ランナーズHIGH!!!

千田美咲

一瞬の出来事だった。

 コーナーを右折した大型トラックがスーパーマーケットの手前で止まった。トラックのライトが消えると、コンテナから重装備のスタッフが路上にあふれ出した。

 スタッフたちは無駄のない動きで、ヴァーチャル・リアル・ハーフ&ハーフのきらびやかな会場を設営した。この前時代的な装飾はミーハーで飽きっぽい観客のための演出だった。むろん選手にとってはどうでもいいものだった。

 設営から五分がたったとき、しだいに噂を聞きつけたやつやら、ここらへんにドローンを飛ばしているやつやら、監視カメラから会場を割り出したハッカーやらが集まった。

 スーパーの店長は涙を流してその光景を眺めていた。店のまえで競技がおこなわれるということは、そっくりそのまま競合他社との差別化につながるからだ。有名選手がス―パーの商品をひとつでも買ってくればなおさらいい。

 到着してから八分。設営が完了した。このときにはすでに会場は観客でごった返していた。ゲリラで会場を設営するのにはそれなりの理由がある。こうでもしないと観客が無制限に押しよせて、多量の圧死者を出してしまうからだ。このゲリラ設営が確立されるまえの時代だと、一度の大会で数十人の死者が出るのは当たり前だった。

 ブザー音が鳴り、会場に球状のフィルターが張られた。つづいて、フィルター内の観客の脳内に埋めこまれたMJ菱カードから、四五〇クレジットが引き落とされた。両眼をVアイに取りかえた連中には、あまたの人間の頭から「¥」のマークが天に向かって打ち上げられているように見えた。クレジットが引き落とされるときの特別な決済音に、観客たちは狂喜乱舞した。

 ステージ上には赤と青の古風な二〇年式ゲーミングチェアが二対置かれていて、そのあいだにひとりのひょろ長いスーツ姿の男が立っていた。

「ようこそ。今日もハデハデなみなさん。二か月ぶりの『ワンライン』の時間です。二か月も待たせやがって、だって? まあまあ、そう怒んなさんな。こっちだっていろいろ大変なんだから」

 と、ここで怒りたかぶった観客が拳銃を発砲して、男の胸と右手首に命中した。そのまわりにいた観客数人の鼓膜が破れた。男はもげてしまった右手をひろい上げると、やれやれっといたようすでこめかみを掻いた。

「あーあ、また修理費がかさんじゃうよ。わたしがアンドロイドだからってなんでもしていいわけじゃないんですよ。このぶんはあなたたちのクレジットから引いときますからね。では、わたしがベラベラしゃべってもしかたがないので、さっそく入場していただきましょう。まずは、青コーナー、NINE FOUR!」

 アンドロイドが名前を叫ぶと、ハーフ&ハーフのスモッグの背後から、長髪の美青年が、芝居がかった歩き方で登場した。この演出をゴーグルなしで見てみたいという連中のせいで、Ⅴアイの埋め込み手術の予約が三年先まで埋まっているのは、いまではだれもが知っている話である。

 NINE FOURと呼ばれた青年は髪をなでつけると、観客に向かってウインクをよこした。観客席は男女問わず電撃的に熱狂した。

「二か月ぶりでアタマがすっかりなまっちゃったよ。さあて、今度はどんなデキソコナイがくるのかねえ」

 こういった言葉遣いが、NINE FOURにNINESという熱狂的なファンがついている要因のひとつだった。しかし、それ以上にこの男を人気者たらしめていたのが、この五五六九内線一式というスポーツにおける無敵ともいえるほどの強さであった。NINE FOURというプレイヤーネームがこの界隈に登録されてから、一か月足らずで五五六九というスポーツは、彼とそれ以外とでわかれるようになった。

 もともとドーピングあり改造ありのスポーツで、NINEはクリーンな選手としてすぐに頭角を現した。それがまた人気を底上げした。そして、NINEの悪癖ともいえる「狩り」がはじまったのである。それこそが、この大会が二か月ぶりに開かれる理由であった。

 むずかしい話ではない。NINEと対戦した相手は、かならず泡をふいて死亡するのである。そのため、大会の運営は、そうなんどもなんども、将来有望な選手をNINEにぶつけていては五五六九のプロ選手そのものが絶滅しかねないと考え、本来一週間ごとにおこなっていた公式大会を二か月にし、さらにはNINEが出場する大会とはべつに、NINE以外の選手のためのこまごまとした大会を開催することになった。運営はNINEの存在をあまり面白くは思っていなかったが、この男の大会はいかんせん人気があり、そこで得られる利益は莫大なものであった。NINEの対戦相手は運営から差し出された生贄にほかならなかった。

 五五六九内線一式は、またの名を思考走という。どれだけ速く思考をゴールまでとどかせるかという単純明快な究極のスポーツだ。用意されたメイズと呼ばれるキューブ型の構造物の中心部分に思考をとばすだけ。勝負は長くて三十秒でついた。

