クラスメイトと金魚
真花
クラスメイトと金魚
金魚を飼おう。天啓に打たれた俺は日曜日の腑抜けた電車に乗って街に出た。
ペットショップには動物と魚がいた。値段の大小に、ここでは命の価値は平等ではないのだな、お前は安い命であいつは高い命で、と皮肉な気持ちになっていたら声をかけられた。
「何かお探しですか?」
振り向けば笑顔の店員。その胸には「
「お客様?」
店員が咎めるでもなく、心配を中心に据えた声をくれた。俺はペットショップに還る。水槽のポコポコした音と、生臭さが溶けたような水の生き物の匂い、俺は首を軽く振って、リアリティを取り戻そうとする。
「ああ、すいません。金魚を探していまして」
店員は安心したような顔をして俺を、種々の金魚が泳ぐ水槽達の前に先導した。染井さんは俺のことをカワちゃんと呼んだ。最初からそう呼ばれていたような気がする。だがきっと最初は
俺は水槽の中の金魚をずっと見詰めていた。その視線に心はなく、染井さんを見ていた。店員はいつの間にかいなくなっていた。マイペースで、ペースを乱されたくない客だと判断したのだろう。僕は隣のデメキンの水槽に目をやる。
染井さんは卒業前に離婚をしたと噂で聞いた。本人に確かめた訳ではない。だからその理由も知らないし、苗字が変わったのかどうかも分からない。いずれにせよそれで染井さんが終わる訳ではない。だがもし苗字が変わったなら、俺は染井さんが染井さんと呼ばれた最後の時代を共有した一人となる。吉野もそうだし、吉野の方が濃厚に共有している。もちろん噂は離婚の理由を吉野に当てていたが、それこそただの噂だろう。俺達はそして社会に放たれた。それから十年、一度も染井さんと会っていない。
一匹だけはぐれたデメキンがいて、そいつを買おうかと思ったが、自分の中に金魚を受け入れるスペースがもうないことを自覚して、やめた。俺は店を出て、携帯を開く。染井さんの連絡先があった。画面に目を凝らして、深く息を吸って、ゆっくり吐き出した。ここには十年以上押されなかった染井さんの電話番号が表示されている。かけて、何になるのだろうか。俺達は必要がなければ関わらない程度の仲だった。そもそも電話で話したことなどあっただろうか。俺は携帯をポケットにしまう。街は人が行き交ってほんのりざわめいている。水槽の中もこんな感じなのだろうか。だとしたら俺達は別の水槽に移された二匹で、ただ生きているだけでは交わることはもうない。
……思い出したから必要、でいいんじゃないのか。俺は携帯を出して、もう一度画面をじっと見た後で、電話を鳴らす。
コール音が鳴った。街が俺の視界から聴覚から消える。
「もしもし」
出た。この声は染井さんだ。俺は少し黙ってから、返事をする。
「染井さん?」
「カワちゃん。久しぶり。……どうしたの?」
「いや、特に理由はなくて、何となく」
「そう。話せて嬉しいわ。最近どうしてる?」
「普通に仕事。結婚はしてない」
「私も働いているよ。再婚して子供産んだ」
「そっか。元気?」
「元気元気。カワちゃんは?」
「元気だよ」
そこで言葉の応酬はぴたりと止まって、沈黙が徐々に重くなっていく。俺はそれに完全に閉ざされる前に、口を開く。
「うん。本当に特に用はないんだ。……じゃあ、また」
「うん。またね」
切れた電話を俺はしばらく見ていた。そう言えば金魚を買いに来たのだった。俺は踵を返してペットショップに再入店する。さっきの染井と言う名の店員が僕を認めたが、話しかけては来ない。俺はデメキンを見て、一匹買って帰ることにした。そのデメキンは俺に買われることによって新しい水槽に移されるのだ。それでもいつでも連絡を取りたければ他のデメキンとすればいい。だがもうきっと取らない。
(了)
クラスメイトと金魚 真花 @kawapsyc
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