つれていく。

願油脂

第1話

私は母子家庭の家に生まれました。



私自身は3人兄弟の真ん中で、物心付いた時から家に父の姿はありませんでした。



なので恐らく弟とは異父兄弟だと思います。

でもその辺りの詳細や父の生死など、私はあまり気にしていませんでした。



母、兄、私、弟の4人家族で、生活も決して裕福なものではありませんでしたが、

母は女手一つで私たち子供3人を育ててくれたとても強い女性でした。



母だけでなく、月に2~3回ほど家の手伝いや私たち兄弟の面倒を見に来てくれていた親戚の伯父の存在も大きかったと思います。



こうして時が過ぎた10年前の春。


5歳上の兄は「母さんに楽をさせてあげたいから」と一人暮らしはせず、実家に残り高校を出てすぐ働きに出ました。



当時中学生だった私は家庭の金銭面的な

負担を減らしたかったのと、もう一つ別の理由から実家を離れるつもりでした。





私の実家には奇妙な決まりがあったんです。




実家の居間の角でした。

天井近くに見た事のない文字が書いた御札をぶら下げたそれは神棚のような形で、母は毎朝その神棚に両手を合わせ拝んでいました。



ずっと気にはしていたんですが、

位置が高くて壁まで下がってもよく見えず、棚に何が供えられていたりだとか詳細はよく分かりませんでした。




子供ながらに察するに恐らく母は何かしらの宗教を信仰していたんだと思います。





子育てのストレスや片親の孤独など思いつく理由は山ほどあります。


ただ特に法外な金銭を寄付することや、私たちに信仰を強制することも無かったので、あまり嫌悪感などは抱いてませんでした。




でも1つだけ嫌な事があって、


神棚には小さな瓶が置いてあったらしく、




毎年自分の誕生日にその中の薄茶色い粉をひとつまみ飲まされるんです。




ザラザラと味も無く、

独特な風味だけするその粉を母は

「1年健康で過ごせるよう飲まないとダメなんだよ」と私たちに言い聞かせていました。



私だけでなく、母も兄も弟も毎年誕生日にそれを習慣として続けていて、妙に儀式めいたそれを子供の頃は特に疑問も無く受け入れてましたが、思春期になり多感な時期に入ると途端に不快に感じました。



