙草に火をつける。深く煙をため息混じりに吐き出した。

「姉さんは優しい人だったんだよ。」


2011年 7月 南 蓮 当時14歳(研修生)


俺の家族は他人の家より裕福だった。父はクリニックを営んでいて、姉さんと俺は中学受験をした。


中学2年、俺は小さないじめに遭っていた。


強い痛みが後頭部を走った。

後頭部を抑え後ろを振り向くとニヤニヤと笑っている部員達がいた。

「後頭部当てたやつナイスシュート!」

同じ部活でもありクラスメイトの佐伯幸太郎が声を上げた。

きっかけは些細なことだった。佐伯の好きな奴が俺の隣の席だった事だった。嫉妬だ。

俺は何も言わずその場を立ち去った。

「おい!逃げんのかよ!」

「情けねえー」


ガリガリガリガリガリガリ

俺は力を入れ机の引き出しの中に文字を書いていた。

『俺は出来損ない』

『死んじゃえばいい』

そんなようなことを書き続けた。

佐伯達も憎かった。入学して仲が良かったのに。でもそれ以上に自分が何も出来ないのが憎かった。何か一言でも言えればいいのに、弱い自分が憎かった。中学受験の時からこの机の引き出しの中が俺のはけ口だった。

ガチャ

音がして隠そうとしたが遅かった。

制服姿の姉さんが部屋に入ってきた。

姉さんは少し不思議そうな顔をして、引き出しの中を覗き込んだ。気みが悪られると思ったが姉さんは優しく笑った。

「なんかあった?話してみなよ。」


俺は中学であった話をした。

「そっか…人間関係って難しいよね。私もそうだもん。」

そう口にすると姉さんは俺の肩に手を置いた。

「でも小さくても蓮がいじめと思うならいじめだし、辛いと思えば辛いんだよ。」

優しいその言葉に、俺の目からポロポロと涙が流れ落ちた。 我慢していたものだった。

そんな俺の頭を姉さんは黙って撫でてくれた。


クスクスと笑う佐伯達。佐伯達の目線の先には、俺の机に置かれたボロボロのシューズだった。家族から貰ったものだった。怒りがフツフツと沸き上がる。

「おい、南〜!シューズお洒落にしてやったぞ〜!」

「お洒落ってかボロボロだろ‪‪‪笑」

「やめとけって‪‪‪笑」


「だっせー…」

俺は気づけばそんな言葉を口にしていた。佐伯達の戸惑う声が聞こえる。教室もざわついた。

「そんなことしないと行けないくらい好きなやつに嫌われてんだな笑」

そう言葉にすると頬に強い衝撃を感じ、そのまま後ろに倒れ込んだ。机が倒れ、筆箱や教科書が落ちる。見上げると佐伯が息を荒くし、真っ赤な顔をして立っていた。

悲鳴が聞こえるのと同時に俺は佐伯に倒れかかった。そして手元にあったシャーペンで佐伯の腕を刺した。

「うわぁぁ、痛えぇー!」


学校に呼び出された。両親は俺に怒り、佐伯の両親に謝り倒していた。俺は短期の停学処分となった。


「蓮、入るよ。」

ドアの向こうから姉さんの声が聞こえた。俺は返事をしなかったが、姉さんは部屋に入ってきた。俺は身体を布団で覆いかぶせた。

「聞いたよ、クラスの子殴ったって。」

姉さんは椅子に腰をかける。俺は背を向ける。姉さんも俺の事を怒るのか。虐められていたのは俺なのに。

「蓮!」

布団を勢いよく剥がされる。怖い。

「ざまぁみろだね!ナイスじゃん!」

姉さんはグッとポーズをして笑った。俺はポカンと口を開ける。怒ると思ったのに。

「何で…」

俺が言いかけると、姉さんは俺の髪をクシャクシャとした。

「何するん…」

「殴ったのは良くなかったかもだけど、蓮は自分の言葉を心に閉じ込めないで、ちゃんと言えたんでしょ?偉いよ。」

姉さんの言葉はいつも俺の救いだった。


避けられることも多かったが、理解してくれる友人もでき、俺は学校にも馴染めるようになっていった。数年後姉さんが家を出ていく出来事があった。


2013年 8月 南 蓮 当時16歳(研修生)


その日は塾の帰りだった。塾が終わりスマホの電源を付けると母から数件の着信が入っていた。すぐにスマホの液晶画面をタップし、電話をかけ直す。電話に出た母の息は荒れていた。姉さんが救急搬送した電話だった。俺の全身から汗が吹き出し、その場から全力疾走で駆け抜けた。


