6月29日

 地元にある蕎麦屋。いつからあるのか、気づけば出来ていて、いつも人が並んでいる。


 俺は並んでまで食べたいものなんかないと思っている。並んでる時間があるなら何か別の有意義なことに活かせるだろうと思っている。思っているだけで無為に過ごすことが専らのどうしようもない生活を送っているがポリシーは大事だ。


 そんなわけで一度も入ったことのない蕎麦屋に来た。来てしまったというべきか。同行者がいた。俺ももういい大人なのでポリシーを他人に強要しない程度のわきまえがある。本音で言えば、文句を言った手前に代案を用意するのがなにより苦痛で仕方ないだけだとは口が裂けても言わない。

 なので並んだ。すっかり夏だ。日差しが殺しにやってくる。前にまだ8組とある。


 ここに来るまでに足をやった。利き足だ。地元に戻るに際して電車を乗り継いだ。乗り換えのためにホームを移動する途中の階段でやった。捻挫。

 歩けている、折れてはいない、恥ずかしい、脈が速い、気持ち悪い、立っていられない。転びかけた階段で何ごともなかったかのように振る舞ったが、時同じくしてどこの誰かもしれない子供が同じ目にあっており、「なんしてんの! 足元ちゃんと見てないからやろ!」と叱る母親の言葉が何故か刺さる。魔の階段だった。


 蕎麦屋流行りすぎ問題に直面していた。夏と捻挫の責苦にあっていた。もうなんかその辺でアイスとか買って帰らないか。一向に進まないじゃない、そりゃ昼時だもの。待つとは試練だ。並ぶとは殉教だ。


 万里に思えた人の列であったが待つこと一時間。ようやく店内に。落ち着いた雰囲気の内装はまだ新しく見えた。水でいいですか、水がいいよね、熱かったでしょう、ごめんね。返事する隙を与えず水が出てくる。冷たいお水ですと説明を受けた。

 天ぷらと冷たい蕎麦のセットが美味しいらしい。「じゃあそれで」と吐いた言葉には「なんでもいいよ」と仮名がふってある。ひらがな重ね。興味ってあるものにはあるんですけどないものにはないんですね。ところがいい大人なのでそんなことはいちいち言葉にしない。

 運ばれてきた天ぷらと蕎麦。俺の記憶が正しければ、海老が二尾、茄子、獅子唐、とうもろこし。まだ何かあった気はするがどれも衣が美味しい。卵のような甘さとまろ味がある。つゆと塩のどちらでも合う。油がいいのだと思った。胡麻ならもう少し匂いがしてもいい。だとしたら椿かな。なにせ美味しいと思った。蕎麦は蕎麦でいい香りに加えて味もしっかりとしており、お米がなくても十分だと感じた。他のメニューも気になり始めた。それはつまりまた来なきゃいけないわけで巡礼。ポリシーがある。並んでまで食べたいものなんてないんだ。ところがなんだ鴨だしも気になっている。あったかい蕎麦もいいんじゃないかとなっている。興味がないものには興味なんてないはずだ。さば寿司も良さそうですね。なんだって食えりゃ一緒だよ。俺は、俺は、


「なんしてんの! 足元ちゃんと見てないからやろ!」


 景色はホームに続く階段。素直になれず勢いだけで乗り込んだ車両の中でうずくまった。恥などよりも大事なことがあったはずである。神は仰っられた。足元を見よ、と。


「また、来ます」



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静かに暮らしたい 川谷パルテノン @pefnk

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