 アンドロイドはハンカチで額をぬぐうと、口元にマイクをゆっくり近づけた。

「では、赤コーナーの選手に登場してもらいましょう。あの男ですよ、あの男。健吾A!」

 赤い煙が上がり、その背後から肩幅の広い日焼けをした笑顔の男性が、拳を突き上げながら登場した。健吾Aは自分が生贄だということを重々承知していた。それでも、一生食うに困らないクレジットが家族へ送られるのを条件として出されたとき、彼にはそれをことわるという選択肢はなかった。

「ああ、君かあ。最近落ち目だったのは知ってるよ。ひどいいわれようだったよねえ。みんなヒトの心がないんだろうな。で、ここに来たってことは……用済みってわけだ。あいつらもひどいことをするよね」

 NINEの言葉に黄色い声援が上がった。狂信的なNINESがクレジットを空中にばらまく。健吾Aの両手はかたくにぎられ小刻みにふるえていた。

「うるさいだまれ。今度こそブッたおしてやる」

「おいおいおい、今度こそって……ぼくと対戦したこともないくせに大口叩くなよお。あーあ、ひさしぶりにおんなじクリーン同士でやり合えると思っていたのになんか期待外れだなあ」

「さっさとはじめるぞ」

「はいはい、やりますよやりますよ」

 二人はゲーミングチェアに歩いていった。NINEは相変わらず気だるげにポケットに両手を突っ込みながら、ぼんやりと観客を眺めていた。

 そのときであった。

 フィルターをやぶって何者かが侵入した。

 それから二秒もたたない間に、NINEの眼前で健吾Aの顔がひしゃげて、そのまま身体ごと観客のなかに吹っ飛ばされた。NINEはにやりと笑った。予定になかった事態にアンドロイドはバグってあたふたしたものの、なんとかアドリブで続けた。

「ここで、予想だにしないことが起こりました。テロです、テテロ。観客のみなさんは早急に避難してください。わつぃはもう知りませんんいにに、に」

 観客は健吾Aのまわりから離れた。なにが起こったのか理解が追いついていない健吾Aは、ついさっきまで自分がいたはずのステージを見やった。ステージ上に機械まみれの人間が立っていた。これまでサイボーグが幾人も出場してきたこの五五六九であったが、この男か女かもわからないやつは、その連中と比べても改造のレベルが度を越していた。とくに、その頭部は、生きているのが不思議なくらいに人間としての特徴がそこなわれていた。そいつは脳天のスピーカーから低い電子音を発した。

「おれとやるぞ」

「おい。なんだおまえ。これじゃ対戦できな、いじゃないか。お、れの家族はどうな」と血まみれの健吾Aが引きつった声を出したところで、サイボーグは電子音で遮った。

「知らんな」

 即答だった。

 NINEは虫けらを見るような眼を健吾Aに向けた。

「ぼくも知らない、さあ、やり合おうじゃないか」

 司会のアンドロイドはバグりきり、うつ伏せになって痙攣していた。NINEはその手からマイクを奪い取った。

「じゃあ、ここからはぼくが司会をやろう。あんた、名はなんていうんだ」

「WHOでいい」

 一〇数秒の沈黙があった。

「WHOか、よろしく。じゃあはじめよう」

 NINEはゲーミングチェアに腰を下ろした。

「座らないのかい。たしかにその図体だったら厳しいかもしれないけど」

「おれはこのままでいい。そんなものに座らなくてもメイズにはつなげられる」

 WHOは腕を組み仁王立ちしていた。

「あっそ」

 NINEは目を閉じてメイズと接続した。

 二人の準備がととのったところで暴動寸前にまでなっていた観客が静まった。そのとき声を上げていたのは、苦痛に身体をくねらせる健吾Aだけだった。それからNINEは自信たっぷりの声で、

「さあ、みんな、司会のあいつがぶっ倒れちゃったからさあ、最高のカウントダウンをやってくれよ」と観客に呼びかけた。すると、まずNINESから声があがり、カウントが進んでいくごとに観客の声がそれに足されていった。ヤクでハイになった連中がハデにジャンプしながら声を出すものだから、一〇を切るときにはそれはもう軽い地震が起きるまでになっていた。

「一〇」「九」「八」「七」「六」「五」「四」「三」「二」「一」


「ゼロ」……狂乱。鼓膜の破裂。


 一〇秒たったところでNINEがうめいた。

「おまえ、し、んだんじゃなか」


 一三秒あたりでNINEは泡をふいた。NINESは舌を噛み切った。

「ま、だ根にもっているのけあ」


 一七秒。突然NINEの眼がカッと開いた。

「あれはぼ、くの女だ。もう死んだ。もう、なにもいみのないに……」


 二〇秒、NINE FOURは死んだ。

「……」


 阿鼻叫喚のなか、WHOはおびえたスタッフが持つトロフィーに向かって歩いていった。スタッフはふるえながらトロフィーを手渡した。

 低い電子音がやさしく笑った。

 その直後、WHOの頭は爆散した。限界だったらしい。

 NINEの死体のまわりにファンたちがかけよった。WHOのために泣く者はだれもいなかった。

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