バチン

病室に入って一番最初に目に入ったのは父が姉さんをビンタする姿だった。姉さんは泣いていた。姉さんの頭には包帯が巻かれていて、顔にも痣ができていた。

「パパ!姫香頭と顔も怪我してるのよ!」

母がすぐさま父を止めるが、父は母の腕を払った。父はよく怒る人だった。だけど、こんな時まで怒る理由が分からなかった。

「蓮の大事な時期なんだぞ!刺激するな!人様に迷惑かけて、何でお前は…」

「何で俺の話が出るの?」

俺はすぐ止めに入った。父と母は俺を見て、気まづそうな顔をした。

「ほら、パパ?外出て頭冷やしましょう。」

母が父の背中を摩り、外に出ていく。俺と姉さんとの2人きりになった。

姉さんは声もあげずただ泣いていた。

「姉さん…何があったの?」

俺が声を掛けると姉さんはこちらを向いて、涙を流したまま微笑んだ。

「彼氏のね、浮気現場目撃してね、それで、問い詰めたら殴られちゃった。路上だったから警察と救急車呼ばれちゃってね、参ったなぁ…」

姉さんはへへと笑った。何で笑うんだ。何で辛いはずなのに笑うんだ。俺は姉さんの頬を両手で掴んだ。姉さんの涙が冷たくて、俺の手に伝わった。

「姉さん、自分の言葉を心に閉じ込めてない?あの時俺が話したみたいに姉さんも俺に話してよ。」

姉さんの笑顔が歪み、唇を噛み締めてるように見えた。話してくれると思った。姉さんは俺の両手を掴んで強く握った。

「私は…大丈夫だよ。蓮、医学部目指すんでしょ?勉強頑張ってね。」

姉さんはまた微笑んだ。姉さんの目には涙が溜まっていた。


それから姉さんは家を出ていった。ちゃんと話したかった。話を聞きたかった。年に一度年末には帰ってきた。姉さんの口数は減っていた。だけど姉さんは帰り際いつも俺に『頑張ってね。』とただ微笑んで言ってくれた。姉さんの話も聞きたかった。大学3年生になる頃には勉強や実習が忙しくなり、家に帰ることが出来なくなっていた。それから姉さんには会っていない。会わなくなってから2年後、姉さんはあの事件を起こした。だけど俺の中では最後まで優しい姉さんだった。


2023年 10月 谷山 謙介(記者)


「だから姉さんがあの事件を起こした理由が知りたいんだ。姉さんは怒りだけで人を殺すような人間じゃない。何か理由がある。」

蓮は真剣な顔でそう言った。彼女が18歳の時に起きた彼氏による暴行。その出来事が彼女は家を出た。空白の7年間。彼女の身に何があったのか。

俺は記者を始めて数年、まだはっきりとした成果を挙げられていない。まだ解明されきれてないこの事件。調べやすい環境。俺にとっては好都合だった。

「乗った」

俺が返答すると、蓮は安堵した表情を見せた。

「それでこの後、姉さんの面会に行くんだ。着いてこない?」

空になったコップが寂しげにこちらを向いてるように感じた。


「入りなさい」

警官の声が聞こえ顔を上げると、数年ぶりに見る蓮の姉、姫香さんの姿があった。姫香さんは顔も身体も痩せこけていた。目の下にクマもできていた。

「蓮、来てくれたんだ。そちらはお友達…?」

「元気?また痩せたんじゃない?あ、こっちは高校の時の友達。ほら、家に来たことある、謙介。」

姫香さんは高校時代みた姿と何も変わらなかった。優しい声。優しい表情。

「谷山謙介です。」

軽く頭を下げ、頭を上げると姫香さんは優しく微笑んで、「覚えてるよ、久しぶりだね」と言った。

「あれから記者になったんです。それで、その事件について、姫香さんに何があったか、お伺いしたいんです。」

俺がそう言うと、姫香さんは俯いて、数秒そのまま動きを止めた。と思ったら顔を上げ、また微笑んだ。

「今まで話した通りだよ。それ以上でも以下でもないよ。」

何だかずっと同じ表情で気持ち悪いと思った。まるで無理矢理作っているような。

「でも、蓮に…調べて欲しいって頼まれたんです。それに俺自身も興味が沸いたんです。だから…」

言いかけるとガタッと大きな音が響いて、気づくと姫香さんは耳を塞いだ状態で床にしゃがんでいた。息が上がっている声が聞こえた。

「はぁっ…ヴぁっ…」

「姉さん!」

蓮が声を上げ、立ち上がると警官も立ち上がって姫香さんに駆け寄る。

「私はただ…」

「え?」

姫香さんが何かを言いかけた。続きは聞き取れなかった。

「本日はお帰りください。」

警官に連れられ姫香さんは外に出ていく。

「姫香さん!」

俺は叫んだが、その声は扉の音に遮られてしまった。


「ごめんな、お前の姉貴なんか発作起こしちゃって…」

帰り道。俺は蓮に謝罪したが蓮は首を振った。

その表情は心配を表していた。

「よくあるんだ、事件の話をすると、なにも話せないみたいなんだ。」

発作…過呼吸だろうか。以前先輩の取材に同行した際、同じ症状を起こした女性がいた。

「ありがとな、取材してくれることにしてくれて、感謝してる。」

やるよ、と言って蓮が煙草を1本差し出す。俺は、さんきゅ、と言い煙草を引き抜いた。

「また連絡する。またな。」

分かれ道で俺は煙草を口にくわえ、手を軽く振った。煙草の煙が真実を隠すように浮かんだ。

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