それでも母に対する恩が勝ったんでしょう。



不快に感じながらも毎年母の言いつけを守り、その儀式に参加していました。




でもたった一度だけ飲まなかった年があったんです。



それは私が20歳になる年でした。


高校を卒業後、進学せずアルバイトをしていた私はある程度貯金も作れたので、実家を出ることにしました。



母は引き止めましたが、

何より私はこの家から離れたい一心でした。



少し経ち、無事20歳の誕生日を迎えた私は

言いつけ通り神棚の粉を飲むよう母に促されましたが、私は飲むふりをしてバレないようにこっそりティッシュに吐き出しました。





正直気持ち悪かったんです。





母への恩は当然ありますが、いつまでこんな事をしないといけないのか馬鹿馬鹿しいと拒絶する気持ちが勝ちました。




こうして私は20歳になり、

実家に母と兄、そして高校生の弟を残して

他県に引っ越しました。





一人暮らしをして3年が過ぎた頃でした。








母と兄と弟が3人揃って死んだんです。








伯父からの突然の訃報に頭が真っ白になりました。



一昨日の昼間に見通しの良い県道で、対向車線をはみ出し電柱に正面衝突したそうです。


弟が運転していた車は母と兄が同乗しており、制限速度を超えて突っ込んだ車は半壊、弟と母は即死、兄は出血がひどく数分後に息を引き取りました。



その知らせを聞いてから数日の記憶がありません。

気が付いた時には実家に戻って独りで母たちの遺品整理をしていました。



スマホを見ると伯父からメールが来ていて、諸々の手続きが忙しく、こっちに行けるまでもう少し時間がかかるとの事でした。



自分の妹が死んでショックだろうに、

伯父には何から何まで申し訳ないと思いながら一度手を止め壁にもたれ掛かりました。



頭が未だ現実を受け入れられていないのか、体が重いのに意識は嫌にクリアで、ひどく悲しいのに不思議と涙は出ません。



季節は梅雨で汗でシャツがじっとりと背中に張り付く中、不意に視線を動かすと生前に母が通帳や母子手帳、役所関係の書類などをしまっていた棚が目につきました。




そういえば母は日記をつけていたはず。




確かこの棚に母は日記を保管していました。


引き出しを開けると中には日記と思われるノートが何冊も出てきました。


私は適当に何冊か日記を手に取り、茶色く薄ら色が変わったページをめくりました。



母の字だ。



何気ない日常から親としての悩みや葛藤、

私たち兄弟の成長を喜ぶような内容まで詳細に記されてました。



不意に目から涙がこぼれました。




この時初めて心の底から泣いたと思います。





もっと一緒に居ればよかった。

でも、後悔してももう遅過ぎました。

それは私が年甲斐もなく泣き喚くには充分過ぎるものでした。



涙で視界が滲む中、

1枚1枚噛み締めるように日記をめくると最新の日記の文字に不意に目が止まりました。





5月 8日


な が か つ た





つい先月の弟の誕生日の日付でした。

さっきまで流暢な文章だった日記は急に殴り書いたような粗雑なものになっていました。



その日を境に急に緊張が途切れたように

母の日記は乱雑な文章になり、最後は





6月 16日


や つ と つ れ て い け る





それは母たちが亡くなる前日の日付でした。

当然それより新しい日記はありません。




つれていける?



どこに?



誰を?




ゾワゾワと鳥肌が足先から背中、

頭のてっぺんに走っていく感覚がしました。



不意に視線を感じ、見上げるとそこには神棚がこちらを見下ろしています。




母は一体何をしようとしてたんでしょうか。




生きてきて初めてでした。

神棚に何が置いてあるのか、椅子を台にしてその神棚を覗くことにしたんです。


ギシッと椅子が軋み、私の息で埃が舞う中

例の茶色い粉が入った瓶のその後ろに

黄身がかった白っぽい塊がありました。







明らかにそれは乳児の頭蓋骨でした。








殴られたように心臓がドンッと脈を打ち、

瞬間、頭の中をグルグルと嫌な想像が駆け巡りました。





もし仮にこれが人間の頭蓋骨であれば。





仮に瓶の中身も砕かれた遺骨だとすれば。





仮に今まで幾度となく繰り返した誕生日の

ソレは私たち家族が心中するための呪術。

呪いの儀式だったとすれば。




弟はちょうど20歳だった。





20歳まで毎年欠かさずに遺骨を摂取する事が儀式として必要な事だったとすれば。





母はいつから。






初めから。






私たち全員の死が目的だったとすれば。






めちゃくちゃだ。


ただの妄想だ。論外甚だしい。

そんな事して一体何のメリットがある。



とにかく何もかも分かりませんでした。



頭が考えるよりも早く、私はスマホを握りしめて伯父に電話をかけていました。



伯父なら何か知っていたかもしれない。



何の確信もない直感ですが、

限りなくその直感は可能性ではなく事実だと私自身感じていましたのかもしれません。




プルルルルル





プルルルルルプルルルルル





プルルルルルプルルルルルプルルルルル








ドンッッ








キィーーーッと耳をつんざく音と共に

外で重く鈍い音がしました。




まるで何かが車に轢かれたような。





プツッ






「ただいま電話に出ることが出来ません。御用のある方は、発信音の後にメッセージをお話しください。」







プーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ









季節は梅雨。蝉はまだ鳴いていない。







じっとりと蒸し暑い、私しか居ない空間に

無機質な機械音だけが鳴り響いてました。









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